水野翼さんの文芸誌時評『No.003 幽(vol.022)』をアップしましたぁ。特集は『ハーン 八雲』です。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の人気は絶大ですなぁ。今回の水野さんのコンテンツはその理由に迫っていて、不肖・石川は深く納得するものがありました。
水野さんは「私たちは本当のところ、わざわざ日本にやってきて、ちやほやされる外国人を必ずしも信用してはいない。・・・こんなところにやってくるには本人なりの事情もあるのだろうと考えている。少なくともその事情を知らされれば、なるほどね、と感じるわけだ」と書いておられます。ハーンが日本にやってきたのには、彼にとって抑圧的だったキリスト教世界からの離脱の目的があったでせうね。
水野さんは「彼が向かったところは、いずれも「島」だったという指摘がある。つまり自ら島流しを選んだ生涯で・・・さらなる辺境を目指す心境が、異界を目指すことと重なり合うなら、それは切実なものとして納得はできる」と書いておられます。この分析をふまえ、水野さんは「小泉八雲の怪談は、異界であった日本が現世の生活の場となってからも異界として作用するものであった。・・・ある種の人間にとっては、異界を現世に近づけることは切実な問題である。たとえばキリスト教が制度として現世化している世界から逃げ出してきた者にとっては、特に」と批評しておられます。切れ味のいい批評だなぁ。
ハーンは夏目漱石が帝国大学に英文学講師として勤務する前の前任者で、ハーンの学生を受け継いだ漱石はその学力の低さに激怒しました。ハーンはワーズワースなどの詩を朗読して「素晴らしい」と呟くような講義をしていたようで、それを聞いた学生たちは、いっぱしの詩人気取りですっかり英語ができるような気分に浸っていたようです。漱石は学生たちに初歩英語のテキストを与えて彼らの反感を買い、漱石排斥運動が起こりました。
石川はハーン文学に批判的ではなく、むしろ大好きなのですが、遠い目をしたハーンといふのはなんとなく想像できます。つーか腑に落ちる。彼は遠い目をした人であります。ハーンは片目を失明していましたが、一つ目で見たのは真理だったのか幻想だったのか。こんなことを書いていると、またしょーもないラフカディオ・ハーン伝説に捕らわれてしまひますね(爆)。
■ 水野翼 文芸誌時評『No.003 幽(vol.022)』■