ドナルド・キーン氏の連載「石川啄木」の第二回。啄木が上京したときの話から。啄木の様子がこれほどリアリティをもって迫ってくるのは、その日記の存在によるところが大きい。我々にとって啄木とは、すでに「テキスト」であったと気づかされる。その作品が記憶され、人口に膾炙しているがゆえに、なおのことそうなのだろう。しかし日記の中の啄木は、紛れもなく実在の人物だ。おそらくその肉体に接したことのある者より、日記を読んだ者の方がその実態に迫れるに違いない。
第一回で、甘やかされて放蕩者となった啄木を知ったが、その啄木の内面は、二つに分かれている。存外な客観性と極端なロマンチシズム、と言ったらいいだろうか。それは例えば、与謝野鉄幹と晶子夫妻に対する対照的な態度に現れている。鉄幹は啄木に親切であったが、啄木は彼に対し、ほとんど何ら感情を動かされない。晶子に対しては姉のごとく慕い、最大限の賛辞を贈っている。
それは単に、異性に対する気の緩みに過ぎない面もあろう。両親に対してもまた、啄木は当然ながら、自身を甘やかす母親と、謹厳な父親との間では異なる距離感を示す。ただ、啄木の極端なロマンチシズムがその受け皿を求めたとき、あの情熱的な、情念の女流歌人を高く評価するのは理解できる。
ワーグナーに対する評価の仕方も、意識された二面性を感じる。啄木はワーグナーを「詩人」として読むことしかしない。その上で理想的なロマンチシズムを最大限に見出そうとする。その音楽を併せ聞けば、いっそうロマンチックであり、高い理想に向けて鼓舞されるのではないかと思うが、そうしようとはしない。では啄木は音痴であったかと言うと、そんなことはない。音楽的な天分を豊かに備えていた。天才歌人なのだから、当然だけれど。
17歳にして執筆されたものからしても、啄木は極めて早熟な知性を有していた。それとロマンチシズムとのバランスが、啄木の完成だったと思われる。啄木自身、初期の詩集について振り返り、「失敗作」と冷静な判断を下す。ロマンチシズムには枠をはめ、バランスをとらなくてはならない。啄木にとってその枠、最高のバランスを与えてくれるものが、すなわち短歌形式であった。
普通に考えても確かに、26年の人生において、日本人の多くの記憶に残る仕事を成す、ということは尋常ではない。そこには尋常ではない知性や才能がある、と評価することができるし、そう考えるべきでもあろう。が、その知性がどのような経緯で、どのような形式を選んで表出されていったのか、はこれまで確認されていない。この連載に期待すべきは、それだろう。
短歌形式が啄木に与えたものは、抒情に溺れてゆく自己の客体化だと思える。「じっと手を見る」のも、「そを聞きにいく」のも、「泣きぬれて蟹とたわむる」のも、そのような自己を客観視する視点が措定されている。それこそがロマンチシズムというものではないか。
徹底したロマンチシズムに溺れるということは一種の資質だけれど、一方ではそのような自己の姿を冷徹に客観視できなくては、“ 作品 ” にはならない。若く経験が浅ければ、通り一遍のセンチメンタリズムに陥るだけに違いないが、突き放した客観性と具体性を強く求め、それによって鮮烈な印象を動かしがたくするもの、それが「形式」という作品の装置だ。
長岡しおり
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