露津まりいさんの新連載サスペンス小説『香獣』(第05回)をアップしましたぁ。魅力的な展開ですね。エゼーナの小宮路専務の弟である十樹は、一般的に言えば言語障害を持つ青年ですが、野生児として育てられたのではないかという雰囲気を漂わせ、異様に鋭い嗅覚を持っています。主人公・芙蓉子の朝からの行動を匂いだけで言い当てるのです。また芙蓉子が十樹に礼儀作法を教えている間に、以前から追っていた女子大生・坂野深雪が死んだという連絡が事務所の社長・糟谷から入る。当然、殺されたわけです。深雪は第一東和AFK銀行の次期頭取の次男で、タミヤ自動車会長の女婿・桑林圭次の女に顔を傷つけられたわけですから、そこに謎がないわけがない。見事な伏線の張り方であります。
現実世界ではそう頻繁にあってはたまらないのですが、小説文学において人の死は重要な小道具になります。推理・サスペンス小説では特に重要だと言っていい。テレビのサスペンス物では冒頭と半ばと後半に3回殺人が起こることが多いですが、だからこそ視聴者をずっと惹き付けられるという面がある。これは実は小説でも同じなのです。推理・サスペンス小説では、冒頭近くで最初の殺人が起こらなければならない。このセオリーを破るとすれば、別の魅力的な展開をあらかじめ用意しておかなければなりません。しかし無理にセオリーを破らなくても、推理・サスペンス小説の枠組み内で作家の思想を表現することは可能です。
作家のインスピレーションによって文学作品は生まれると考えている人はいまだに多いようです。でも夏目漱石は「インスピレーションなんて信じない。そんなものが降りてくるのを悠長に待っていたら、作品なんて書けない。だから俺は人工的インスピレーションで書くんだ」と言っています。漱石の人工的インスピレーションは、他者の作品などを読んで、俺ならこう書くのにな、などと考えながら、新しい作品の構想を練ってゆくという方法です。プロの作家としては正しい方法論だと思います。
まともな文学者の雰囲気は肉体労働者に近いものです。バチモノの文学者ほど、妖しげな文学的雰囲気(アトモスフィア)を振りまいています(爆)。本格的に書き始めれば、文学は頭の仕事で済むわけではなく、肉体労働だということがわかると思います。ほとんどの肉体労働者と同じく、文学も99パーセントは技術で成立しています。技術的に幼稚な作家は長い期間仕事をすることはできません。東野圭吾さんでも宮部みゆきさんでもいいですが、どのような伏線の張り方をして、いつ最初の殺人が起こっているのかを系統だって分析するのは作家にとって益のあることです。意外なほど明確なセオリーがあるはずです。
■ 露津まりい 新連載サスペンス小説『香獣』(第05回) pdf 版 ■
■ 露津まりい 新連載サスペンス小説『香獣』(第05回) テキスト版 ■