高島秋穂さんの詩誌時評『No.015 角川短歌 2015年05月号』をアップしましたぁ。特集『第61回角川短歌賞〆切直前 連作を極める』を取り上げて新人賞について書いておられます。高島さんは『新人賞を受賞するには明らかに異彩を放つ個性を主張するのが一番の近道です。大きく分けると書き方を工夫するのと内容を特異なものにするという二つの道があります。(中略)ただあまり自己の資質とかけ離れた書き方や内容を選ぶと新人賞五十首止まりになってしまうでしょうね。(中略)若い作家は早く世に出たい気持ちが強いでしょうが自己の資質と乖離した作品で受賞を狙うのは危険です』と書いておられます。
角川短歌賞の応募規定には、連作でなければならないとは書いてなひのですが、高島さんが書いておられるように締め切り直前に『連作を極める』といふ特集が組まれている以上、応募作は連作の方が望ましいといふことでせうね。またそれには理由があります。高島さんは『新人賞は五十首で自己をプレゼンテーションする場でありやってみればおわかりになると思いますが意識しなくても連作作品になりがちです。(中略)漫然と過去作品から五十首を選ぶのは現実的ではなく五十首を完結した表現フィールドとして捉えざるを得ません。(中略)当然のように書き方やテーマが絞り込まれます』と書いておられます。
また新人賞レベルをクリアしたら、今度は作品を量産していかなければなりません。作品を量産できるといふことがプロの条件だと言っていいと思います。そのためには、新人賞とはまた質の違う連作の方法を身につける必要があります。高島さんは、『たいていの作家は若い頃は寡作なのが普通です。一首あるいは十首二十首の連作にすべてを盛り込もうとするから寡作になります。(中略)それは誰にでも必要なことですがそこからの道行きは二通りあります。一つは圧を持続して作品数は少ないけど質の高い短歌を創作することです。もう一つは無理のない書き方を身につけることです。そして多くの歌人が後者の無理のない書き方に赴きます。なぜでしょうか。簡単に言えば書けないことは苦しいからです。また作品数を限定してゆくとまだ表現していない核のようなものがあるという幻想にとらわれがちになるからです』と批評しておられます。
もちろん書けばいいといふわけではなひですが、書き続けられるのは作家にとってとても大事な要素です。石川は若い作家は意気軒昂で生意気である方がいいと思いますが、ある時点で、自分がどのくらい仕事をしているのか考えてみる必要があると思います。自分が年に何作作品を書いたのか、評論は何枚書いたのか数えてみるのです。プロと言われる人たちの、弛緩したように見える作品や評論と同じ量を書いて、なおかつそれを上回る質を維持できればその人は優れた作家としてやっていけるでせうね。
■ 金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)は3月31日〆切です ■
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■ 高島秋穂 詩誌時評 『No.015 角川短歌 2015年05月号』 ■