山本俊則さんの美術展示評『No031 ヴァロットン-冷たい炎の画家展』をアップしましたぁ。ヴァロットンはスイス人でフランスに帰化した画家です。後期印象派の一つであるナビ派の画家の一人です。しかし山本さんは、『派(スクール)や主義(イズム)は、ヴァロットンの絵を見る際にはあまり気にしなくていいだろう』と書いておられます。理由は『ヴァロットンは奇妙な画家である。その奇妙さがどこからもたらされたのかわかれば、僕らは安心できる。しかし彼の生い立ちを探っても、実人生の軌跡を辿っても、決定打となるような事実や出来事は見つからない』からです。
不肖・石川は日曜美術館でヴァロットン展の紹介を見たのですが、山本さんが書いておられるように不思議な雰囲気の絵を描く画家さんです。カタログの表紙にもなっている『ボール』という作品が代表作で、これについて山本さんは『極論を言えば、ヴァロットンは『ボール』と題された作品一点で人々の記憶に残るだろう。・・・この絵には不気味な要素など何一つないのに、見る人になんとも言えない不安を掻き立てる。多くの作家と同様に、ヴァロットンはこの絵が自分の代表作になるとはまったく想像していなかっただろう。しかしこの作品は傑作である。絵画という表現の奥深さを感じさせると同時に、ヴァロットンという画家の不気味さが迫ってくる代表作である』と書いておられます。その通りでしょうね。
作品というのは実に不可思議なものであります。作家が時間をかけ、力を入れて書いた(描いた)作品が秀作や傑作になるとはまったく限りません。逆に手抜きをしたような作品が、時間が経つとある作家の代表作になってしまふこともある。もちろん元々力のある作家でなければそのような事態は起こらないわけですが、創作は実に気難しいものだなぁと考えさせられる一例でありまふ。不肖・石川は書かない(書けない)作家は好きぢゃないとつい言ってしまうことがあるのですが、それは創作の出来が、作家が作品にかける時間と努力に正比例しないからでもありまふ。もちろん石川は、はなっから量を書けないとわかっている作家に書け書けとは申しません(爆)。
ほんで山本さんは『ヴァロットンは大きな抑圧を抱えながら、その抑圧とともに生き、表現した作家であるように思われる。もしかすると彼自身は、自らの中に抑圧が存在することすら意識していなかったかもしれない。・・・友人たちは彼のことを「とても奇妙なヴァロットン」と呼んだ。私たちにとっても、ヴァロットンは永遠に奇妙な画家であり続けるだろうと思う』と書いておられます。コンテンツをお読みになってじっくりお楽しみください。
■ 山本俊則 美術展示評『No031 ヴァロットン-冷たい炎の画家展』 ■