岡野隆さんの『詩誌時評-句誌』『No.062 月刊俳句界 2016年08月号』をアップしましたぁ。『無言館館主インタビュー 窪島誠一郎 戦没画学生が愛した日常と純粋な空間』を取り上げておられます。無言館は野県上田市古安曾にある、戦没画学生らの作品を収集・展示している私設美術館です。館主の窪島さんは水上勉さんのご子息です。戦没者記念館というと、すぐに国粋主義的思想の持ち主が運営している施設じゃないかと想像される方もいらっしゃるでしょうが、窪島さんはそういったイデオロギーには無縁です。
創作者の抑え難い情熱は周囲の人を動かすことがある。しかしそれは、周囲の人々に迷惑をかけ時に不幸にしてしまうことでもある。それを重々知りながら、芸術家は「お前のエゴに過ぎないじゃないかと」指弾されてしまうような創作への情熱を捨て去ることができない。世間的に言えばもっと不幸なのは、そんな情熱を傾けても社会で認められ、作家や画家として認知される作家は一握りしかいないことかもしれない。だがそんな苦しみの中にも喜びの共有はあり、見返りを期待しない無償の愛は、芸術家の生が途中で断ち切られても、不思議と次の世代へと受け継がれてゆくものである。窪島さんが守ろうとしておられるのはそういった現世的利益を超越した、愚かで美しくもある人間精神なのかもしれない。
(岡野隆)
んで岡野さんは、特集『あなたの俳句切れてます?』も取り上げておられます。俳句の切れ字を初心者向けに解説した特集で、岡野さんは特集を読むと『ちょょっと元気になる。俳壇は今日も「けり」「かな」「や」で大騒ぎしてるんだなぁと思う。嫌味ではなく、それが現世の賑わいで、活力というものだ』と書いておられます(爆)。
俳壇は十年一日でのんびりしていていいんですが、人間の人生は俳句文学の歴史より短いです。俳人に限りませんが、詩人っていったい何をしてるんだろうなぁと思うことがあります。年に数回同人誌を出す、商業誌にちょっと書く、で、計算すると自由詩なら年間10作品くらい、俳句・短歌だと100作ほど、評論は100枚くらい書いてるってことになるかな。
もちろん詩人は作品数や原稿枚数じゃなくて、その質が問われるとみんな言うでしょうね。だけど現実の仕事の質と量に比較して、詩人さんたちはプライドが高すぎる。作品は世の中にアピールできる十分な質に達していないし、仕事と呼べるほど量を書いてない。もっと冷静で残酷な認識を持った方がよござんす。
そういった残酷で痛切で自分の足元が崩れるような不安を抱かずにいられるのは、多くの詩人が業界に視線を奪われているからです。小説家が素晴らしいとは言いませんが、その多くは日々不安と戦っている。小説にも文壇はありますが、小説家はその先の社会に作品が認められなければ仕事を続けられないのです。
石川は詩人の仕事の大変さは重々理解しています。しかしみんな横並びで、同じような認識に囚われて仕事してるように見える。突出した仕事をしたいなら、詩人はまずその認識を変える必要があると思います。ギョーカイに囚われていたのではダメです。
■ 岡野隆 『詩誌時評 句誌』『No.062 月刊俳句界 2016年08月号』 ■
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