佐藤知恵子さんの文芸誌時評『No.018 オール讀物 2015年04月号』をアップしましたぁ。柳広司さんの『道成寺』を取り上げておられます。東日本大震災によって起こった福島第一原発事故をテーマにした、いわゆる〝原発モノ小説〟です。福島原発で働いていて、事故後にベント作業をすることになった純平という若者が主人公です。
佐藤さんは、『言いにくいですが柳先生の『道成寺』には、わたしたちが知らない情報は一切書かれていません。関連本やネットなどで調べれば入手できる情報ばかりです。ただ純平が、原発作業員として決死の覚悟で〝決死隊〟に参加したわけではないのは柳先生の見解でしょうね。もし純平に強い職業倫理があると描いたら、それは原発を巡るヒロイズム物語になってしまうからです。柳先生の見解は「何が現実なのか、何が嘘なのか、純平にはもはやわからなかった」という叙述にあると思います。要するにわからない。原発事故に対してなんらかの判断を下すことはできないということです』と批評しておられます。
以前池田さんが、『新潮』の文芸誌時評で『小説作品というのはフィクションである。ではそのジャンルの掟として、何のためにフィクション化されなくてはならないのか。フィクション化するという小説に特有の手法は、それによって何に迫ろうとしているのか』『なぜそこにフィクション化というクッションを置くのか。誰もがあのときは、〝事実〟にしか心を動かされなかった。にも関わらず、ひ弱な物語を紡ごうとした理由が、小説家だから、というなら手法と目的の取り違えだ』と批評しておられました。
震災モノ小説は、事実の上辺をなぞってフィクション化するのは簡単ですが、その本質に迫るのはかなり難しいと思います。文学という表現は、一つの現象に対して良い悪いの判断を下すための道具ではありません。むしろ社会通念としての〝良い〟も〝悪い〟も解体してしまうものです。震災がわたしたちの精神に与えた影響が明らかになるのは、もう少し先のことでしょうね。何か精神の中心に、ドンと空白地帯が広がった、見えてしまったような気がしないでもありません。わたしたちの世界はこの空白の周囲に広がっているのかもしれませんね。
■ 佐藤知恵子 文芸誌時評 『No.018 オール讀物 2015年04月号』 ■
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