高校生の時たまたま手にした本に8頁程度の戯曲がありました。きれいな響きの言葉がすらすらと流れるかのようで、美しい詩的表現に導かれながら最後まで読んだのだが、内容は何枚かのヴェールに覆われているかのようだったので、何だこれは?と驚きました。(実は30頁ぐらいの序説がちゃんとあったのですが、さすが気楽な高校生、読むのがしんどくて、飛ばしてしまいました)。
一つだけがはっきりと印象に残っていました。物語の中で一人の若い女性が登場し、恋人か夫である人のことを懐かしんで、井戸の水鏡を見るのです。それで鏡に映るのは自分の姿ではなく、恋人の姿だったという。あっ!と思いました。これだ!これがまさに恋の真髄!(←この発言の意味が分かるとは信じがたい年齢だったんですが…)しかしそれ以後も、これほど単純で素晴らしい恋愛論を聞いたことがありません。
以上は能『井筒』の話ですが、実はどの能作品でも人の心をわくわくさせる、感動させる物語があります。面白いことに、能楽の魅力は目に見えない物にあるのです。その「見えない物」に気付くのは、別に予習とか勉強する必要なわけではなく、ただ「思い出す」必要があります。子どもの頃に聞いた物語や学校で勉強したこと、または人間として経験したこと、感じたことなど―能の内容になるのは大体そういう話ばかりなのです。
一方、歌舞伎の魅力は逆に全部舞台上で「見える物」にあります。感情を限りなく誇張する、スペクタクル性が高い歌舞伎は、観客の心をすぐに虜にするように磨かれた芸術であって、役者の拘りが繊細なところまでに及ぶのです。
舞台上演の個性に注目しながら、何百年間伝えられてきた物語や記憶をたどって、能楽や歌舞伎をはじめ、色々なジャンルの作品をご紹介したいと思います。この連載を通して、日本の伝統芸能が筆者に与える楽しみを少しでもお伝え、お返しできれば何より嬉しいです。
ラモーナ ツァラヌ
ラモーナ ツァラヌ
1985年ルーマニア生まれ。ブカレスト大学で日本語日本文学・ドイツ語ドイツ文学を専攻し、2008年卒業。同大学で大学院東アジア学を2010年卒業。修士論文の研究テーマは三島由紀夫の近代能楽集。2010年からドイツのトリアー大学で博士後期課程に入学し、能楽の研究をはじめる。同大学で日本の現代演劇と演劇理論の授業を受ける。現在、早稲田大学大学院文学研究科日本語・日本文学コースの博士後期過程に在学中。世阿弥の能作品と芸能論における「本説」という概念の研究を中心に博士論文を執筆中。
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