小松剛生さんの連載ショートショート小説『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『第06回 明治通りにある絶望/太る話/フルーツナイフの危機』をアップしましたぁ。小松さんのショートショートはタイトル通だと108本、つまり人間の煩悩の数だけ書かれるはずで、その中にはきっと何作かは各々の読者の好みにピッタリと合う作品があるだろうと思います。また小松さんの作品は星新一的文明批評ではなく、オチ優先の小咄的作品でもないといふ特徴があります。
いつだったか、深夜のラジオで原田宗典(はらだむねのり)の掌編小説を朗読するコーナーがあった。そのなかの一編に夜な夜な徘徊する深い穴のことを語った話があった。旅の最中にその穴に訪れた主人公が深夜、もう一度同じ場所へ行ってみても穴が消えているという内容だ。もっともその穴は絶望という言い方はされていなかったので、今回できたものとはまた違うのかもしれない。
その話をベッドの上で聴いていた僕は皆が寝静まった時間に音もなく街中を歩きまわる穴を想像したものだ。僕の頭の中の穴は細長い筒のようなものに手足が生えており、全身が黒い陰に覆われているものだった。(中略)
僕は電波によって姿を現す穴の存在と、深夜に生み出される孤独な目撃者のことを思った。
たぶんそれら頼りないものたちは、眠れない夜という苦痛を味わった者にしか許されない想像の特権なのだ。つまりはほとんどの人間が許されているということだけど。
小松さんの作品は、期せずしてと言うべきなのかもしれませんが、メタテキストの側面があると思います。先行テキストから新たなテキストが派生してゆく面があるのであり、それは恐らく現代文学の一つの特徴でしょうね。ただこの手法は微妙なバランスで成り立っています。手法を強く意識してしまうと批評的な退屈さに陥り、あまりにも無自覚だとなぜメタテキストなのかといふ理由が掴めません。そのあたりのバランスを、小松さんは観念と具体物を往還することで取っておられるようです。詩人ではなく小説家で、しかも東京ヤクルトスワローズファンが書く作品群なのでありますぅ。
■ 小松剛生 連載ショートショート小説 『僕が詩人になれない108の理由あるいは僕が東京ヤクルトスワローズファンになったわけ』『第06回 明治通りにある絶望/太る話/フルーツナイフの危機』 pdf ■