小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『No.021 タコおじさんに捧ぐ/ハリー・ポッターの曖昧なブルース(1)/ハリー・ポッターの曖昧なブルース(2)』をアップしましたぁ。ショートショート小説はファンタジックな作品になりがちです。十枚程度の短い小説ではプロットを立てるのが難しいので、茫漠とした世界観を表現することで終わってしまふことが多いのです。小松さんのショートショートもプロットのない作品が多いです。しかしその視線は現実世界に根ざしています。
世界はグーグルで満ちていた。
検索の網を抜けることなど、誰にもできやしなかった。
できるとしたら、それは魔法使いと呼ぶべきだろう。
ハリー・ポッターの世界では、残念ながらテクノロジーに関して触れられることはあまりにも少なかった。
マグル(僕たちに似た人たちのことだ、彼らも魔法は使えない)たちの世界では確かに車は走っていたかもしれないけれど、彼らはインターネットに没頭している様子もなければ、ネジ工場での勤めをサボるようなこともしなかった。
ましてやハリーポッターのいる世界には、ツイッターもインスタグラムもフェイスブックも存在しなかった。
ハリー達はきっと、魔法が使えるから、テクノロジーたちの形成した検索の網の目からすり抜けることに成功したのだ。
僕らはマグルでも魔法使いでもなかった。
そして僕はハリー・ポッターでもなかった。
ファミリーマートの前で缶ビールを飲むおじさんたちに向かって抱く優越感はいつの日か世界中に発信されてしまうかもしれない。
僕はそれが怖かった。
世界中の皆にその優越感を知られることは怖くてしかたなかった。
「しかたないじゃん」
そう言ってくれたのが彼女だった。
彼女は僕と同じでなかなか人前で「ごめん」とか「ありがとう」とかを言うことのできない人間、いや。
ライオンだった。
(小松剛生『ハリー・ポッターの曖昧なブルース(1)』)
小松作品では人間の精神が、現実からスッと抽象世界に昇華されてゆくようなところがあります。『世界はグーグルで満ちていた。/検索の網を抜けることなど、誰にもできやしなかった』という二行は詩としても成立可能ですが、小松さんの場合はやはり小説に帰属します。なぜならそれは『ファミリーマートの前で缶ビールを飲むおじさんたちに向かって抱く優越感はいつの日か世界中に発信されてしまうかもしれない』という現実に根ざしているからです。
小松さんの連載は『僕が詩人になれない108の理由』と題されています。これは文字通り受け取っていいと思います。詩人と作家では〝骨格が違う〟ということが厳然としてあります。小説家が詩的なものを目指すときは、小説家としての骨格がしっかりしていなければなりません。その逆も真なりです。小松さんは生粋の小説家なので、詩的な作品を書いても、詩人の小説によくあるようなグダグダのファンタジー小説にならないのです。
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第04回 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項です。詳細は以下のイラストをクリックしてご確認ください。
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