■『驚愕の谷』 ピーター・ブルック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ作・演出■
■公演データ■
上演日:2014年11月3日~6日
作・演出:ピーター・ブルック、マリー=エレーヌ・エティエンヌ
照明・技術監督:フィリップ・ヴィアラット
出演:キャサリン・ハンター、マルチェロ・マーニ、ジャレッド・マクニール
音楽:ラファエル・シャンブーヴェ、土取利行
舞台監督・ビデオ操作:アーサー・フランク
制作統括:マルコ・ランコフ
制作:アニエス・クルーティ、マラ・パトリ
製作:C.I.C.T./ブッフ・デュ・ノール劇場
共同製作:シアター・フォー・ア・ニュー・オーディエンス(ニューヨーク)、ルクセンブルク市立劇場
協力製作:アラス劇場/タンデム・アラス・ドゥエ、ジムナズ劇場(マルセイユ)、ウォーリック芸術センター、ホランド・フェスティバル(アムステルダム)、アッティキ文化協会(アテネ)、ブレーメン音楽祭、シアター・フォーラム・メイリン(ジュネーヴ)、C.I.R.T.、ヤング・ヴィック劇場(ロンドン)
■東京公演スタッフ■
技術監督:寅川英司
照明コーディネート:佐々木真喜子(株式会社ファクター)
音響コーディネート:相川 晶(有限会社サウンドウィーズ)
衣装管理:藤林さくら
字幕:幕内 覚(舞台字幕/映像 まくうち)
翻訳:住吉梨紗(英語)、岸本佳子(フランス語)
通訳:石井園子、河井麻祐子
制作:松嶋瑠奈
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
主催:フェスティバル/トーキョー
「フェスティバル/トーキョー」プログラムの1つ、『驚愕の谷』を観たのは、それが、「あのピーター・ブルック」による作品だったからである。(クレジットは、正確には、「作・演出=ピーター・ブルックとマリー=エレーヌ・エティエンヌ」というものである)
作品のテーマは、「演出ノート」に「今日、もう一度、私たちは脳の中を探求してみたい」と書かれた通り、共感覚や記憶といったかたちで現象する「脳」で、そのことは舞台(こと台詞)において、ストレートに表現されていた。そのこともあって、『驚愕の谷』観劇後の印象は、「前衛的な実験劇」や「偉大な演劇人による大作」とはかけ離れたものであった。とはいえ、急いで補足すれば、そこに否定的なニュアンスは微塵もない。むしろ、日々の暮らしの延長線上に劇場があり、そこで、ささやかだけれど、ほどよく刺激的で心地よい佳品にふれた──そんな贅沢な時間を過ごしたという印象が強い。従って、というべきか、アッタール『鳥の言葉』(ペルシャ詩人による叙事詩)が参照され、「脳の中」というテーマが掲げられたにも関わらず、舞台表現としては難解な要素はほとんどなく、むしろ明快で、間口の広い題材・台詞・展開が、さりげなく観客を劇の世界へと引き込んでいく。
地明かりに、必要最低限の机や椅子が出し入れされる「なにもない空間」に、3人の俳優が、役を転じながら現出させていくのは、超人的な記憶能力をもったサミー・コスタスの、それゆえの転機‐活躍‐苦悩である。その半生を、新聞社上司や、医者、ショウビジネスの関係者などが取り巻き、そして舞台上の音楽奏者2名(ラファエル・シャンブーヴェ、土取利行)による音色が彩っていく。ストーリーも、表現も、至ってシンプルである。そんな中、無駄のない台詞、動きによって、主題とされた「脳」へと観客の想像力は向けられていく。ただしそれは、必ずしも抽象化された思弁ではない。むしろ、演出としては、観客に「近い」と感じさせる舞台表現上の手だてが尽くされており、そのことによって具体的な手がかり(例えば、俳優が演じるサミーの一言)を介して、リラックスして観劇を楽しみながら、観客としては自由に「脳」の中へと想像を膨らませていくことができた。
そこには、舞台表現と観客席との関係を、へだてなく「近しいもの」として位置づけていくという演出戦略がみてとれる。そのことを如実に示したのが、実際に観客を2人ほど舞台に上げて、カード・マジックに興じる場面である。ただし、この場面にも、いたずらな前衛性など微塵もみられず、始終なごやかな雰囲気が漂っている。日本で上演する以上、英語に堪能な観客ばかりではない。しかし、シンプルなカード・マジックだという枠組みは与えられており、話す内容(英単語)もごく限られたものである。もちろん、スムースな意思疎通というわけにはいかないけれど、身振り手振り、それから観客席の応援もあってゲームは展開し、この場面は笑いが生じると同時にリラックスした雰囲気に包まれた。文字通り、劇場が一体になった瞬間といってよく、この時、観客はすでに劇の中にいる。
これこそが、ブルック一流の想像‐創造(の喚起)で、シンプルながら味わいの深い『驚愕の谷』のエッセンスも、この場面に集約されていたといってよく、日々の暮らしの中に演劇が存在することの幸いを実感させる、稀有な作品であったことは間違いない。
松本和也
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■