「オール讀物」様八月号は「通巻1000号記念特大号」よ。七百六十二ページもあって定価千二百円よああた。同じ文藝春秋社様の「文學界」八月号が二百九十六ページで九百七十円ですからお・と・くねぇ。オール様は一ページあたり1・57円で、文學界様は3.27円ってことになるわね。純文学誌は大衆雑誌の二倍も高いのよ、まぁぁぁっ!。てなことを申しますと、お前は蓮實重彥かって突っ込まれそうですわね。アテクシの守備範囲ではござーませんけど、文學界様にもマンガが掲載されていましたわ。でもオール様掲載の伊藤理佐先生の『妙齢おねいさん道』にはかないませんわ。ノリが重いのよ、ぷんぷん。慣れないことはおやりにならない方がいいわねぇ。
オール様では定期的に記念号をお出しになるけど、アテクシ、芥川賞作家特集を除いて楽しみにしておりますの。だって芥川賞作家の先生方がお書きになる大衆小説って、ちゅまんないんですもの。たいていの芥川賞作家先生のお作品は、プロットがちゃんと立っていないし、飛び道具もないわね。オール讀物を毎号献本されている先生方も多いと思いますが、ちゃんとお読みになって勉強なさった方がよろしーわよ。文學界を必死に読み込んだ先生方は多いと思いますが、オール様を一年も読み続ければ、アテクシのような読者が何を求めているのか自然におわかりになるわ。
池波正太郎先生が小説の心構えについて、「木戸銭もらってるんだから、楽しんでもらわなくっちゃ」とおっしゃったのを読んだことがございますわ。大衆小説は読者を楽しませようという心構えがないとダメね。どれだけ読者を楽しませられるのかは、作家先生がお持ちになっているテクニックや人生経験の豊富さに左右されますわ。これは若いとかお年を召しているとかには関係ありませんわね。だから水で薄めたようなテクニックで書いておられる作家先生は一流になれません。一流の大衆作家様って、お作品におしげもなくテクニックと素材を詰め込める方よ。必然的に超売れっ子になって、オール様でもその全員を囲い込んでおくことはできませんの。
今
(前略)
「逃げてきたんでしょ?」とそう言った。(中略)
「いじめられて、転校してきたんでしょ」
「え、そうなの?」もともと知っていたのか、それとも初めて知ったのか分からぬが、渋谷亜矢の横で二人の女の子が大袈裟に驚いている。(中略)
動揺する高城かれんの様子に満足したのか、渋谷亜矢は立ち去ってゆく。(中略)
高城かれんは持病の発作が出たかのように、おろおろしていたが、「わたし今日は帰るね」と言うと申し訳なさそうに帰った。(後略)
未来
(前略)
「『もし、高城が苛められっ子だったとしたら、何が変わるか?』と僕たちに訊いてきました。
「質問に質問で返すのは良くないんだがな」礒憲が苦笑する。「司たちは何と答えたんだ」
「覚えていません」(中略)ただ、礒憲に言われ、「何が変わるのかといえば何も変わらないな」とは思った。「先生はその後、『転校してきて、やり直そうとしているんだったら、やり直させてやりたくないか』と言いましたよ」
「いいこと言うじゃないか、昔の俺は」礒憲は表情を緩めた。(後略)
(伊坂幸太郎「スロウではない」)
「スロウではない」の主人公は司という名の青年で、小学校時代の担任の礒憲(あだ名ですわ)の家を訪ねて昔話をしています。お作品は「今」と「未来」のパートから構成されます。「今」は小学校時代の過去のお話しで、「未来」は司と礒憲が話している現在です。このネーミングから「スロウではない」が、小学生時代をテーマにしたお作品だということがわかりますわね。
司の学校に高城かれんという女の子が転校してきました。目立たないおとなしい子です。司は小学校の一大イベントである運動会が近づいていることが気になっています。足が遅いのに、メインイベントのリレー選手に選ばれてしまったからです。高城は選ばれませんでしたが、司たちの練習に付き合ってくれます。練習中にクラスの女の子のリーダーの渋谷亜矢が話しかけてきます。彼女のチームは足の速い子ばかりで優勝間違いなしです。亜矢はみんなの前で、高城が転校してきたのは、前の学校でいじめられたからだと暴露します。つまりこの作品は、いじめ問題がテーマですわ。
物語はビルドゥングスロマンとして進みます。『もし、高城が苛められっ子だったとしたら、何が変わるか?』という言葉からわかるように、司らのクラス担任の礒憲は信頼できる大人です。また司たちは、亜矢たちからいじめられそうになっている高城かれんを守ります。現実にはこう上手くいかないでしょうけど、いじめ問題を克服できる理想的な小学校生活が描かれています。だけどそれだけじゃ、やっぱり物足りないわよねぇ。
「どういうことよ」
「わたしも、あなたと一緒だったの」
「一緒って何が」
「前の学校で、クラスの中心で威張って、みんなを馬鹿にして。自分が一番だと思っていて」(中略)
「騙したの?」渋谷亜矢の問いかけは、少しずれていたはずだ。高城かれんは別に、騙したかったわけではない。
礒憲の言葉を思い出す。「もし、高城が苛められっ子だったとしたら、何が変わるか?」
もし、いじめっ子だったら?(中略)
変わる、と僕は思いかける。誰かをひどい目に遭わせたのだから、その人を許してはいけない、と。
一方で礒憲の声がさらに聞こえる。「転校してきて、やり直そうとしているんだったら、やり直させてやりたくないか」
高城かれんはやり直したかったのだろうか。
(同)
小説の後半で、高城かれんはいじめられていたわけではなく、彼女は実はいじめっ子だったのであり、なにか問題を起こして転校してきたことがわかります。それが伊坂幸太郎先生が「スロウではない」でお使いになった飛び道具ですわ。いじめを扱った作品はたくさんあって、もはや手垢がついたテーマです。ですから〝新作〟を書く時は工夫が必要です。また同じテーマの作品が増えれば増えるほど、そのテーマについての思考が深まってゆきます。いじめはいじめっ子にとっても、自分ではどうしても抑制できない思春期の暴力的病という側面があります。そこまで捉えないといじめの本質は見えてきません。伊坂先生が設定なさったどんでん返しは小説的飛び道具ですが、ある本質に届いていると思いますわ。
「俺、中高大とずっとラグビーやってて、その仲間とは分かり合えると思ってる。特に大学のやつらとは寮も一緒だったし、だせえところも全部見せ合ってるっていう自信がある。ウソなんかお互い一つもないし、ていうかウソを作る隙もなかったし。先輩後輩関係なく、ラグビー部のやつらが俺の本当の仲間なんだよ」(中略)
「そいつらとの信頼関係が、なんつうか、今の俺を作りあげてくれてるわけ。だから、そのレンタル業ってのがどうしても受け入れられないっつうか」
「こちらはあなたに受け入れてもらえなくても別にかまわないんですけど・・・・・・」すっかり冷めた表情で、高松さんは言う。
(朝井リョウ「レンタル世界」)
「レンタル世界」の主人公・雄太は体育会系のサラリーマンです。ステレオタイプなまでに男同士の厚い友情を信じている青年として描かれています。雄太は街で職場の先輩の結婚式でみかけた可愛い女の子とバッタリ出会い、声をかけます。高松芽依です。気を惹こうと結婚式の話をすると、なぜか高松は動揺します。高松と入ったカフェで、彼女は実は新婦の友人ではなく、レンタル友達として雇われたのだと告白します。人間関係をレンタルするビジネスがあるのです。
ずっと体育会系の信頼関係で生きてきた雄太は、人間レンタルビジネスをどうしても受け入れられません。その一方でタイプの女の子の高松と仲良くなりたい。いままでそうしてきたように、お互いをさらけ出せば、高松に人間レンタルビジネスは間違っているとわからせることができると考えたからでもあります。とりつく島のない高松に、雄太は「レンタル彼女、依頼させて」と言います。雄太には就職まで世話してくれた野上というラグビー部の先輩がいます。結婚して女の子供もいる家族持ちですが、彼女ができたら遊びに来いと言われていたのでした。
「あんたの先輩もさ」(中略)
「何もかも分かり合えるっていう理想の先輩像を押し付けてくるあんたにだからこそ、絶対に言えないことがあったんじゃないの」(中略)
「まず、最も相手に知られたくないようなことをさらけ出す、だっけ? あんたのモットー。信じられないくらい傲慢だよね。俺が脱いだからお前も脱げよって、知りませんって感じ」
先輩、野上先輩、俺の童貞卒業の相手、初めての風俗、カッコ悪いこと、恥ずかしいこと、思い出したくないこと、その全てを知ったうえで面倒を見てくれている先輩。
「先輩が、奥さんをレンタルなんてそんな・・・・・・」
(同)
雄太は彼女になりきった高松と、先輩の家で奥さんの手料理をふるまわれます。その帰り道、高松が「先輩の奥さん、たぶん、レンタル家族だよ」と言います。高松はまた、「確かにレンタル家族は本物の人間関係じゃないよ。でも、誰かをレンタルしたことによって、別の誰かとやっ築き始めた本物の人間関係を守れるかもしれないんだよ」「お互いに絶対ウソをつくべきでない、何もかもさらけ出し合えばきっと理解し合えるはずなんていう窮屈な思い込みが、誰かのなけなしの一歩目を踏みにじってる可能性だってあるよ」とも言います。人間同士の相互理解を理想的に、ということは一面的に捉えれば雄太の考え方は正しい。でもそれは人間関係をレンタルする人々の切実な心をわかっている高松によって、また心から理解し合っていると思っていた先輩が奥さんをレンタルしていたことで打ち砕かれます。人間関係は一筋縄ではいかないのです。
雄太は野上先輩に紹介してもらった風俗嬢のミイミから、店に来ても先輩はおしゃべりするだけでセックスしないことを聞き出します。ミイミは「ちょっと前から、男の人としかできなくなっちゃったんだって」「それが、奥さんにバレちゃったって」と言い、先輩が口癖のように「戻さないと、自分を、って。後輩が待ってるから」と言っていたと教えてくれます。「レンタル世界」では何度もどんでん返しが起こります。しかもそれは人間関係を巡る本質をついています。その小説的飛び道具と本質描写が、わずか四十枚くらいの短篇に詰め込まれているのです。すごく贅沢な小説ですわ。朝井リョウ先生が大衆エンタメ小説のトップランナーである理由がよくわかるお作品ですわね。
佐藤知恵子
■ 伊坂幸太郎さんと朝井リョウさんの本 ■
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■