高島秋穂さんの詩誌時評『No.009 角川短歌 2014年12月号』をアップしましたぁ。「文語のニュアンス・口語のリアル」という特集を取り上げておられます。高島さんは、「常日頃から・・・原発問題や集団的自衛権に対して歌人たちは飽くことなく批判を繰り返しています。ただ・・・短歌のような短い表現で十全な意味(批判)を伝達するのは難しいのは言うまでもありません。では時事的(体制批判的)短歌がどこで意味伝達内容を超えた詩になっているかと問えば文語体の使用によってと言わざるを得ないでしょうね。・・・文語体が個の思想を共同幻想的な公の思想に見せかけそれが一種の詩的雰囲気(アトモスフィア)を醸し出しているのです」と書いておられます。
高島さんは「俳句でも「けり」「かな」「や」などの文語を使いますがそれを文語表現だと強く意識している俳人は少ないでしょうね。文語体は俳句における一種の決まり事として捉えられており文語的切れ字を使っても十分に現代を表現できると感じている俳人が大多数です」とも書いておられます。文語体と口語体の違いに一番センシティブな詩は短歌でしょうね。つまり最近の口語短歌の隆盛は、短歌文学の根幹に関わる問題(になり得る)といふことです。
不肖・石川は文学金魚編集人をやるようになってから、短歌・俳句・自由詩の雑誌などにも目を通すようになりました。文学金魚執筆者の皆さんが言うように、世の中の変化を一番敏感に反映するのは文学では詩の世界かもしれません。でも俳句は表面上天下泰平、自由詩もそーとーにヤバイ状態なのに打つ手ナシといった状況に見えます。その中で最もビビッドに動いているのが短歌界だと思います。高島さんのように筋道をつけて考えると、口語短歌に代表される短歌界の動きは面白い。狭い短歌界に限定されない、文学全体の問題がそこに表出されているやうに思ひます。
■ 高島秋穂 詩誌時評 『No.009 角川短歌 2014年12月号』 ■