鶴山裕司さんの『BOOKレビュー・詩書』『No.020 詩の力を信じるということ-新倉俊一詩集『ヴィットリア・コロンナのための素描』』をアップしましたぁ。新倉俊一さんの処女詩集『ヴィットリア・コロンナのための素描』の書評です。新倉さんは、これまでも私家版で詩集を出しておられますが、誰でも手に取れる形の詩集は今回が初めてです。
鶴山さんは、『多くの詩人が新倉先生を学匠詩人と呼ぶだろうが、そんな奥歯に物が挟まったような言い方はもう不要である。先生は学者かもしれないが、それとは別に詩人として歩み出された。また先生はもしかすると僕らよりも強く詩の力を信じておられる。・・・僕もまた「詩の衰えた乏しい時代には/むしろ朝の海の鏡のように/冴えたダンテの明喩が/必要」だと思う。ダンテの明快さは単純さではない。世界認識の確かさと思想の強さが明確で力強い表現を生んでいる。それは豊富な詩の知識と的確な状況判断ができる詩人にはわかるはずだ。今は曖昧に問題から逃げ回るのではなく、勇気をもって断言すべき時代なのだ』と書いておられます。鶴山さんらしひ愛と厳しさが入り交じった批評ですね。
文学金魚は年齢等には関係なく、新しい試みを世に問おうとする作家たちにとっては居心地のいいプラットホームであるはずです。好き勝手できますから。ただそこには危機感が必要です。キャリアのある作家であっても現在の文学状況はとても厳しいはずです。また現代の文学状況に危機感を覚えるのなら、自己の作品も変えていかなければなりません。しかしそれはとても難しい。どうしても既存権威や路線に固執しがちだからです。そういった、よく考えてみればしょ~もない執着を抜ければ何かが見えてくるはずです(爆)。
鶴山さんはまた、『今はどこまでも詩の力を信じる先生の作品に導かれている。崖を見下ろす横浜の団地の五階で、僕は詩を疑いながら詩について考えている。先生とはもう十数年はお会いしていないが、文字だけで結ばれた僕の大切な詩友である』と書いておられます。文字作品だけで友情を育むのが文学者本来の姿勢だと思います。
■ 鶴山裕司 『BOOKレビュー・詩書』『No.020 詩の力を信じるということ-新倉俊一詩集『ヴィットリア・コロンナのための素描』』 ■