大野ロベルトさんの 『 『無名草子』 の内と外 ― 読み、呼び、詠み、喚ぶ―』 (第007回) をアップしましたぁ。いよいよ 『無名草子』 論も大詰めにはいってきましたね。不肖・石川、古典文学に詳しいわけではないですが、『無名草子』 は重要なテキストだと思います。こりは一種の開かれたテキストですね。このテキストは普通に読んだのでは面白くない、といふか意味がない。『無名草子』 は一般的に有名な古典ではありませんが、それは内容的に取るに足らないからではなく、このテキストの魅力を引き出せる論者がいなかったからだと思います。
大野さんは 『女房たちは、実在した女性たちのありようを探るというよりも、文学という枠組のなかで一般化された 「女性なるもの」 というイメージについて議論しているのだ』、『 (国風) 文学を可能にするのが平仮名であった以上、女性は阻害されるどころか、むしろ文化の中枢にいたと言ってよい』 と書いておられます。物語批判の書でもありますから、女房たちの話は文学制度から作品批評にまで及ぶわけですが、問題になっているのは本質的には日本文学における女性的なるものだと思います。
ところで女房たちは、勅撰集での女性歌人の扱いについて議論しています。勅撰集って室町中期の 『新続古今和歌集』 以来作られていません。今作ったらど~なるだらうなぁ。撰者を決めるところから大もめにもめて、撰が始まったらさらに大騒動になるやうな気が。現ナマとかも飛び交うかなぁ。でも過去の勅撰集制作の時に、何が起こっていたのかを検証してみるいい機会になるかも 。編集者的発想では、日本人の多くが歌人化して、史上空前の短歌ブーム、短歌関連書籍出版ブームが起こることは請け合いでありますぅ (爆)。
■ 大野ロベルト 『 『無名草子』 の内と外 ― 読み、呼び、詠み、喚ぶ―』 (第007回) ■