草間彌生 永遠の永遠の永遠
於・国立国際美術館(埼玉県立近代美術館、松本市美術館、新潟市美術館を巡回)
会期=2012/01/07~04/08
入館料=1400円(一般) カタログ=2000円
評価=総評・90点 展示方法・80点 カタログ・80点
国立国際美術館は独立行政法人国立美術館によって運営・管理される国営美術館である。元々は大阪吹田市の万博記念公園内にあったが平成16年(2004年)から中之島に移転した。設計は超高層ビル(スカイスクレーパー)建築で有名なシーザー・ペリ。建物の入り口に、ジャングルジムというか、橋のような形をしたアルミ製のモニュメントがある。美術館は非日常的空間であり公共性も高いので、オフィスビルなどとはまた違う設計思想が求められる。建築物の好みも人それぞれなので、自由な発想で建てられた美術館はしばしば批判を受けたりもするわけだが、やっぱりシーザー・ペリはうまいなぁと思った。ほとんどDNAにすり込まれた感覚なのかもしれないが、欧米人はモニュメントを作るのに長けている。大きな空間をどうやって埋めればよいのか知っているのだ。まあシーザー・ペリは、ファサード設計に命をかけているような建築家ですけど。東京の公共建築設計はほぼ日本人建築家で占められるようになっているが、大阪は関西国際空港旅客ターミナルビル設計も外国人のレンゾ・ピアノだった。関東とは違う建築の好みがあるのかもしれない。
『草間彌生 永遠の永遠の永遠』は平成16年(2004年)から創作が始まった草間の連作ドローイング『愛はとこしえ』50点、それに続く連作『わが永遠の魂』52点、および『幸福の彫刻たち』と題された立体作品4点から構成されている。草間彌生は昭和4年(1929年)長野県松本市の素封家生まれの美術家で、今年83歳になる。彼女が驚異的な創作意欲を持続させていることは今回の展覧会を見れば一目瞭然である。草間は前衛芸術家として知られる。画家を志す大多数の人の前には茨の道が待っているが、前衛芸術家は一段と厳しい。日本国内には日本画や洋画の世界に大小様々な絵画団体があり、そこに所属すれば一定の仲間と発表場所を確保することができる。しかし前衛芸術家にそのような場所はほとんどない。多くの日本の前衛作家がそうしてきたように、草間もまた活動の拠点をニューヨークに移した。ニューヨークは前衛芸術のメッカだからである。草間のアメリカ滞在は昭和33年(1958年)から48年(73年)の16年間に及んだ。草間に世界的アーチストの称号を与えたのはニューヨークのアートシーンである。
前衛芸術は20世紀初頭に第一次世界大戦で荒廃したヨーロッパで生まれた。ダダイズムである。徹底して既成概念を打ち毀そうとするダダイズムは美術のみならず文学や思想界全般に及んだ。アートの中心人物はマルセル・デュシャンで、彼が1915年(大正4年)にニューヨークでアトリエをかまえたことで前衛アートシーンはニューヨークに移った。この時代の動向は美術界ではニューヨーク・ダダと総称される。その後ヨーロッパでは、虚無的なダダイズムに飽き足らない詩人アンドレ・ブルトンらによってシュルレアリスム運動が巻き起こった。悲惨な「現実」(レアル)を超える「超現実」(シュルレアル)によって現実世界を変えてゆこうとする向日的な芸術運動だった。シュルレアリスムは世界的影響力を持ったが、それは超現実思想の表現を何よりも重視する芸術運動であり、断絶の危機にあった従来の絵画と現代美術を接続する役割をも果たした。ピカソやダリを始めとするヨーロッパ・シュルレアリスム系の画家たちの代表作が、ほとんど油絵(平面絵画)で占められていることからもそれはわかるだろう。しかしニューヨーク・アートシーンは現在に至るまで初期のダダイズム精神を保持し続けている。ダダは徹底して既成概念を打ち毀しまだ誰も見たことのない表現を目指す。アメリカはヨーロッパのような長く錯綜した歴史を持たない。開拓精神(フロンティア・スピリッツ)により荒野を開拓してきた国である。ダダイズムの精神はアメリカ人の心に深く訴えかけるものを持っていたのである。
ただニューヨーク(アメリカ)のアートシーンには闇の部分もある。日本で言えば天皇と首相を兼ね備えたような大統領制を保持していることからもわかるように、アメリカは各ジャンルで孤独なスターを欲する個人主義の国でもある。ハイテク業界ではスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツ、音楽界ではマイケル・ジャクソンやレディ・ガガといった具合である。それは美術界でも変わりない。アメリカのスターシステムにのっとって、アンディ・ウオーホールを始めとするアーチストたちが次々に美術界のスター・アイコンに祭り上げられていった。それは絵画投資のメッカであるアメリカに必要なシステムでもある。画家たち本人には一切関わりのないことだが、独創的な表現を行っていた草間がアメリカン・アートシーンのスターシステムに組み込まれていった面があることは否定できない。近年では奈良美智や村上隆らが日本人アーチストのスターである。彼らの作品に対し投資家たちの都合で付けられる法外な価格は、しばしば僕たちの美術を見る目を曇らせる。ありえない、と思っても、現実に莫大な金額で取引されるのである。しかしやはり僕たちはアメリカに感謝すべきだろう。60年代から70年代の草間作品はどこかいぶかしく危うかった。だが草間は今では多くの人に理解され愛される画家になっている。日本のアートシーンが草間のような画家を暖かく見守り、様々な面で保護し続けることはやはり難しかったのではないかと思う。
草間は少女時代から統合失調症に苦しめられたことが知られている。幻視・幻聴に悩まされ、他者から監視されているという強迫観念に脅えていたのである。草間作品の軌跡は、この自らが抱える病との戦いの記録であるとも言うことができる。草間は余白を恐れる。世界を自らのアウラで埋め尽くそうとする。空間を無限増殖してゆく線やモノが草間芸術の基調である。これは統合失調症患者にしばしば見られる傾向で、たとえば同じ病に苦しんだウニカ・チュルン(ハンス・ベルメールのモデルで愛人)も草間と同様の作品を多数残している。このような精神的疾患に苦しむ人々のアート作品を、アンフォルメル(非定形という意味)芸術の巨匠、ジャン・デュビッフェは「生の芸術(Art brut)」と名付けた。英語では「アウトサイダー・アート」と呼ばれる。従って草間芸術も、しばしばアール・ブリュットやアウトサイダー・アートの文脈で読み解かれ評価されてきた。しかし70歳代の頃から草間芸術は微妙に変化してくる。刺々しさが作品から消え、作品はそこにあるのにまだまだ表現し切れていないような不燃焼感がなくなっていったのである。今ではもう草間芸術をその病理から読み解く必要はないだろう。前衛アーチストと呼ぶ必要も本質的にはないと思う。病といえば誰もが心の奥底に一つや二つの病を抱えている。それが表現の核になることも珍しくない。草間は自らの病にほぼ完全に折り合いを付けたように見える。隠され不燃焼のまま取り残されたものはほとんどなく、全てが作品に表現されている。作品こそが草間彌生なのであり、彼女がどんなに奇抜なファッションを身に纏って現れようとも、作家の存在は作品の背後に隠れ始めている。
草間のドローイングは素晴らしい。立体作品も手がけるが、草間は本質的にドローイング作家だと思う。渦を巻き層を為して襲いかかってくる外界が相変わらず彼女のテーマだ。動植物はもちろん、空気や風までもが粒となり波となって押し寄せてくる光景を草間は描く。彼女の根源的な恐怖の源である人間の顔と目も執拗に画面に現れる。しかしそれは、近作『愛はとこしえ』と『わが永遠の魂』では「ただそこに在る」という形で描かれる。世界は相変わらず強迫観念に満ちているが、その中で植物が生い茂り花が咲くのである。表題作『愛はとこしえ』では、彼女を取り巻く人の目が樹木や葉という形で様々に描かれる。その合間に草間彌生本人とおぼしき女性の横顔が現れる。草間は世界の中で自分の居場所を確保している。絵の周辺には犬を連れた少女、ポットやコーヒーカップ、かわいらしいお人形さんや少女時代と思われる草間の姿が細々と描かれている。アメリカのプリミティブアートの傑作として知られるクレジー・キルトのようだ。いつまで見ていても飽きない。うっとりとしてしまう。僕はもうあまり書くことがない。解釈は不要で草間のドローイングを見れば多くの人がそのすばらしさを即座に理解するだろう。草間の世界観とその人生は絵の中に描き尽くされている。それは生を肯定する絵画であり、幸福の絵画である。
草間の近作は何枚か見ていたが、これだけまとめて見ることができた感動は大きかった。そこで総評は90点。僕が美術館を訪れたのは平日の午後だったが、圧倒的に女性客が多かった。「ヤヨイちゃん、いいわねぇ」と誰かが言う声が聞こえた。そう、草間彌生は世界的前衛アートの巨匠先生ではなく「ヤヨイちゃん」だと思う。理詰めの男たちよりも、女性たちの方が草間アートを素直に楽しんでいるように見えた。
鶴山裕司
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■