演戯団コリペ公演『小町風伝』
【公演データ】
演戯団コリぺ公演 第20回BeSeTo演劇祭参加作品
上演期間 2013年10月17日~20日
会場 こまばアゴラ劇場
演出 李潤澤(イ・ユンテク)
作 太田省吾
韓国語翻訳 シム・ヂヨン、キム・セイル
[出演]
老婆 キム・ミスク
少尉・隣家の父・魂 イ・スンホン
若い小町 イ・セイン
隣家の息子 ゾ・ヨングン
サチコ ペ・ミヒャン
村上 ジョン・ヨンジン
村上の妻 キム・アラナ
医者 カン・ホソク
看護婦 イ・ヘミン
ユキ ユ・ヨンウ
隣家の娘 チェ・ヨンリム
本を読む女性 ホ・ジョンユン
…夜が、あたしの鎧が脱げていく時なんだもの、夜明けがいちばん冷えるのさ。闇が、あたしの楯がとけていくんだもの。夢が、あたしの槍が…。
このセリフではじまる『小町風伝』の主人公は、駒子と名のる老婆だ。現代の東京の古いマンションで生活している彼女は、夢と現実を行き交う状態で生きている。ゆっくりとした動作で音楽をかけて、ラーメンを作りながら、夢を見る。夢では自分が小町と呼ばれていた時代の思い出と妄想が交わる。部屋の大家さんは毎日のように医者を連れて駒子の様子を見に来る。彼女がまだ生きているのは不思議に思えるし、どうも迷惑のようだが、老婆は彼らのことを構わずに、ひたすらに夢を見続ける。夢では昔自分へ思いを寄せていた少尉が登場し、彼女は記憶と恋の夢に身を任せる。
アングラ演劇を代表する演出家・劇作家太田省吾作『小町風伝』は1977年に矢来能楽堂の舞台ではじめて発表された。その後何回か太田氏の演出で劇団転形劇場に上演され続け、1998年に原作に基づいて平田オリザによる再構成・演出の『新版・小町風伝』が青年団によって上演された。先日は第20回BeSeTo演劇祭参加作品として韓国の演戯団コリぺによっての上演を見る機会があった。演出は、日本の演劇界と盛んな交流を持つイ・ユンテク氏が担当した。
この作品はあくまでも現代演劇でありながら、能の世界との関係が深い。主人公の駒子は、能が伝える小町像の我々の現代における「写し」だと言ってよいであろう。平安時代の六歌仙の一人であり、美人として名高い女御でもあった小野小町については数多くの説話物語が広がった。特にいわゆる百夜通い伝説が周知となった。その伝説によると、自分へ恋の思いを寄せた深草少将に百夜通いをさせ、あまりに残酷な扱いだったため少将は九十九の夜に死んでしまった。小町はその後、国を放浪して貧しい生活を送りながら百歳まで生きたが、結局独りぼっちで死を迎えたという。
小野小町にまつわる物語は複数の能作品の素材となった。現在でも演じられる小町物は、彼女の和歌を詠む才能を取り上げる『鸚鵡小町』や『草紙洗』、百夜通い伝説を中心とする『通小町』、それから百歳になった小町の成れの果てを描く『卒都婆小町』や『関寺小町』がある。能の小町物との関連から見れば、太田省吾氏の戯曲は『卒都婆小町』と『通小町』を拠点としている。どちらも南北時代の能役者、観阿弥(1333-1385)の作であり、能楽の大成期を反映する演目なのだ。
『卒都婆小町』は現在能という分類に入り、内容は今ここに起きていることを描く。国を歩き回る老婆小町が朽ちた木に腰を下ろして休もうとすると、高野山の僧に怒られる。彼女が座っているのは聖なる卒塔婆で、気付かずに冒涜を犯したのだと。しかし、小町は二人の僧を禅問答で言い負かす。名前を聞かれる時、老婆は狂乱し、百夜通いをさせられた故に彼女へ恨みを持つ深草少将の幽霊に憑かれる。『卒都婆小町』の内容はこれで、夢のモチーフを用いない。
一方、『通小町』は夢幻能であって、僧の夢に小町と深草少将の幽霊が登場する。百夜通いをさせられ、九十九の夜に急死した少将は小町に対して恨みを抱き、彼女の成仏を妨げるのだが、僧の祈りによって二人の幽霊が無事に成仏する。この能の場合は「夢」という枠組みを使って百夜通いが幽霊によって再現されるので、構成としては『小町風伝』はこの能により近いのではないかと思われる。
ちなみに『卒都婆小町』は三島由紀夫の『近代能楽集』所収の『卒塔婆小町』の典拠となっている。近代バージョンでは老婆の問答相手は真言宗の僧ではなく、若い詩人である。『小町風伝』の作製に当り、太田省吾はもちろん三島の『卒塔婆小町』を意識しているのだが、太田氏の場合小町の物語への関心は三島と少し違う方向へ行くのだ。三島は「美」という概念に強い関心を持ち、美と無常が根本的に結びついていると確信している。『卒塔婆小町』においては、醜い姿に本当の美しさを見出すという矛盾が主題となる。それと対照的に『小町風伝』の中心テーマになるのは、老婆の衰えた体なのだ。実は太田氏は『小町風伝』以前から「老い」というテーマに関心を持っていて、老人を主人公とする戯曲を数本書いた。「〈老い〉とはもっとも人間的な、人間の総括的な姿である」と、太田氏が考えたらしい(『老いの意味について』、演劇論集『裸形の劇場』所収)
演劇のために普通の舞台とは違う空間を見つけ出すのが、アングラ演劇運動のひとつの目標であって、『小町風伝』の初演の会場は神楽坂の矢来能楽堂だったということもその精神を反映しているかもしれない。しかし、能舞台での上演に当り、幾つかの問題が発生した。能舞台は「自己主張する空間」のようで、普段の身のこなしや言葉づかいがその空間にはねつけられたと、太田氏が『能舞台の眼差』というエッセイに述べている。その感覚が演出に大きな影響を及ぼした。能舞台だから、「能楽的」な所作が必要だというわけではない。ただ、普段の演技とは違う動作や言葉が要求されていると太田氏は思ったようだ。結果として、主人公のセリフは声で発せられなくなり、老婆と若い小町を同時に演じる女優はずっと無言のまま舞台に立っているのだ。その上、彼女は非常にゆっくりしたテンポでしか動かない。最初の場面では、能舞台の橋がかりを通るにあたって、足の指先で前進するので、舞台の真ん中に着くのは15分もかかる。その異常なテンポと沈黙が太田氏演出の『小町風伝』の特徴であり、氏が発明した沈黙演劇のきっかけとなった。
しかし、この演出を要求したのは能舞台という空間の特徴であって、別の空間での上演を試みる場合、やはり違う演出が必要となる。先日こまばアゴラ劇場で行われた公演の演出をつとめたイ・ユンテク氏は、この点に関して鋭い感覚を発揮し、まったく新しい『小町風伝』を東京の観客に見せてくれた。
イ氏の演出では、主人公の老婆は開場からずっと舞台の端っこに座っていながら、観客の来場を見守る。その目は夢見るかのように見え、観客もやはりこの老婆の夢に出る登場人物ではないかと、考えさせられる。
演戯団コリペ公演『小町風伝』
元々詩人である演出家のイ氏は、あえて小町に言葉を取り戻す。この作品における主人公の言葉を意欲的に複数の声を通して聞えさせた。まずは日本語で小町のモノローグを朗読するナレーターがいる。それから、セリフを韓国語で発する老婆の声がスピーカーで聞え(舞台に立っている女優はやはり無言だ)、そして老婆の夢に登場する若い頃の小町は自分でセリフを発声するのだ。言葉へのこだわりは繊細なところにまで及び、戯曲の詩的な美しさが見えてくるので、演出は小野小町が歌人であったことを意識しているようだ。
また、『小町風伝』は元々喜劇的な要素を含んでいるのだが、イ・ユンテク氏ならではの演出によってその要素がはじめてはっきりと表現された。笑いを誘う場面もあり、活発な動きを求めるダンスや運動大会の場面もあり、舞台の上で演じる俳優達と一緒に観客も盛り上がった。この戯曲に秘められたユーモアを活かすと、駒子はとても愛らしいキャラクターに見えるのだ。
長い時間にわたって、色々な時代の人々の想像力と集団的記憶によって形作られた小町像は、イ・ユンテク氏の演出で生き生きとした姿を見せた。それにしても、駒子は、相変わらずゆるい風に身をまかせるように夢と現の間にいる。「遠くの星はよく見える、身のまわりには盲のくせに…」
この上演では太田氏の戯曲に対する愛と、日本の古典文学を代表する歌人小野小町にまつわる記憶への誠実な取り組みが感じられるだけではなく、戯曲をよく読みこんだ演出は『小町風伝』の可能性をみごとに広げた。筆者の勝手な想像だが、おそらく太田省吾氏も新しい『小町風伝』が見たかったのではないだろうか?演戯団コリペの公演は、作家の期待に充分に応えたに違いない。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■