唐門会所蔵の安井浩司未刊句集原稿の中で、そのままでも1冊の句集として刊行可能な量と質を持つ作品は3つある。原(ウル)『阿父学』(昭和49年[1974年]・安井氏[以下敬称略]38歳)の『涅槃学』(No.009 未刊句集篇②涅槃学参照)、原(ウル)『密母集』(昭和54年[1979年]・43歳)の『阿賴耶抄』(NO.010 未刊句集篇③阿賴耶抄)、そして今回取り上げる『天蓋森林』(昭和57年[1982年]・46歳)である。
『天蓋森林』は『第一部 月光抄』、『第二部 奥海抄』、『第三部 雷(いかずち)抄』、『第四部 現身抄』の四部から構成される未刊句集である。全714句が収録されている。第8句集『乾坤』(昭和58年[1983年]・47歳)に収録された句が152句、第9句集『汎人』(昭和59年[1984年]・48歳)に収録された句が60句、第10句集『汝と我』(昭和63年[1988年]・52歳)に収録された句が4句含まれ、残り498句は未発表句である。結果的に第8句集『乾坤』、第9句集『汎人』の草稿原稿になったわけだが、全体の約70パーセントが未発表である。
『天蓋森林』には『自序』がある。『六月五日、西脇順三郎氏逝去の翌日より創作開始されたものである』とあり、『昭和五十七年十一月三十日 著者』と擱筆年月日が記載されている。安井は、昭和57年(1982年)6月5日から11月30日にかけての約6ヶ月間で『天蓋森林』を書き下ろしたわけである。『自序』には『清記を終えて、今は静かに休息したい気持である』とも書かれているので、浄書前にはさらに多くの句があったのだろうと想像される。しかし安井は『自序』の言葉とは裏腹に、ほとんど〝休息〟していない。
安井は昭和57年(1982年)5月15日に第7句集『霊果』を刊行し、翌58年(83年)12月30日に第8句集『乾坤』を公刊している。『天蓋森林』は『霊果』刊行直後から書き始められ、57年中に完成した。だが翌58年になると、安井は『天蓋森林』を解体・再構成して第8句集『乾坤』を制作し始めたのである。『乾坤』の収録句数は383句、『汎人』収録句数は428句である。1冊の句集を作り上げるのに、それに倍する句を制作している安井の姿が浮かび上がってくる。
振り返れば、私も、先輩朋友に学びつつ、此岸というか、カオスとしての人間存在の側から道をよじのぼって来た。しかし、今や分水嶺の向こう側へ踏み込むのに確かな道もなく、俳句の歴史においてもあまり手がかりは無さそうある。稜線のそちら側の世界が、いかなる神意にみちたものか、未だ想像できないことだが、とりあえず〝霊果〟として顕ち現われようとするものへ、未知なるものの願いを託しておきたいのである。
(『霊果』『後記』)
安井は『霊果』『後記』で、『本書は(中略)『密母集』(中略)以降の作品(中略)を収録したもの』だが、『内容的に言えば、むしろ『牛尾心抄』が道づけした世界を、かなり意識的に継承発展させたものである』と前置きして、その試みは『カオスとしての人間存在の側から道をよじのぼって来た』従来の方法とは異なり、『今や分水嶺の向こう側へ踏み込む』ものであると述べている。また『稜線のそちら側の世界』には、今までとは異なる『神意』があるはずだとも語っている。
安井は必ず句集の『後記』を書く作家である。句集の意図を解説するためだが、安井の『後記』には読解を一定方向に導こうという姿勢はない。むしろ他者のものであるかのように句集を冷徹に見つめている。簡単に言えば安井はいつも、この句集ではここまでのことができた、しかしこれはまだ達成できていないと書いている。これから刊行される句集をすでに終わった試みとして捉え、早くも次に何を為すべきかを自問自答しているのである。安井の『後記』にはなしえたことの自負よりも、まだなしえていないことへの希求が表現されていることが多い。
〝密母〟という混沌とした世界生成概念(観念)を中心に据えた初期の代表作『密母集』から、世界を達観して超脱するような『霊果』『乾坤』の世界に移行する際に、安井が西脇順三郎の作品世界を念頭に置いていたことは重要である。西脇詩は思想的には単純である。西脇は世界は永遠の相の元にあるが、人間存在は有限でちっぽけなものだと認識した。その寂しさを諧謔を交えて描き出したのが西脇詩の世界である。〝存在の寂しさ〟が西脇の主題だと言ってよい。
永劫の芋畠に骨を拾う人
板上の翁の創造反復をゆるす
老農夫盗られし英書は森林に
一老人と虎が月下に埋葬されて
翁の詩は継がれまい池のみじんこ
かの詩家は向日葵に酒吹きつけて
岩下に詩人墜ちてもわれら月見酒
鶏の肩にふれる巨匠の手の温もり
英詩うたわん山稜の亡霊を指さして
老哲人は丘から小石を摘まみおる
老農を焼かん葡萄樹を薪として
(未刊句集『天蓋森林』より)
『天蓋森林』は西脇の死を契機に書き始められた未刊句集だが、公刊句集に収録された西脇を詠んだ句は、『悼・西脇順三郎』の詞書きを持つ『老農亡きお盆は殊に波立つ海ぞ』(『乾坤』収録)一句のみである。しかし『天蓋森林』には西脇を念頭に置いた句が散りばめられている。中でも『板上の翁の創造反復をゆるす』は西脇詩の特徴を正確に捉えた秀句である。西脇の思想は単純だったが、その単純さが無限に複雑な言語世界を創造したのである。安井は自由詩(現代詩)についてはほとんど何も書いていないが、西脇詩に深く私淑していたことがうかがい知れる。
『旅人かへらず』(昭和22年[1947年])を読めば明らかなように、西脇詩は俳句に近い側面を持っていた。近代の常識に叛き、西脇は人間を世界内での特権的存在とは考えなかった。草木と同等の存在だと認識していた。そのため西脇詩からは、近代文学の表現主体である〝私〟という言葉が消えた。もちろん人間には意識がある。しかし人間が特権的存在でない以上、西脇は自我意識で世界を相対化して捉え、世界を自己の言葉で再構築することをしなかった。西脇は世界内を移動し、自然界と入り混じる自我意識を描き続けたのである。
俳句は〝私〟という自我意識をできる限り縮退させ、ほとんど〝虚〟の表現ポイントから世界内の事物を取り合わせる芸術である。私の意識を直接的に表現するのではなく、事物の取り合わせによって思想や感情を表現する。確かに表現基盤は私の自我意識だが、虚の位相まで縮退した自我意識は、時に私性の枠組みを超えた思想を表現できる。芭蕉の『古池や』が単純な風物描写でありながら、古来、禅的な悟りの境地を表現していると読み解かれてきたのはその一例である。
安井の師・永田耕衣を始めとする多くの俳人が西脇詩に強い関心を抱いてきた。単に俳句に近いからではない。西脇詩の方法は俳句的だがそれは〝近代〟の洗礼を受けている。西脇は明治維新以降の日本自我意識文学の祖型とでも言うべき英文学の碩学だった。西脇は近代文学の世界標準的基盤(自我意識文学)を認識しながら、あえてそれに反する方法を選択したのである。そこには本質的に、近代に対する西脇の強い批判意識がある。それが〝俳句近代〟の課題に直面していた多くの俳人の心を捉えたのである。
安井浩司は生粋の俳人であり、自我意識を全面に押し出す方法論を最初から採っていない。西脇詩に親近感を覚えるのは当然のことだろう。しかし安井の西脇への興味は、やはり通常の俳人のそれとは異なるように思う。安井の自我意識は俳句王道に忠実に希薄なものである。だが一方でそれは、常に俳句を成立させる〝核〟と同化しようとしている。その意味で極めて強固である。安井は『私にとって俳句とは「安井浩司」そのものです』『俳句にとって「安井浩司」とは俳句自身のことなのです』(『安井浩司選句集』所収『インタビュー』平成20年[2008年])と語っている。
安井は俳句に同化するように(〝もどき〟という安井文学のタームを使ってもいい)、万物生成原理としての〝密母〟の諸相を作品で描いた。しかしそれは仮の世界原理に過ぎない。安井は『仮想された絶対言語がなければ誰でも詩を書く意味が成立しないのです。(中略)宗教はその絶対を実在化しようとしますが、芸術は絶対性における絶対を不在化させるだけです。そこを踏まえて申せば、絶対言語とは詩人にとって最高の夢でありつつ、私にとってはささやかな願望ということでしょうか』(同、インタビュー)とも語っている。〝密母〟は仮想の絶対言語であり、表現されれば不在化されるほかないのである。
月光や聖歌手と蟇が出会う時
堤に跳ねる精霊バッタ雨濡れて
ふるさとや遊女も相撲も帰らなん
買うとせん泥ばかり吐く白鶴を
死なば暗緑頭より尾にいたるまで
歓喜寺や岸を激しく突く鮭ら
咬まれてから蛇の歌のみ作る妻
月山(がっさん)くだる乞食は椀に雪入れて
山分衣を水で洗いまた火で洗う
稲妻に夜は稲の道見えて
月光や流れる椀に蛭ひとつ
盗み来て夜の温(ぬる)湯に鶴入れし
蛇の壜ひとつ置かれる笹の常世に
亡父きょう奴婢達つれて松島へ
墓を洗いに行って泳ぐや盆の海
己が身の荼毘の煙を吸う春ぞ
断食者に供える空膳百日紅
城壁に鱈裂く光がいずこより
夏日照らすとき蟷螂は斧の上
紫小屋に椿投げいれ火事となる
(未刊句集『天蓋森林』より)
『天蓋森林』から20を句選んだ。これらの作品には『密母集』にあったような作品生成の核となる観念は見当たらない。西脇詩のように、世界はなんの特権的求心ポイントも持たないと認識されている。しかし安井文学は西脇文学とは異なり世界を現世と限定しない。なにびとかの使者であるように鮭は岸辺を激しく突き上げる(『歓喜寺や岸を激しく突く鮭ら』)。『己が身の荼毘の煙を吸う春ぞ』に表現されているように、生きながら死を体験することもある。安井文学の世界は現世と異界を含むのである。
安井の言う『絶対言語』とは、生きながら死の状態に到る表現地平のようだ。俳句は俳人たちの様々な意欲的試みを軽々と飲み込み、常に誰のものでもない〝俳句〟として立ち現れる。どんなに斬新であろうと表現されてしまえばそれは必ず俳句に吸収される。作家は俳句の奉仕者、媒介者のようだ。
従って俳句は作家に先行する。言語化された俳句作品に先行する。だから俳句世界では本質的にはどんな出来事でも起こり得る。安井の『紫小屋に椿投げいれ火事となる』の句には文字通りの意味しかない。紫小屋に真っ赤な椿を投げ入れれば炎が噴き上がるのである。それは現実との対応関係を持たない言語的事件である。しかし自己と俳句作品(言語作品)に先行する〝俳句〟の本質に迫るためには、現実の制約を取り外してやる必要がある。
俳句の『取り合わせ』は奥深い概念だ。それは習い事としての俳句から、高度に修辞的な作品までを生み出す。しかしどんなに足掻いても全ての試みを飲み込んでしまう俳句と闘うためにはそれに不意打ちを食らわせる必要がある。〝事件〟を起こしてやる必要がある。僕が前衛俳句を俳句にとって最も本質的かつ根源的試みだと考える理由がここにある。
絶対言語が言語化されれば不在と化す仮象の観念である以上、『密母集』的な密教観念も、西脇詩的な禅的観念も、確固たる表現のよりどころとすべき思想ではない。しかし安井は、それらの思想を弁証法的に統合しながら未知の表現地平を探究している。驚くべき数の作品を書き付け、それを解体・再構成してさらに上位の表現を探っている。
岡野隆
■ 『天蓋森林』表紙 ■
■ 『天蓋森林』本文 ■
【未刊句集『集成 天蓋森林』書誌データ】
手製本。満寿屋製の原稿用紙を二つ折りにして章ごとにホチキス留めしてある。『第一部 月光抄』、『第二部 奥海抄』、『第三部 雷(いかずち)抄』、『第四部 現身抄』から構成される。各章の原稿用紙の枚数と収録句数は、『第一部 月光抄』17枚・34ページ・171句、『第二部 奥海抄』16枚・32ページ・185句、『第二部 奥海抄』14枚・28ページ・168句、『第四部 現身抄』16枚・32ページ・190句である。全714句が収録されている。後に第8句集『乾坤』に収録される句が152句、第9句集『汎人』に収録される句が60句、第10句集『汝と我』に収録される句が4句含まれ、残り498句は未発表句である。『自序』に『「天蓋森林」は、六月五日、西脇順三郎氏逝去の翌日より創作開始されたものである』とあり、『昭和五十七年十一月三十日 著者』と年月日が記されているので、昭和57年(1982年)6月5日から11月30日にかけて制作されたことがわかる。安井46歳の時の作品である。
【集成 天蓋森林 安井浩司】
自序
本集成「天蓋森林」は、六月五日、西脇順三郎氏逝去の翌日より創作開始されたものである。ここに疎漏多きを自省するほかはないが、清記を終えて、今は静かに休息したい気持である。なを、本集成終盤に、突如、急性胃潰瘍の診断が下ったのは劇的であった。
昭和五十七年十一月三十日 著者
目次
第一部 月光抄 171句
第二部 奥海抄 185句
第三部 雷(いかずち)抄 168句
第四部 現身抄 190句
総714句 収蔵
第一部 月光抄
月光や聖歌手と蟇が出会う時
煙かけて鬼百合群(むら)を裁く庭に (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
夏の花鶏は午(ひる)を越えておる (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
蓬にねて頭蓋の縫合される日ぞ (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
おとうとは花弁を閉じて霊の花 (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
青鷺啄(つ)くと墓の肩はくだかれて
老師訪えば葉蔭に隠れる早(さ)桃たち
鮒の存在知らせるために漣起し (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
龍胆道隠者の次女が従(つ)いて行き
鶏頭に鶏は激しく触れている (⑨『汎人』『今世抄』)
奥羽夏の草に没入するひばり (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
紅花揺れる弱(よわ)鶸にのみ雷落ちて
夏鷺が狂えるあたりに家建てん
定家葛ひそかに髑髏へ根を延ばす (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
永遠の淡(は)竹の揺れに鯉隠れる (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
羔いぶすや日輪は雨の山頂に (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
秋雨や野に鹿伏すと猪伏して (⑧『乾坤』『現身抄』)
※
病む猪を射(う)たずに帰える雨の花 (⑧『乾坤』『現身抄』)*1
虎杖ばかりを分け山頂に到る道 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
般若授かるさるすべりから二歩離れて
夜陰かの山頂を歩く者がおる
淋しそうに石に擦れる鮎の音 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
巡礼より先に犬来て石清水
砂の道仏陀は鶏を袋に入れて (⑧『乾坤』『深淵抄』)*2
荒鹿みえる危うき鏡に蔽いして
埋葬し地上におおばこうすく生う
神がまず先に食う紫蘇のてんぷら
気附かずに鴉ども過ぐ花葡萄 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
妹坐り姉が逆立ちしている弥生
堤に跳ねる精霊バッタ雨濡れて
葡萄畠へ乞食は崖道のぼり来て
下女は想え森の奥処に振る斧を
去年の獐(のろ)はまたわが窓を窺うぞ
声かけても花じゅんさいを摘む乙女
山猫に雨ふる山上は雪解して
鬼城忌の山頂に茸聳えるもの (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
花鶏(あとり)いて永き器が黒土に (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
遠つ家の花魁草は如露をまつ
湧く雷に崖は花鶏(あとり)を憩わせる (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
校塔も見えず胡蝶の圏(わ)の中に
日の下に霍乱(かくらん)したかや唐黍畠
小熊星盲女を山頂(やま)に到らせる (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
学舎燃えて大麦畠も焼ける日ぞ
われら島の中心をめざす落花生
森に迷う妻は尿してかえでの葉
※
冬鷺に啄(つ)かるまで神々しい蜘蛛が
皿持つわれら野牛(のうし)の歩みと合流し
大寒の家青鷺の肉を下さい (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
日荒れて狭庭の草に蟲耐えて (⑧『乾坤』『狭庭抄』)
夏へ移る竹の多産な根や茎も
夏蟻近づく死して憩える聖骨に
我また生れん天窓のある冬の家
人よりも老いたる蟇が神女(かみ)の手に
※
楓散って樹下の鮒を分別せよ
薄氷を剥がせばその土新しく (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
野の砂に伏して芥子の粒吸わん
友はみな笹五位ほどに棲んでいる (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
朝餉にくる深雪をかぶった尨(むく)犬が
泣き行けば草は岸辺をよそおいて (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
麦秋や鈴は酒の中に有り
鳴滝や馬蝉を追うかの女 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)*3
女臥しておる枯崖の下の家
月山(がっさん)より帰れば夏の萎れ花 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
深山猫と坐し箴言に聴き入らん
神女(かみ)も子も尿してのちに昼餉食う
秋を知る盲女は瀑布に手を入れて
歩み行けばりんぼくが立つ夏の果 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
夏林間の空しき苔に爪立てて
盂蘭盆の浪は洗濯女をあらう (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
野遊びの通草が割れの音幽か
色すこし匂え通草の割れるとき
かつこうや野の水路たち交わらず
花火ひとつうち揚げられる情深い里
麦秋の饗宴に蜘蛛下りきて
野鳩なく首を標(しるべ)として置かん
永遠に岸作りおるや三四人 (⑧『乾坤』『現身抄』)
老母の家に楢は楓と諍(あらそ)うぞ
居酒屋に馬の病気を伝えくる
鶏を行かす接骨木(にわとこ)の匂うほうへ
今年またうぐい持ちくる蕎麦売女
みな中元の礼をするや青筵 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
中元なれや濯ぎ足して遊ぶ川 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
ちゝはゝと狗肉くらえば夏の闇
遠足や鳥羽僧正忌に雨ふりだす (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
雪蟲や神は断崖を摑もうとして (⑧『乾坤』『現身抄』)
裸身とならんどんぐり映る丸沼に
會良達は磯路の遊女を追い越して
父も母も白袴はき暑に伏すや (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
二階の窓から母は夏に憧れる
石降るや曾良と二人の晩餐に
花野を逃げる料理人を捕えんと (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
朝餉まで草上を鮭が這って来る (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
早春うぐいは通る神の指の間を
野の犬ら花持つ曾良を待つている
松島の夕空にふと蜘蛛の道 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
河骨やすでに正(しょう)師は坐り在(い)て
谷くだる風は曲りを含みおり (⑧『乾坤』『現身抄』)
うつむきに虎杖を折る師と思え (⑧『乾坤』『現身抄』)
さより下げ失楽の女を訪ねゆく
雪よ雪よと坐る正師に這い寄りて
ふるさとや遊女も相撲も帰らなん
花吹きこむ夏の土蔵の階段に
主(しゅ)を負い山路の葉に滑るとは
森道の赤土に湧くや揚羽蝶 (⑧『乾坤』『現身抄』)
西行を降ろした馬が朝顔くう (⑧『乾坤』『深淵抄』)
ひるがおの砂浅ければ車輪出て (⑧『乾坤』『現身抄』)
魚の眼も細くなる秋さるおがせ
風より先に行けど芭蕉は破れおる
西行は泪す雌雄の雲雀と思え (⑧『乾坤』『深淵抄』)
春嵐わが唇(くち)の片は天と地に (⑧『乾坤』『現身抄』)
雨鶫岩の陰(ほと)より首出すよ (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
よもぎもて熱の羔はくるまれん
雲雀焼くとかの山上は雨に入り (⑧『乾坤』『現身抄』)
西行は犬からするめを奪い取る
日吉神社に豆爆(は)ぜて面(かお)はじらいて (⑧『乾坤』『現身抄』)
宴するや杖は荒野をすぐ忘る (⑧『乾坤』『現身抄』)
神官を塗りきて左官は夏藪に
野蕗原宿なき人のかく迅く
学舎燃えるころ赤狐は雪穴に
買うとせん泥ばかり吐く白鶴を
成熟するか鉄橋のかの脚下の鱒 (⑧『乾坤』『現身抄』)
蝦夷人きて赤肌の木を薪にする
おおばこや吊鐘はいま地に近し (⑧『乾坤』『現身抄』)
べに花へ雄牛の咽頭よりしずく (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
花梨のくらがりに立つ闘鶏師
鹿若し金色(こんじき)の斧振られたり
雲の下吹かれて酸漿横たわり (⑧『乾坤』『現身抄』)
水流れる死人(しびと)の足から衣をとれば
古塔の下にからす麦も成熟して (⑧『乾坤』『現身抄』)
山上に花焼かれたり手毬花 (⑧『乾坤』『現身抄』)
春白昼のひとり物に遊ぶ蟲 (⑧『乾坤』『現身抄』)
夏ひそと空中の矢に加毒して (⑧『乾坤』『現身抄』)
白雪に消えゆく白杖もつ白髪
冬の神官首なき鹿も走りおる (⑧『乾坤』『現身抄』)
蝙蝠を追うブレイクほか父(おや)達か (⑧『乾坤』『現身抄』)
草原へかまどの火から蜥蜴出て
巫女と変(な)ることに松の下かわき (⑧『乾坤』『現身抄』)
遠足へきみ朝顔にもや残し
月輪を畠に繋ぐ岩ならん
射らるとき鹿は金色の心臓に
森林書焚けば雨から小児現れ
雨の森林歩く小児を恐怖する
終日小児は森のあらゆる果実を食う
蟾蜍遙かな詩型の声のふるえ
神曲やかの跳ね鱒は突かれずに (⑧『乾坤』『現身抄』)
寒鴉ことに鴉の骨をこのむらし
妹とならん竹籠入りに生命(いのち)来て (⑧『乾坤』『現身抄』)
黒鹿生れて藁の床から弾かれん
はたはたの怒れるよりも深き草 (⑧『乾坤』『現身抄』)
花はじかみに寄ればことに赤き鹿
残花ふらすため狂人は棉の中
鱒裂くと雷湧く谷の深処より (⑧『乾坤』『現身抄』)
春の中粘土を跳ねる小鬼ども
鶏をくい暗緑に骨投げるのだ (⑧『乾坤』『現身抄』)
遠雷や石吊る椎の木も裂けて
霜の夜やいくつ雄鹿の転ぶ声
蟇の頭も金色の鋤にくだかれて
絲杉や死人(しびと)はすこし身を退いて
白花もち伽藍を廻つて森へ行き (⑧『乾坤』『現身抄』)
夏の母が放つはじめに庭鳥を
百千鳥高き岸辺も濡れにけり (⑧『乾坤』『現身抄』)
見落とせばおきなぐさも雑草に (⑧『乾坤』『現身抄』)
頭に乗せて樫の車輪を廻わす秋 (⑧『乾坤』『現身抄』)*4
死なば暗緑頭より尾にいたるまで
夏へ夏へ魚の上を行く波ぞ (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
歓喜寺や岸を激しく突く鮭ら
森に投げし槍は鹿の脇にあり
誰もとどかず枯枝(え)に残る山梨に
二三人見て日の下にささら跳ぶ (⑧『乾坤』『現身抄』)
冬落雷は岸頭の犬のよろこびへ (⑧『乾坤』『現身抄』)
日曜のいばらに垢離の身を投げて
第二部 奥海抄
奥海なれや波を噛んでは躍る犬 (⑧『乾坤』『現身抄』)
密林山へ夏花くわえ鹿はこぶ
山風に隠れて斑の魚刺さん (⑧『乾坤』『現身抄』)
蹄病む牛は夏滝にとく憩え
狂女ねて風にみがかる小熊星 (⑧『乾坤』『現身抄』)
趺坐(あぐら)して御空ふかく鱒跳ねて (⑧『乾坤』『現身抄』)
瑞西人は急がるすすきの高波に
※
※
※
永劫の芋畠に骨を拾う人
薬草園の蛇もしずかに落魄へ (⑧『乾坤』『現身抄』)
顔も破れて月下に踊る二三人
山百合に午後の鱒は探究されて
水に坐すやこころの側(かたえ)を過ぎる魚 (⑧『乾坤』『現身抄』)
我は行かず檳椰子の辺の集会に
断食跡の深山菫は摘まれいて
春山上に鶉ばかりが上り来る
朝顔の下に乞食が居たんだよ (⑧『乾坤』『現身抄』)
野鼠や野をば忘れることが梵
花郁子や身は槍の辺に投げ出され
板上の翁の創造反復をゆるす
老農夫盗られし英書は森林に
麦穂静か黒き鶫の入り来るに
※
山上湖きみ銅色の鱒と変(な)れ
夏鳥衝く塔に女人が籠りおる
深山颪に枝鴉は吹き落とされる
東方では一人出て断(き)る竹の秋 (⑧『乾坤』『現身抄』)
中空ふかく蛇尾のそばの蛇苺
※
大鴉森林湿地に日を落とし (⑧『乾坤』『現身抄』)
遠き空に椎と楓が枝交えて
春の谷眼をむき牡鹿流れ去る
日に濡れて少年の槍は恋鹿めざす
千の梨ふらした老樹は地上見る
砂丘に眼つけてひらくや秋の風
夏は己れの道を隠す蓬の下に
伏して唱う鮒は濁り蝉は澄み
水際に蛇もて縁どられる皿が
殺すまでもつれる蝶と高地人 (⑧『乾坤』『現身抄』)
鉦をもて蝶を誘う高地の人々
夕火事や雲雀は走る草の上
聖母を語る草上に裸女といて
低く隠された村落へ僧向う道
蛇(おろち)をはこぶ出羽山稜を腹擦りに
畝辺に遊ぶ自ら身を脱けるとは (⑧『乾坤』『現身抄』)
※
夏のあらし一(ひと)日の死生の鶴を飼う (⑧『乾坤』『孟夏抄』)*5
天心は荒れて夏猫を隠す花 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
一老人と虎が月下に埋葬されて
青鷺は網から蜘蛛をくわえ去る
瞑(めつむ)りおれば童が薪を盗りに来て (⑧『乾坤』『現身抄』)
鳥海山をくだる腋窩(わき)に雲ひとつ
翁の詩は継がれまい池のみじんこ
山塊のじやこうあげはは消えている (⑧『乾坤』『現身抄』)
病む鹿のそばにあざみは色示す
野茨(のばら)より首だす女も棄てられん
林間に貨車捨ててある夏の花
恋人は足萎えて鐘撞きに来て
夏の月寝床を逃げる家鴨ども
かの詩家は向日葵に酒吹きつけて
ふるさとのなげしに夏花突く槍ぞ
夏雲雀地上に己が名を忘れ (⑧『乾坤』『現身抄』)
四月はや博徒らつどう椎の下
山路ゆけど何かを怖れて岩隠る
恋人の家にあぐらして田園の嵐 (⑧『乾坤』『深淵抄』)
樫の木に尿した博徒も殺されき (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
過ぐ虎は雲雀の巣さえ忘れたか
牛頭向き来る人違いと叫べども
恐怖曲や揚羽は松を下降して (⑧『乾坤』『現身抄』)
かの宙の桔梗の鉢を盗まんや
べにばなに置けや失神の旅人を
日輪荒れて酒に蓮の実を入れて (⑧『乾坤』『現身抄』)
小さな老人淵から鱒として去れり
蕉門来るか西の山肩すこし光りぬ
今年なぜめぼうきばかりが前庭に
青乞食行くや荒地に米こぼし (⑧『乾坤』『現身抄』)
息つめて通る楓が酔い荒れて (⑧『乾坤』『現身抄』)
恋人は真澄の淵を泳ぐなり (⑧『乾坤』『現身抄』)
絲杉の辺に提燈は億燃えて (⑧『乾坤』『現身抄』)*6
墓まで来て槍草痛し帰らなん
野苺やそこに麻痺した僧らしき
朝鮮乙女に刈られし棕櫚も裸なる
花鑢(はなやすり)言葉はさらに短かきを (⑧『乾坤』『現身抄』)*7
絵燈籠森より巨人は歩み寄る (⑧『乾坤』『現身抄』)
生者ねむり鶏燃えている竹の中 (⑧『乾坤』『現身抄』)*8
居酒屋でふと蟲を食う神を見る (⑧『乾坤』『現身抄』)
遊女と会う前庭に松毬転がって
巡り来てあらゆる野蟲を忘るべし
野に朽ちた車輪を攻めるはたはたら
あじさいや鍛冶打つ神と思われる (⑧『乾坤』『現身抄』)
妻の前で蛇捲き上げる弟子若し
山風や鮎食えど君銭とらず
枯葎ふと消えてゆく謝霊運
走り来てがくがくと坐す青荷(はちす)
傴僂女も娶られゆき日はまた昇る
きみは茄菜に入れんいらくさの一葉
※
神もまた泪す小娘の陰毛に (⑧『乾坤』『現身抄』)
心高くひとり前庭に宴して
妻抱くや魚とる弟子は谷底に
山風や小松を登るうぐいども (⑧『乾坤』『現身抄』)
学友と逃げ来て階前の車前草に
花合歓の下に「蛇女(レイシヤ)」を抱きねむる
逝く春や坐れる鹿の角枝ぞ
女乞食より梨は投げ返される
うぐいどもに女乞食は陰見せて
土器の片与えにどいも奪いけり
新妻が泣きゆく蓮見小屋がある (⑧『乾坤』『現身抄』)
野遊びの鴉と児等が飛べば赤し
漁婦ら隠れやすき海辺の森ひとつ
鰯雲大喚声は綱引きか
八月の頭上に百鳥荒模様 (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
婢女逃れきて泣く森の下草に (⑧『乾坤』『現身抄』)
女学校の緑蔭の鬼等哄笑して
沢から来て色を濃くすや淵の蟹
遠帆やがてここに入らん緑蔭の湾(うみ)
神女(かみ)はひそかに枯枝を挿す肉身に
永遠に死人(しびと)をはこぶ地の蟲ら
山上の穴白花も雲も吸われて
わが魚を光らす苦行の林間に
夏樹の下で瞑(めつむ)ればふる蟲と花
※
もう誰も来たらず麦穂の熟れ登る
青乞食こころは雲雀をよそおうよ (⑧『乾坤』『現身抄』)
埴安のおおばば死せり路の上 (⑧『乾坤』『現身抄』)
石山の蝶を手招ねく居酒屋に
闇の人々鶏鳴いて父母おもう (⑧『乾坤』『現身抄』)
神の横でとぶ朱の痣の鱒ばかり (⑧『乾坤』『現身抄』)
風の乞食へわが股引を差出さん
いもうとは鵜川の人と契つたり (⑧『乾坤』『現身抄』)
野鳩降りてくる巡礼の骨の辺に
恋人とただ菩提寺へ毬つきに (⑧『乾坤』『現身抄』)
盂蘭盆の海素裸で歩み入る (⑧『乾坤』『現身抄』)
夏祭足おそろしき鶏を舞う (⑧『乾坤』『現身抄』)
寺町の莫連女ぞさるすべり (⑧『乾坤』『現身抄』)
乳(ち)を我に旋頭歌を口ずさむ母 (⑧『乾坤』『現身抄』)
※
一生一日として泳ぎおる奥羽の海 (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
山川や夢路のはてに栗鼠とりす (⑧『乾坤』『現身抄』)
雪の酒一人が刺客を遁れきて
少し遅れた薄のみ知る十二月
雨近ければ軒の種壺破裂して (⑧『乾坤』『現身抄』)
夏茸(たけ)を裂きたる法師の杖恐る
宴終り法師は叫び流れる川に
犬は聴く帛(きぬ)裂く音を秋の世に (⑧『乾坤』『現身抄』)
先翁へちかづく鶉の姿をかりて (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
夢の終りが茸飯を食(め)しまして (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
山川や新しき薪の流れたり
波打際に鱏(えい)を圧えて遊ぶ母 (⑧『乾坤』『現身抄』)
すぐ濁る春鳥過ぎし空の跡
昼月飛ぶ臥牛の尾は蓬の中に
かの柿色に老師の脚を犬なめて
何か恐れて五月は屋根へ上らずに
白壁や蕉門冷物食い死ねり (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
幼声のこの鶏初めて鳴く天に (⑧『乾坤』『現身抄』)
兄妹老いて鵞鳥の卵を争えり
岩山をゆけば裂け目に在る新(しん)花 (⑧『乾坤』『現身抄』)
土間に蛇来ても抱朴子は怒らない (⑧『乾坤』『深淵抄』)
老母(はは)訪えば鏡に隠れるみそさざい
釣り星や女は蘭を走り来て
鶴殺し戸口に置けば誰も来ず
西行を鴉の餌場(えさば)に見たと言う
※
ひるづきを宙吊りにして西行道(みち) (⑧『乾坤』『深淵抄』)
咬まれてから蛇の歌のみ作る妻
胸病む友は酒に山蛭ひとつ入れて
大鞦韆おみなは雲へ飛び去りぬ (⑧『乾坤』『現身抄』)
大鞦韆往還の人別の人 (⑧『乾坤』『現身抄』)
ぶらんこや鞦韆と倒語するもよし (⑧『乾坤』『現身抄』)
野梟死人(しびと)の手より豆こぼれる
月山(がっさん)くだる乞食は椀に雪入れて
狂僧指さすかけじくの飛ぶ鶏を
岩下に詩人墜ちてもわれら月見酒
菩提樹や坐わる博徒と家族ども (⑧『乾坤』『孟夏抄』)*9
死人(しびと)いま竹の葉に文字現われる (⑧『乾坤』『現身抄』)
夏茸(たけ)くいし神は少し寒気(さむけ)して
小おんなの虱も我に移り来る
西行道(みち)拾えば雲雀が蘇生して (⑧『乾坤』『深淵抄』)
山分衣を水で洗いまた火で洗う
巡礼去る野雉子の羽を焼き残し
われら朝餉の上に数個の雷(いかずち)いて
根本にそむける夏鹿埋める森 (⑧『乾坤』『現身抄』)*10
笹の葉ずれに長足痛し西行道(みち) (⑧『乾坤』『深淵抄』)
春全山へ急に御膳を立つ鴉
その中に西行と鴉の狂う小屋
巨き影来て地の夏蟻を痛撃し
風をもて寝棺ひらけば麦粒ばかり
天心を飛ぶ肉弾と呼ばれても
重き雷落ちずに草上鮭はねて
大鮭を抱き草上にすわる裸女 (⑧『乾坤』『現身抄』)
永久(とわ)に石段くだる猪が秋の風
睡蓮や朽木の車輪も浮き上り (⑧『乾坤』『現身抄』)
時に鮒落ちてる階下の雑草に
※
第三部 雷(いかずち)抄
山鱒や大き雷(いかずち)の分れ去る (⑨『汎人』『今世抄』)
稲妻に夜は稲の道見えて
月光や流れる椀に蛭ひとつ
祖父の前で泣く朝礼や芋の花
炎昼の花いつまでも舌下の塩
かの谿に雷(いかずち)いくつも生れいて
落ちた耳は茸として生う辺境に
炎昼さまよい行けば旧師が鞦韆に (⑨『汎人』『今世抄』)
大花野ぽつんぽつんと乞食立つ
雨星や樹に吊るされて雨乙女
迷う雲雀月光に翼が萎えて
苔の花車輪に裂かれる水溜り
旅団発つ地上の鱈を置き去りに
のうぜんかずら鳥刺しの君ふらり
くるしみの兜と思え夏の花 (⑨『汎人』『今世抄』)*11
秋風や車輪を懸ける白壁に (⑨『汎人』『天蓋抄』)
大雪のけさの獐を倒懸(さかつ)りに (⑧『乾坤』『深淵抄』)
眼差しが今日の蝶類強(こわ)く忌む
夜の風は森の蝶類吹き出さん
激越の正師にそそぐ合歓の花
乞食として去るや麦穂登(みの)るのに
母の辺に帰える月餅と寝るために
祖父(おおおや)を拝礼してのち月餅食う
明母がつくる天余の大月餅ならん
祖母が並べる蛇の絵の月餅も
月光に焼かれて斑猫息絶えし
奥羽歩みだすぼうぜんと紅の花
歌い行けど山路の果てに蛇を切り
夕空にうかぶ百済の物ひとつ
逝く父に赤松の苗を握らしむ
姉吊れば昼の林に鉄燈籠
森に坐る故意に足骨うち砕き
僧院に目刺賣りの近づく寒風
羔の群に霧を震わすものが居る (⑨『汎人』『今世抄』)*12
自らあふれきて毒洩らす夏の蛇
夏あらし浅瀬の鱒も損傷し
狂人は椎生う山に妻は家に
昼月を洗えば上流に狐あり
神を忘れて夏白波に叫ぶ妻達 (⑨『汎人』『天蓋抄』)
鳥影を濃くすすぐりの藪の実に (⑨『汎人』『今世抄』)
夏の岩に置く古代歌集をひとつ
鶏の肩にふれる巨匠の手の温もり
英詩うたわん山稜の亡霊を指さして
蛇はみなひびく車輪の夏祭 (⑨『汎人』『天蓋抄』)*13
日盛りの瓜を圧える狂僧か
夏人語狂いもやすし竹の花
喋りつづける春海上の空瓶ども
蛇や百足や香の樹のそば恐ろしく
松島では松の浮き根をくぐる小鴉
烏揚羽を恐れるきみは辻の歌手
夏草を押分け行けば養魚家の墓 (⑨『汎人』『今世抄』)*14
月光や泳げば蛭が胸に来て
夕空の無数の柿が導かれ
若蜂は死人(しびと)の眼窩を出入りして
月光に照らさる山頂から地底まで
麦納屋に影ばかり棲み冬過ぎゆく
夕の空柿から柿へ蟲はねて
※
能楽堂裏の春草爪に搔かれて (⑨『汎人』『今世抄』)
強(こわ)蔓に包まれ石柱折れしまま
紅鱒も焼かれる遠い森火事に
今日こそ蟇に落つ石の柱頭が
鱒正面に坐る膝は雷に打たれて
能面ふと上げれば竹林燃える夏
夏の嵐に鶏の筋(すじ)肉ひとつ流れて
日蒼くかの家具を噛む狼ぞ
森やく火昼は隠され塔の中
棒をもて我から鹿を遠ざける母
校舎より見る山猫が血を吐くよ
夏の女は地中に鮎を埋めておる
假睡するや寺院の地下まで夏嵐 (⑨『汎人』『今世抄』)*15
砂上から機関車は去る夏の花
国境に白馬ひとつ夏のあらし (⑨『汎人』『今世抄』)*16
国境よりも落雷はわが食卓に
遠足や貘のみに雨降っている
地酒あれば礼拝堂に焼くするめ
白孔雀見るふところに雲雀を隠し
夏風を通せり白磁破片の道
雲へ鳴くや鶉が枝の結節に
軽い雷その下を蜂自在に飛び (⑨『汎人』『今世抄』)
祖母は合掌しつつ日陰の温泉に
歩く仏陀鶏が扉に吹きつけられて
新(にい)なる借家まず風鈴から盗まれて
老哲人は丘から小石を摘まみおる
遠尾根に馬はねるふと東洋の春 ((⑨『汎人』『天蓋抄』)*17
峰から峰へとぶ大鹿の仏生会
心さわぐや谷の氷をとく風に
一本の野蔓は死人(しびと)の喉中へ
流れ初めて氷も魚も洗われん
祭果て出で行かぬ鬼殺すなり
春沢の隠者の小屋を見て哭かん
去りぎわに喉少し切る笹の生家(いえ) (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
狂い女は生鮎咥えて冷ゆるべし (⑧『乾坤』『孟夏抄』)*18
能面に奴婢はかくれて夏の嵐
盗み来て夜の温(ぬる)湯に鶴入れし
花の下肩胛骨から狎れ合うか (⑨『汎人』『今世抄』)
雪の蔵開けば出てくる鹿ばかり
春一日終れどあれは下りない雲雀
谷道の花に生鮎そつと挿し (⑧『乾坤』『現身抄』)
朝顔の蔓はふと神学者の方へ
枯野来て白壁に鹿消えゆかん
風琴は破れ野蜂が棲んでいる
※
最も遠い山首あげて唱うキリン
首成熟さねば地に叩きつけるキリン
砂道に車輪埋もれて合歓の花
天上に砂地あり瓜ばらばらと
円として冬の虹は地中にも (⑨『汎人』『今世抄』)
波打際の白泡に鱒隠れるや
神の鹿や背に斧くくり放ちけり
灰色の鯉食うて皆行方も知れず
寝台をこわしおれば向こうに海豹
野川をはさみ二人の老人速歩する
日曜なぜか稲穂が海辺に漂いて
不安の牛はふと青杉に囲まれる
空谷を雉子渡るとき真竹裂け
行く村の嗄れてカリヨン夏の花
日溜りに坐れば北空渡るカリヨン
きみ永久(とわ)に顎刺せる蜂追うだろう
ある郷につづく樺(かんば)かくれ鬼 (⑨『汎人』『饗宴抄』)
花車御身を縛りつけて行く
松原に沖の濡れ石曳く人ら
小寒の鶴抱きねむる狭筵に
日輪よりも静かに車輪狂うべし
蛇の壜ひとつ置かれる笹の常世に
蓑を拾て堤を行けば花じゅんさい
六月の僧桃(とう)と呼ぶ毛なき桃 (⑨『汎人』『今世抄』)
慟哭の山に深山の蠅ひとつ (⑨『汎人』『今世抄』)
昼頃から虎杖立つや全山に (⑨『汎人』『今世抄』)
流れ雲ふと鶏の貌おそろしく
隠者の辺まできて昼野火は後退し
裏戸より出でゆき月に消える婢は
逃げし馬は真夏に帰える麦ほとり
山躑躅きみはいずこの寺娘
中空荒れて吉祥草を刈る乙女
山桃の根のみが遠き地震知る
遊女も見よあれが猪の交(さか)る山
夏果ての老師の脚も延べられて
抜いてすぐ捨つ浜防風の白茎を
悼・西脇順三郎
老農亡きお盆は殊に波立つ海ぞ (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
氷水嘆けば小雨落ちて来て
炎天をゆくや一尾の鯔(ぼら)背負い
青鷺を行かす塔に輪が鳴ると
椀ぐまえの雨気(け)ふくむや茄子畠
亡父きょう奴婢達つれて松島へ
そこらまで鍾馗(しょうき)が来ている夏祭り (⑨『汎人』『今世抄』)
雷鳴りわたり酒召し上れ鍾馗(しょうき)さま (⑨『汎人』『今世抄』)
神が見おろす鱒は渦の中心に (⑧『乾坤』『現身抄』)
翁草摘みたる童女の中で死に
狂母はや鶉を床に投げている
狼煙や野罌粟に伏して頭の濁り
枯野見渡す所に芭蕉移植されて
雨気(け)感じて死人(しびと)とこもる蕗蔭に
雷に打たれて黒葡萄みな成熟して
貘の貌うつる山田の盗み水
山鱒に泪をこぼすや寺娘
白泡に百姓溺れる盆の海
墓を洗いに行って泳ぐや盆の海
貘のごときもの流れおる盆の海
楓まできてふと古代の雲を逃し
老農最後の熊手はいばらの花搔かん
うどん食うみな夏波の行方無み
風の夜の神女(かみ)が白茎漬けるらし
※
遠足や花片栗に血を吐いて
沙羅双樹いま夏土に花を消し
小おんなは耐ゆ青稲の寂寞に
マントに隠れ善知鳥神社に泣きに行かん
日に背きいばらを深く刈る乙女
※
女乞食を招くや月下に鮒焼いて
嫁ぎ入れば棘からたちの鬼鬼し (⑨『汎人』『今世抄』)
第四部 現身抄 190句
日は照らす浅瀬の鱒の現身(うつせみ)を (⑧『乾坤』『現身抄』)
深山菫髑髏のそばに盃ありて
己が身の荼毘の煙を吸う春ぞ
泣き来る人に挿すや夏の柊を
隠者いま盃ほうれば水を切り
神官(ねぎ)の妻は山頂から水流しおる
夏川失せど鱒は地を嗣(つ)ぐらんに (⑧『乾坤』『現身抄』)
※
夏密かなる苔庭も鞭打たる (⑨『汎人』『今世抄』)*19
白煙消える春の空かの空隙へ
溺死人に鳥どもとまる盆の海
八月の部屋で孔雀が叫ぶらし (⑨『汎人』『今世抄』)
楓落葉に隠者の鱒は隠されて
玫瑰の熟れ実の数珠を作り捨つ (⑨『汎人』『今世抄』)
青鷺の辺の文明は深く啄(つ)かれて (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
野菊叢廻る車輪は水平に
雨濡れて小おんなの魂(たま)烏瓜
鰍漁(かじかと)りに行く道草は茸を隠し
山桃の幹まで飛びゆき揚羽消え
鳥海山から聖合唱はなぎさの方へ
枯野に坐る見者に鱒は見えている
花庭にさまざまな鳥が頭を捨てて (⑨『汎人』『天蓋抄』)
かるかやを走る前妻(こなみ)は永らえん (⑨『汎人』『今世抄』)
しじみ蝶隠者の衣の襞におる
断食者に供える空膳百日紅
花蔭や近づけば散る賤女(しづめ)ども (⑨『汎人』『天蓋抄』)
神にささげる林檎酒に蛇溶いて
タンポポの花つく車輪廻るばかり
山道の女に笹葉で鮎を出す
杉皮被て乞食をなるや杉の花
横たう杉の中から蝙蝠掴みだし
奇蹟なくあやめを歩ける黒犬が (⑨『汎人』『今世抄』)*20
恋人は熊野に来たと泣き伏すぞ
かるかやの野末に夫子うどん打つ
小さな雲が下りきて地上の鱒包み (⑨『汎人』『今世抄』)
時代を逝かすや杉の汗杉の塩
祖父がほうる青銅銭は鹿を切り
ぼんやりと大樫の蔭に蟲賣る人 (⑨『汎人』『今世抄』)*21
夏荻を分け来し車輪も木の片に
石山の湯殿をひらけば雲ばかり
大鱈を背負い南部をたずねけり
窓にねむる小おんなの魂(たま)遊離して
夏の嵐神宮から母退(さ)りまして (⑨『汎人』『今世抄』)
歌いつつ草山に鹿殺しおる
松籟に父は倒れて酒吐いて
寺院深く雨雲に縄投げられる
微笑せりみみずの多き畠にて (⑨『汎人』『今世抄』)
西赤らむころ荒壁にさまざまの線
今日殖える小神がすぐりの珠となり
天の川河原に小屋を押し倒す
小林のうしろに忍ぶや昼の海
雨燕地上の相撲柔かに
春は友雑木山作文せよ
枯野では旅人に銭が与えられ
午後の木賊に料理人が昏くなる
今日刎ねるし鶴の首持ち集いけり
花煙草吉祥集会を主宰して
割竹に餡盛る店が道に在り
紅花や左半身から狩られる日
芯を持ち扇に蝉の屍をのせて
指さして宙の車輪を廻す秋 (⑧『乾坤』『現身抄』)*22
故郷を出るとき薄氷はがす烈風
北西から来る人へ向く寺がある
老鶏は火事より逃げず金色に
溺死人胸下に白鯉ひそむのか (⑨『汎人』『今世抄』)
天上すこし歩く蝉の現(うつろ)なれ
棍棒もて鴉の肩をたたく秋
雨季過ぎて巻軸曝す崖がある
裏海まで来たらず南部の遠雲は
恋人は火事にかりんを投げ入れて
手毬花虚空へ毬を投げよかし (⑨『汎人』『天蓋抄』)
汝が肉は鳥と遊べや高地の畠
遠野へ向う雪乙女の背に卍あり
鶏老いて車輪は蔓にからまれて
じやこう揚羽滝は自身を洗う夏 (⑨『汎人』『天蓋抄』)
午前から沼沢を射る誰かの眼差し
向日葵へ試問人のつめ寄るこころ
おとろえの雲雀は揚らず夏料理
城壁に鱈裂く光がいずこより
鴉きて熟れぬくもりの烏麦
祭きて氷室のわきの日蔭草 (⑨『汎人』『今世抄』)
瀑布に向い簾は自ら巻き上る
椎葉落つ巫女の眼が瞬くたびに
生(あ)れてすぐ翅黒とんぼは川渦に
夏神楽馬横向きに荒き川
奥羽道いま夕立は土の上
梅雨の川小心の猿溺れ去る
朝鮮の妹や飛ぶらん雲の下
日の下を怒り来たれば麦の花 (⑩『汝と我』『Ⅰ』)
秋風に狂人は喇叭を曲げておる
晩夏の人地平に筝を焚(や)くらんよ
婢女死んできよう最高の瓜の花
奥羽をくだる雲の脚かや山菫
雨岩に少年を待つ野鵐(のじこ)かな (⑨『汎人』『天蓋抄』)
晩春の路上の毬を伏し隠す
蛤の薬を想いおこすあきかぜ
とつぜんに蛇苺食う野巫の子よ
夏終るまで牡鹿より矢を抜かず
夏の雲妻は溺れて祓(みぞぎ)川
夏日照らすとき蟷螂は斧の上
夏はこべらの上に女の小寺院 (⑨『汎人』『今世抄』)
主(しゆ)を待つや野の食卓に蛇濡れて
ふるさとは蓮葉にのせて飯の球 (⑨『汎人』『今世抄』)
己が墓建てばことに顎(?)吹く秋風
裏海を越えきて告天子(ひばり)を連れてきて
放たれて妙高の山へ去る鱒ぞ (⑧『乾坤』『現身抄』)
海に遠しいばらの下の隠れ水
雪塊を割れば雀が生きていて
死も近き巡礼の膝まで夏の海
ぺんぺん草の道飛ぶや新(にい)仏ども
老農を焼かん葡萄樹を薪として
夏日あがり十字路に蛇が結ばれる (⑨『汎人』『天蓋抄』)*23
火事終り淋しさに火を点すらん (⑨『汎人』『天蓋抄』)
芭蕉等が来れば早苗に面(かお)隠し (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
聖集会やそばで交める雀ども
老い母の庭残雪に地震来て
野良酒や山から蛇のような雲 (⑨『汎人』『今世抄』)
黒岩を渡る思想は猿に抱かれて
小なるものへ放火して来て夏の海
山鱒のそばに鬼百合寂止して
白毬とんで森林住者の膝の上
春山の穴は誰か棲みおると
車輪水平にふれて廻る夏の花 (⑨『汎人』『天蓋抄』)
楓の下に遊女と大鱒を共有し
森林住者とふたつに割つて月の餅
藪ひらかれて一尾の鱈が開示さる (⑨『汎人』『今世抄』)*24
花煙草見わたす一切眼であれ (⑨『汎人』『今世抄』)
秋鴉みな火をくわえ空渡る
蟇の声また新声の起るころ
暗緑にして赤熱の鮎と成れ (⑨『汎人』『今世抄』)
山路それて塩商人は百合に来て
森林住者は衣を投げて鱒を隠し
春の浅瀬に脇骨ひとつ出ている魚
天蓋は吊り上げられて早稲の花 (⑨『汎人』『天蓋抄』)
赤腹はとぶ夏火事の興る日に
春の闇鶴の舌のみ残される
虎杖道師の残年を数えんや (⑧『乾坤』『現身抄』)
月山(がつさん)へ遺る馬の背に鱈くくり
天蓋ふかし孟宗竹にかがむ母 (⑨『汎人』『天蓋抄』)
石山を平らして父の歌舞の始め
葡萄まだ青く小さし精霊会 (⑨『汎人』『天蓋抄』)
蕉門は外套に鶏を隠し来る (⑧『乾坤』『孟夏抄』)
雨森や相寄り鎌は斧に触れ
四五人の友と離れて麦を刈る
老師より逃げきて泣くや菱の花
花おおばこの車輪の跡が宙に消ゆ
追いつめられて冬鹿の眼をする女
山川に冬を経て鱒逝く春ぞ (⑧『乾坤』『現身抄』)
その後(のち)の曾良は荒地撫子に
朴の花隠者の犬が呼びに来て
痩少年よ牛車を帰えして青野中
草庭の蟇より夏日も退くときぞ
鰐少し起きて東方の火事を見る
バクチの樹植えて蕉門恐るに足らずや (⑩『汝と我』『Ⅰ』)*25
恋人や安息香樹に見え隠れ
稲の道ふと満月より雲湧くも (⑨『汎人』『天蓋抄』)
寺娘火中に抛うれよ唐がらし
鴉啄(つ)いて定家葛の種子落とす
死人(しびと)待つや花蔭に寄る車輪ども
紫小屋に椿投げいれ火事となる
日へ行かす車輪に鱏(えい)を張りつけて (⑨『汎人』『天蓋抄』)
雨雲の下訶梨勒(かりろく)の実を受けん
砂浅き野木瓜の下の蟻地獄
蛇苺車輪は円を残し去る (⑨『汎人』『天蓋抄』)
主(しゆ)よ雨ふくみ毒ふくむ鳥兜
鶴突きし棍棒ひとつ焼く庭に
蛇の震え訶梨勒の実が登るころ
芦屋の板を一枚剥がすさらば春月
花煙草風に地蜂は麻痺したる (⑨『汎人』『今世抄』)
色ふかき盲女と会うや椎の道 (⑨『汎人』『今世抄』)*26
鱒の喉につまる花びら山躑躅
山すみれ女の幕屋を噛む犬ぞ
素十達蜻蛉の群に追われおり
瀬に坐わる盲女の膝間に鱒静か
充分犬をそだてて訶梨勒の実へ行かす (⑨『汎人』『今世抄』)
夕空や腹もて山越えの鱒ひとつ (⑨『汎人』『今世抄』)
木の車輪よぎる野木瓜の砂埋(うず)み
雨ふかき森林に火事隠されて
火欲しき蛾は色糸に繋がれて
雨気(け)満つ方から鉄路を虎が来る
泪あふれくる訶梨勒に触れるとき
※
退(しさ)りつつ鬼と変(な)りゆく青檪
漆散るころ薪は縄に従わん
雲の友迎える栗枝を薪にして
砂とぶ畠に緑眼(りよくがん)の牛が現れる
痩少年ほうれば天路にくるまえび
渓流が蕎麦畠(はた)過ぎればやすらがん
※
日輪より蟲飛んでくる向日葵(ひぐるま)に
木瓜の藪皿割る午後の音がする
訶梨勒や目瞬きなすと花落ちて (⑨『汎人』『今世抄』)
※
されど近づく神の鱒も夕暮に (⑧『乾坤』『現身抄』)
※
【註】
* 句の後に収録句集名を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『帰える』は『帰る』。
*2 定稿では『仏陀』は『佛陀』。
*3 定稿では『蝉』は旧字の『蟬』。
*4 定稿では『廻わす』は『廻す』。
*5 定稿では『夏のあらし』は『夏あらし』。
*6 定稿では『絲杉』は『糸杉』。
*7 定稿では『短かき』は『短き』。
*8 定稿では『燃えている』は『炎えている』。
*9 定稿では『坐わる』は『すわる』。
*10 定稿では『根本』に『こんぽん』のルビ、『そむける』は『叛ける』。
*11 定稿では『くるしみの』は『苦しみの』。
*12 定稿では『居る』は『居て』。
*13 定稿では『蛇はみな』は『蛇もみな』。
*14 定稿では『押分け』は『押し分け』。
*15 定稿では『假睡するや』は『仮眠すや』。
*16 定稿では『夏のあらし』は『砂あらし』。
*17 定稿では『はねる』は『跳ねる』。
*18 定稿では『女』に『め』のルビ。
*19 定稿では『密か』は『静か』。
*20 定稿では『歩ける』は『歩く』。
*21 定稿では『賣る』は『売る』。
*22 定稿では『指さして宙の車輪を』は『頭に乗せて樫の』。
*23 定稿では『蛇が結ばれる』は『蛇結ばれる』。
*24 定稿では『藪ひらかれて』は『藪裂くと』。
*25 定稿では『足らずや』は『足らず』。
*26 定稿では『色ふかき』は『色深き』。
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■