『能「羽衣」彩色之伝』
平成25年6月14日 銕仙会定期公演『羽衣』彩色之伝、シテ方 鵜沢久(撮影 前島吉裕)
【公演データ】
鑑賞日:6月14日(金)6時 於 宝生能楽堂(銕仙会6月定期公演)
シテ 天人 鵜沢久
ワキ 漁夫白龍 宝生欣哉
ワキツレ 漁夫 則久英志
ワキツレ 漁夫 野口琢弘
笛 藤田六郎兵衛
小鼓 大倉源次郎
大鼓 國川純
太鼓 観世元伯
後見 鵜沢光、清水寛二
地謡 観世淳夫、谷本健吾、長山桂三、馬野正基、泉雅一郎、阿部信之、観世銕之丞、 西村高夫
能『羽衣』は皆さんおなじみの昔話に基づいている:漁師が美しい衣を発見し、家に持って帰ろうとすると、その衣なしで天に帰れないと嘆く天女が現れ、衣を返してくれるようにお願いする。(同じ物語を基にした星新一氏の小説『羽衣』もあって、未来の月から地球を訪れに来た女性の衣は、時空を飛行するに必要な無重力ガウンになっているのを覚えていますか?)多くの伝説では、漁師は衣を返さず、天女を嫁にして、二人で家族を築くのだが、数年後元天女が衣を見つけ、夫と子供たちを置き去りにして天に帰ってしまう。天女は天の王様であるお父さんの怒りが地球を亡ぼすのを恐れていたという説もあり、またはいくら家族を大事にしていたとしても、人間にはどうしても逃れられない「死」という運命に立ち向かわなければならないから、元来は不老不死の存在だった天女はそれがとにかく怖くて、天に帰ってしまったという説もある。いずれにせよ天に帰る天人をあまり責めなくていいというわけだ。
しかし能の方では(星氏のショートショートも同様ですが)、物語が面白い逆転を見せる。世界に比すべきもの無しと言われる天女の舞いを見せてくれたら、衣を返すと漁師が約束する。それで天人は大喜びで雅やかな天女の舞いを見せてから、漁師にお礼を言って天に帰るのだ。
能にはなんて優雅な気持が込められているでしょうと、お思いになるかもしれない。それは間違いないであろうが、実は少しだけ魂胆的なものがある。「天女の舞」という舞は能の大成者である世阿弥(1333年-1463年)の頃から大事な見せどころとして磨かれてきたのである。能作者は一時期、どの舞い方よりも魅力的だった天女の舞を含む能がすぐに観客に好まれるのを意識して、出来るだけこの舞に相応しい設定を作り、それを能作品にしようとするのに必死だった。天女の舞いは雅やかで大らかな舞であって、舞衣の袖を大きく風に靡かせるように見せるのが特徴。もちろん、世阿弥の頃から室町末期までその舞のあり方が少しずつ変わり、現在は大分違う形になったそうだが。
『羽衣』は室町中期に作られた演目だが、作者は知られていない。『羽衣』の詞章が載っている一番古い本は永禄5年(すなわち織田信長がちょうど28歳だった頃)の本で、早い時期からかなり人気を集める演目になった。能の分類で言えば、三番目物で、つまり美しい女性が主人公として登場するのだ。夜中に幽霊が出る設定をとる数多くの能作品と違って、『羽衣』は非常に明るい演目だ。最初に登場するのは漁夫たちのグループで、魚釣りに行くなら朝一行くべきだという漁師の都合に充分配慮しながら、最初から最後まで明るい雰囲気を見せる能である。
6月14日に宝生能楽堂において行われた銕仙会の定期公演の番組にはまず『蝉丸』(シテ:小早川修、ツレ:柴田稔)、それから狂言『腰祈』があった。『羽衣』は三番目の演目で、シテ(主人公を演じる役)は観世流能楽師鵜沢久氏が務めた。
囃子(笛、小鼓、大鼓)の音楽につれて、漁夫の白龍(ワキ)と二人の友(ワキ連)が陽気な唄を謡いながら、舞台に登場する。彼らの歌から、時は春の長閑な朝、場所は富士山の下にある三保の松原だと分かる。その唄は、松を通す穏やかな風に揺られる釣り船が沖の白い波の上に浮いていて、その背後に富士山が見えるという、美しい風景を思い浮かべさせる。
白龍と名乗る漁夫は松の枝に豪華な着物を発見し、家宝にして大切にしたいと言って、家に持ち帰ろうとする。その時、遠くから声が響いて、白龍を止める。能舞台の橋懸りの奥にある幕が上って、あそこの薄暗がりのなかに白い姿が立っている。白龍の物ではないから、衣をもとの所に戻すように頼む。
その白い姿はゆっくりした足取りで、人間界と聖なる天の世界(または他界)をつなぐといわれる橋懸りを進みはじめる。演者は、人間性には縁もゆかりもない崇高な女神の象徴である「増」という能面をつけていて、天冠を被っている。天冠についている白蓮は、この人物が菩薩の清らかな世界から降りてきた天人であることを示す。しかし、天人にそぐわない緊張感に追われているかのように見えるのだ。上半身が白い着物にぎゅっと包まれていて、翼のない鳥の可哀そうな姿を連想させる。
平成25年6月14日 銕仙会定期公演『羽衣』彩色之伝、シテ方 鵜沢久(撮影 前島吉裕)
衣を返さないという漁夫の言葉に天人の姿は一層悲しくなる。あの衣を身に付けないと、天に帰れないと言い返し、静かな仕草で涙を抑える。天の世界の空を飛ぶカリョウビンガの鳴き声が懐かしいと、下界の空を自由に飛ぶ雁やちどりさえもうらやましいと、天人が嘆く。
天女の悲しむ姿に漁夫の心が動かされる。天人が得意とする舞を見せてくれたら、衣を返すと約束する。天女は希望を取り戻して、もう一度衣を返してくれるようにお願いする。その衣なしでは、天女が舞を披露できないのだという。しかし、白龍は疑念を言葉にする:舞わずに天に帰ってしまうのではないか?それに対して天女は「いや疑ひは人間にあり、天に偽りなきものを」と言い返す。この言葉は『羽衣』の一番大事な聞きどころであって、観客の楽しみの頂点ともいえる。心の底を震わせるような特別な響きを持つ言葉である。
その言葉を聞いた白龍もさすがに恥ずかしい思いをさせられ、衣を返す。天女は舞台の奥の方で衣を着せられる。袖の広い、金色の刺繍が入っている紅色の舞衣(まいぎぬ)をまとった天人は、はじめてそれらしい晴朗で穏やかな雰囲気を見せる。前に出て、舞を披露する準備として月の世界の話をする。月宮殿には白い衣と黒い衣の天人が15人ずつがいて、世の始まりからの定めとして一月の間に夜毎に奉仕するのだと物語っている。この天女もその一人であって、月では名高い舞を人間に教えるため、仮に下界に降りたという。雅やかな東遊び(あずまあそび)の駿河舞はその由来であるというわけである。
天女によると、三保が崎、清見潟、そして富士山の周辺は月の世界に劣らぬ美しい景色であって、天と地の間に隔てがないように見えるそうだ。この場所で清らかでめでたい朝を迎えるのは最大の喜びだから、嬉しい気持を静かな舞で表現する。
一旦舞を留めて、まるで心に刻むようにもう一度その風景を眺め、優雅な歌言葉で讃美する。それから軽やかなリズムの舞がはじまり、天女が天に舞い上がる様子を連想させる。地謡の唄に想像力を任せる観客には、天女が衣の袖を風に靡かせつつ、三保の松原や浮島の雲まで、それから富士山の峰まで舞い上がり、雲の中に姿を消すのが、心の目で見える。その様子を表現するには演者が舞い続けながら、舞台と舞台裏をつなぐ橋懸りに一瞬足を止め、もう一度後ろを見る。お人好しの白龍に見送られ、舞台裏に消える。
前半に言及したように、『羽衣』は祝感にあふれた、人の心を和むような設定を持って、雅やかな思いが込められている演目である。早い段階からあまりに人気になって、新鮮さを生み出すために演者が演出において色々な工夫を考えてきた。「常の会」は決まった形式をさして、それと違った演出方法を「小書き」と言う。それで演者はその場その時に相応しい演出を選ぶ。演目によってはある範囲で能面や装束が選べるので、小書きを通して演者の個性や好みが見られる。
『羽衣』の常の会では、天冠に白蓮ではなく、下弦の月の形をしている飾りが付いていて、主人公は月の世界から来た純粋で可愛らしい天人だと示す。その場合、後半の舞衣は紫色であることが多い。それと違って、当公演は「彩色之伝」という小書きだった。その特徴としては、白蓮の天冠に、前半は真っ白なモギドウ(半裸の様子を示す服装)、そして後半は紅い舞衣の姿をしている主人公が最高位の天人であるということだ。他に「和合之舞」という小書きでは、演者は「増」よりずっと人間っぽい「若女」という面をつけるのだ。天冠に金色の鳳凰がついていて、華やかさが特徴である。この場合は、天女が漁夫の妻となった伝説の方を連想させるのだ。
何百年前から多くの人に愛されてきた能『羽衣』は、その祝祭性や明るさゆえに、よく演じられる演目なのだ。もし鑑賞の機会があったら、どのような『羽衣』が見られるのでしょうか?
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■