大篠夏彦さんの文芸誌時評『No.018 文學界 2014年11月号』をアップしましたぁ。山本文月さんの『サンクチュアリ』を取り上げておられます。三田文學の同人誌評で「二〇一四年下半期同人雑誌優秀作」となった作品です。以前文學界さんがやっておられた同人誌評を三田文學さんが引き継がれたのですね。
大篠さんは「なぜ三田文學が引き受けることになったのかは知らない。ライバル文芸誌に引き継ぎを頼むわけにはいかないので、大学雑誌と商業文芸誌の中間である三田文學がうってつけだったのかもしれない。まさか退職した編集者が悠々と大学講師として暮らしてゆくためのバーターではあるまい」と書いておられます。いぢわるなんだからぁ(爆)。
ただ石川も読みましたが、『サンクチュアリ』はいい作品です。大篠さんは、「この作品の凄みは・・・流産で失ってしまった子供と、真美が熱もなく生きている・・・点にある。・・・〝彼〟はある瞬間にふと現れ、真美が生きる現実世界を共有する。・・・人間は社会人である前に、徹底して〝私性〟の人なのだ。・・・この私性を突き詰めれば社会に突き抜ける。・・・『サンクチュアリ』の〝彼〟をより直截に表現すれば、「文學界」好みの私小説を二本や三本は書くことができるだろう。もしそうなれば、次の段階ではテーマの深度が問われることになる」と批評しておられます。今回の大篠さんのコンテンツの主題は作品のテーマなんですね。
大篠さんはまた、「藤沢周の『山王下』が完結した。藤沢は芥川賞作家である。純文学の中堅作家だと言っていいだろう。・・・しばらく前から藤沢の作品は苦しい。新人作家がどうしても表現したい主題を作品化するのとは逆に、テーマの不在に悩まされている。まるで作家デビューする前の逡巡期に揺り戻ってしまったかのようだ。・・・しかし藤沢は戦っている。前のめりで戦っている限り、読者は作家を見捨てないものだと思う」とも書いておられます。
大篠さんはたまたま藤沢さんの作品を取り上げたのだと思いますが、現代に食い込むようなテーマを見出せずに苦しんでいる作家は他にもたくさんいます。一番安定しているのは「もうテーマなんてないんだ」と見切りをつけて、それが先端的なポスト・モダン文学なんだと信じ込んでいるお気楽な〝現代〟作家たちだけでしょうね。でもそういった作家は消えますよ。書きたいテーマがないなら文学などとっととやめてしまえばいい。作家と呼ばれたいためだけに無理矢理作品をひねり出すなど馬鹿げています。
■ 大篠夏彦 文芸誌時評 『No.018 文學界 2014年11月号』 ■