りょんさんの詩誌時評 『No.002 詩と思想 2014年11月号』をアップしましたぁ。ひさしぶりの『詩と思想』さんの時評で、特集は『詩人の遊び心-遊びを極める、詩人の隠れ家』です。谷輪洋一さんが書店で立ち読みしてから、文学金魚時評陣の間でちょいと話題になった特集号です。『詩壇ってどーなってんのかね』といふ反応が多かったですが、不肖・石川も同感だなぁ。『詩と思想』さんも編集会議をなさっていると思いますが、この特集、よく通ったなぁ(爆)。いや、笑いごとぢゃないんですが、ここまで来ると笑うしかないかも(爆)。
りょんさんは、『「詩人の隠れ家」ってのは、トーゼンのことながら「男の隠れ家」とかってダイナースカードの会報誌で組むような特集のパロディだろうが。タイトルだけ見れば。つまり、それをパロディに仕立てるだけの才覚がありますよ、ちう宣言に違いないと思うわな。・・・ところがどっこいパロディどころか、ダイナースクラブの「男の隠れ家」そのまんま、なぞろうってんだから、さすがのりょんも呆れるを通りこして恐れ入った、ってか、怖ろしいんですけど。何十年の歴史ある「思想」ってのは結局、ダイナースのメンバーであることを自慢するとか、羨ましがらせるとか、そーゆー人品の卑しさに膝を屈したってわけ?』と書いておられます。まーそうとしか読めないなぁ。
詩人さんっていふのは、社会的名士になって、ブランド服着て、おいしいご飯食べて、いい酒飲んで、高級車に乗って、すんばらしい家に住んで、美女をそばにはべらせて、美術品なんかに囲まれた優雅な暮らしをして、ほんで政治家・財界人・芸能人と同様に社会の表舞台に立つ者の常として、大衆の視線から身を隠すための男の隠れ家を持つのを生涯の目標に定めている人たちなんでせうかね。そういふ憧れの生活に一歩でも近づくために、詩人さんたちは文学活動にいそしんでおられるのかしら。どーも不肖・石川が知っている詩人さんたちとは違うな(爆)。なんかこの特集、もんのすごい歪みを感じてしまふ。自由詩のメディアはまぢ迷走してるなぁ。
りょんさんは、『「思想」ってキーワードを誌名に掲げてるからには、いくら時代が変わったって、踏みこえるわけにはいかないもん、ないか』って批評しておられますが、もうそんな問題意識すらないんでせうね。ここまでお気楽になれるメディアや詩人さんたちを、不肖・石川はまぢ尊敬しますぞ。もはや『こりはおもしろい』と言うしかないぢゃありませんか(爆)。詩誌メディアは対外的には詩壇=詩人たちの最大公約数的意識の反映として発行されているわけで、それに沿った特集を組んでいるのですから、この際、自由詩の詩人にとっての文学活動は、男の隠れ家に代表される文学的アトモスフィア(雰囲気)とイコールなんだ、遊びなんだと大々的に社会に周知徹底させてみてくださいませ。ホントに『詩人の遊び心-遊びを極める』という域に達すれば、それが詩人さんたちの総意なのか、あるタイプの詩人さんたち固有の『詩と思想』なのかが明らかになるかもです。
■ りょん 詩誌時評 『No.002 詩と思想 2014年11月号』 ■