No.011 未刊句集篇④伽藍抄/裏庭抄/奈落鈔/明母鈔唐門会所蔵作品で、安井浩司氏(以下敬称略)の第7句集『霊果』(昭和57年[1982年]・46歳)の原型になったと思われる未刊句集は3冊ある。『さるとりいばら抄』『春衣抄』『姉歯抄』である。このうち『さるとりいばら抄』と『姉歯抄』は仮題である。複数の原稿を含むためである。ただ唐門会の金子弘保によって1冊に簡易製本されているので、それぞれ一定期間内に書かれた原稿群だと推定される。以下に簡単に3冊の内容をまとめておく。
■『さるとりいばら抄』■
『三昧耶抄-近作四十五品-』(45句)、『さるとりいばら抄-近作四十六句-』(46句)の全91句が収録されている。『三昧耶抄』の扉に『55.7.10』、『さるとりいばら抄』に『55.8.7』のスタンプが押してあり、巻末にも『55.8.7』のスタンプがあることから、昭和55年(1980年)7月10日から8月7日にかけて制作されたことがわかる。安井44歳で、『霊果』刊行2年前の作品である。
■『春衣抄』■
1~6の本篇と7~10の拾遺篇から構成され、全108句が収録されている。巻末に『56.4.19』のスタンプがあることから、昭和56年(1981年)4月19日に制作されたことがわかる。安井45歳で『霊果』刊行1年前の作品である。
■『姉歯抄』■
『姉歯抄-旅人はいずこに-』(37句、抹消句1句を含む)、『牛頭抄-四十九句-』(49句)、『牛尾心抄-拾遺十五句-』(15句)の全101句が収録されている。『牛尾心抄-拾遺十五句-』というタイトルの原稿があるので、第6句集『牛尾心抄』(昭和56年[1981年])を刊行し、翌57年(82年)に第7句集『霊果』を刊行するまでに書かれた原稿だと推定される。安井45歳から46歳の期間である。
上記は未刊句集『さるとりいばら抄』『春衣抄』『姉歯抄』と、既刊句集『霊果』『乾坤』『牛尾心抄』の対応表である。表からわかるように第7句集『霊果』に収録された句が全部で97句、第6句集『牛尾心抄』収録句が4句、第8句集『乾坤』収録句が3句あり、残り198句は句集未収録である。
また句集『霊果』は『無窮抄』、『さるとりいばら抄』、『姉歯抄』、『八重撫子抄』、『厠抄』、『鬼蓮抄』、『鹿母抄』、『雪翁句抄』の8章から構成されるが、未刊句集から『霊果』に収録されたものは『無窮抄』から『八重撫子抄』の前半部に集中している。従って今回取り上げた未刊句集は『霊果』前半の草稿原稿であり、『厠抄』から『雪翁句抄』の後半部草稿原稿が存在した(している)可能性が高い。
『No.010 未刊句集篇 阿賴耶抄』『No.011 未刊句集篇 伽藍抄/裏庭抄/奈落鈔/明母鈔』で論じたように、安井は第5句集『密母集』で句集の表現主題(思想)を密教的な〝母性〟に絞り込んだ。安井の師・永田耕衣が処女句集『青年経』の跋文で、『安井浩司は(中略)迅くから、自己の俳句文芸において、超越的関係の創造、つまりカオスの創造に、苦楽の日々を責めている新奇な好漢である』と書いたように、安井俳句には初期から現実世界との対応関係を持たない事象が表現されていた。安井はそれを『密母集』で、万物生成の根源的存在である〝密母〟に集約しようとしたのである。
ただ巨大なエネルギー総体である漆黒の闇から光が生じ、それを契機に万物が生成されてゆくと説く密教思想を、安井はそれ以上継続探究しなかったようだ。転機になったのは第6句集『牛尾心抄』である。この句集は安井の畏友・大岡頌司が運営していた端渓社の企画出版として刊行された。『一日二句、五十日をもって百句製作を完璧に実践する』(『牛尾心抄』『後記』)ことを求められた句集だった。句作は三月十二日から四月三十日まで行われたが、『密母集』のような主題は設定されていない。
農夫の犬も入るかの聖行列に
牛の背に怒文(どぶん)結べば西に消ゆ
たましいの銀夏(ぎんか)地方に牛消えて
春土ゆく蛇を化遷(うつろい)のままにせん
斜面を移ろう山猫達の好み歌
西方からきて蝦夷菊に終わる人
(『牛尾心抄』より)
『密母集』は万物生成の〝母〟を主題としたため、『栗の花おみなは人を孕むらん』『夏の海ふとヴァイオリンの妊娠へ』『麦秋の厠ひらけばみなおみな』など女性を詠んだ句が多かった。大地にどっしりと腰を据え、豊饒神としてなにかを孕む〝母〟の姿が好んで描かれたのである。しかし『牛尾心抄』では引用句にあるように、『西に消ゆ』『牛消えて』『化遷(うつろい)のままにせん』『斜面を移ろう』など移動を歌った句が増える。安井俳句は再び移動・変容を始めているのである。
昨今の私は、われに巡り来るものの大きさと高さをしきりに感じると共に、また自ら削ぎ落とし、放擲してゆく血肉量を痛感せざるをえない。(中略)東洋詩人の偉大な先達たちが、わが現在の危うき年齢(四十五歳)の前後から、次第に霊的に上昇して行くことの意味が、少しずつ判りかけてくるのである。そんな前方に予感される霊的なものこそ、なぜかみな個の哲学を超え行くように思われ、私もまたかく導かれるらしいのだ。
(『牛尾心抄』『後記』)
『牛尾心抄』の『後記』で安井は、『密母集』以降に訪れた変化を、『霊的に上昇して行くこと』だと述べている。またこの霊的な上昇は『個の哲学を超え行く』ような種類のものである。安井は万物生成の核である〝密母〟という濃密な存在(観念)から、その正反対である無私的な〝空無〟へとベクトルを転換しようとしている。
それは句集『霊果』の冒頭句、『稲の世を巨人は三歩で踏み越える』からも読み取れる。『巨人』は世界を達観して通り過ぎる何ものかの姿(影・幻)であろう。『霊果』という句集タイトルは、『密母集』の密教的世界観とは打って変わって、世界を無の一如で捉える禅的な心性を表していると考えられるのである。
それにしても安井の選句眼は厳しい。未刊句集『さるとりいばら抄』『春衣抄』『姉歯抄』には合計300句が収録されてるが、実にその約三分の二の198句が句集未収録句なのである。特に『春衣抄』は1~6(本篇)と7~10(拾遺篇)から構成されるまとまった連作句集である。全108句が収録されており、これだけで薄い句集を刊行できるはずである。
この句集の並びを精読すれば、安井がどのように句作を行っているのかおぼろに理解できるだろう。『春衣抄』は『春衣は屍を隠す小学校脇の道』で始まるが、句は『道』に沿う形で展開されている。『春能楽堂へゆく馬道と牛道と』、『黒部西瓜を植えて盗らせる畠なれ』、『紙魚(しみ)に引かれて東へ僧都帰りけり』といった形で、道を行く(歩く)ことと、その途中での情景という形で句が発想されている。
しかし安井は句集を編む段階で、このような句集生成の過程的痕跡を全て消し去ってしまう。『春衣抄』はバラバラに解体され、公刊句集にはわずか23句しか採られていない。ただ選に漏れたからといって個々の句のレベルは決して低くない。安井が当時構想していた句集の主題(思想的コンセプト)によって句が選ばれたため、大量の未収録句が発生したと考えるべきだろう。
暮春一本足もて通るや本願寺
田園の詩翁貧して紙啖うと
朝鮮海峡渡りきて角の饂飩屋へ
いつからか我家の周りは菜種のみ
日本海へ出でゆく筏に春小猿
田園行けば農童はわれに小猿放つ
野に出て遊女は松の実を食し
嗅ぎにゆかん農婦の巨きオリイヴを
沢芹や歌謡(うた)もておみなは開かれね
童女にまねかれ不老不死の温泉へ
『春衣抄』から未刊句を十句選んでみた。『暮春一本足もて通るや本願寺』、『童女にまねかれ不老不死の温泉へ』など実に安井らしい秀句だと思う。また『密母集』に比べて動きのある句が多く、それに伴って視野が大きく開けたような印象を受ける。『朝鮮海峡渡りきて角の饂飩屋へ』など、諧謔的な句が散見されるのもこの時期の特徴だろう。
岡野隆
■ 『さるとりいばら抄』表紙 ■
■ 『さるとりいばら抄』本文 ■
【未刊句集『さるとりいばら抄』書誌データ】
手製本。満寿屋製の原稿用紙を二つ折りにして表紙・見返しの紙を足し、和紙の表紙でくるんで糸で留めてある。原稿用紙の枚数は8枚(16ページ)。『三昧耶抄-近作四十五品-』(45句)、『さるとりいばら抄-近作四十六句-』(46句)から構成される。全91句が収録されている。後に第7句集『霊果』に収録される句が38句、残り53句は未発表句。『三昧耶抄-近作四十五品-』の扉に『55.7.10』、『さるとりいばら抄-近作四十六句-』に『55.8.7』のスタンプが押してあり、巻末にも『55.8.7』のスタンプがあることから、昭和55年(1980年)7月10日から8月7日にかけて制作されたことがわかる。安井44歳で、『霊果』の刊行2年前の作品である。
【さるとりいばら抄-付三昧耶抄- 安井浩司句集 百漏舎版】
三昧耶抄-近作四十五品- 安井浩司 55.7.10
稲の世を巨人は三歩で踏み越える (⑦『霊果』『無窮抄』)
山猫を襲う三昧耶投網も
旅人はここに鴉を釈(ゆる)されて
校庭にまだらの犬は春帰る (⑦『霊果』『無窮抄』)
遠足や付ききて哭ける春の貘
性交やあゝと鴉の啼き遂げし
藤蔭に犬は双入を知るものよ
冬菜畠きみが暴流(ぼうる)日なりけり
母の家に牛の魂(たま)を通しけり (⑦『霊果』『無窮抄』)
冬の沖かわく食卓の雑草も
空蝉を捉える湾曲身ならん (⑦『霊果』『無窮抄』)*1
夏道の寂し切にうどん欲し (⑦『霊果』『無窮抄』)
旅人は無心に山窟へ入れよと
野鼠を率(ひ)きゆく蛇は死後の友
白鷺の欲望である有磯海
象潟や雲雀の脚の涙して (⑦『霊果』『無窮抄』)
牛頭の出てまた入る菊の家 (⑦『霊果』『無窮抄』)
松島の柘榴のうえの恥の空
こおろぎは死神(ししん)なりけり旅の空
革命もなし曾良の手につくやんま
冬蜘蛛は無日の鶴へ近づきぬ (⑦『霊果』『無窮抄』)*2
西行に鳶鳥の尿の寂しくて (⑦『霊果』『無窮抄』)
宗祇忌の庇の裏の銀やんま (⑦『霊果』『無窮抄』)
野分して畳に竹斉を叫びけり
西行の血は黒蟻となりにける
幼児からその縁台ヲ掃ク父よ
手毬花白牛は逃亡したりと思へ
朝鮮の春馬は桶に厭きるべし (⑦『霊果』『姉歯抄』)
日照る野に弓を削れる翁かも
雲ふかく鷹屋に高野素十来て (⑦『霊果』『無窮抄』)
鹿を抱くあれ嶺線の青小松
大麦を神は女友達と行けり
野に落ちる鈴はすでに足の裏
野菊より巨人は北へ歩み去る
鵙ないてかの朝鮮の春の船
豆の花巨人の頭も没しけり (⑦『霊果』『無窮抄』)
山猫はとぶ蓮の破(は)の夕にて (⑦『霊果』『無窮抄』)
豊旗雲人差指は刺しにけり
梨白くふらす秘密集会(え)ならん
土壁に日当るサハジャも旅人も
旅より帰ればみえるきみの青手首 (⑦『霊果』『無窮抄』)
遠泳や独覚としておよぐのか
藪入やサハジャの家の土壁に
ふるさとや坐る無我女にもう近し (⑦『霊果』『無窮抄』)
さるとりいばら抄-近作四十六句- 安井浩司 55.8.7
春の嵐犬を相(み)れば皮有れど
旅人も物陰つたう蘇莫者(そまくしや)も (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)*3
脳髄はありき黒胡麻黒揚羽 (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
春の家鹿の子宮が投げ出され
葉鶏頭校舎は火焰に包まれぬ
藤房のわれ白老父(はくろうふ)と呼ばれたり
山猫笑うやさるとりいばら熟れる時 (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
北空へ樋(ひ)を行く水の迅くして (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
揚雲雀坐れる女の野服欲し (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
朝鮮の毛なき桃を双掌享く (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
春相撲餅を鴉に食べさせて
蟇(ひき)も来よ娘とはじまる跳板戯
月光も藪柑子の根も失せにけり (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
竿の端(は)が少し出ている狂人の家
旅人よ汝が頭韻に真鶸(まひわ)来て (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
空の渦宗祇法師の在りどころ (⑦『霊果』『無窮抄』)
狂言師さるとりいばら雨の中
谷の朝から角力戯につく蝶ひとつ
母の家よりまた青梅の賣れ行けと
抱朴子が茅野を去りゆく足裏かな
大地に寝てまた見あげればバクチの木 (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
阿母よかつて極楽をとんでいた鷽(うそ)よ (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)*4
その狂人を板に乗せゆく春小麦 (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
旅人木(りょじんぼく)われより汝の尿は出て
土倉にこもれば見える清白(すずしろ)のはな (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
巨人祈るヒマラヤザクラひとつ折る (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
我を凝視(み)るさるとりいばらの貘ならん (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)*5
ウイグル人の脳髄くらし鳥兜(とりかぶと)
大榠櫨(かりん)を投げうつや雲に膓(はらわた)も (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)*6
石も叫べ翁のそばの竹夫人 (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
妊女を見るや馬の下なる蕗の薹
父の手に莫(まく)なるままのからす蛇 (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
山芋抜くに曲がる妙色身ならん (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
この家の柘榴に面する蜘蛛の囲や
幼児より蛇を好める笹の崖
埴生(はにゅう)の小屋に友達のまま性交し
空中の笊にいとどを廻す狂人 (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
神社より出てきて母は苦参(くらら)の方へ
ヒマラヤ桜鳥はわれらの便を食う
永遠に礼器に近づく地中のみみず
行きずりのおみなに触わればぬるでの木
世は廻るさるとりいばら洗濯女 (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
暮春巨人は羔(ひつじ)を路地に押し倒す (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)*7
竹の葉の女が土に伏して死す
寺山修司覗きで逮捕さる
四十路の覗けば畳に爪ひとつ
昭和55年(1980年)8月7日
【註】
* 句の後に収録句集名と章を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『捉える』は『拾える』。
*2 定稿では『鶴へ』は『鶴に』。
*3 定稿では『蘇莫者(そまくしや)』のルビは『そまくさ』。
*4 定稿では『かつて』は『むかし』、『鷽(うそ)』にルビなし。
*5 定稿では『凝視(み)る』は『視る』。
*6 定稿では『大榠櫨(かりん)』にルビなし。
*7 定稿では『羔(ひつじ)』のルビなし。
■ 『春衣抄』表紙 ■
■ 『春衣抄』本文 ■
【未刊句集『春衣抄』書誌データ】
手製本。満寿屋製の原稿用紙を二つ折りにして表紙・見返しの紙を足し、和紙の表紙でくるんで糸で留めてある。原稿用紙の枚数は7枚(14ページ)。1~6の本篇と、7~10の拾遺篇から構成されている。原稿扉には『春衣抄-69句-』と書かれているが,
これは本篇の句数で、拾遺篇には39句を掲載しているので全108句が収録されている。後に第7句集『霊果』に収録される句が20句、第8句集『乾坤』に収録される句が3句、残り85句は未発表句である。巻末に『56.4.19』のスタンプがあることから、昭和56年(1981年)4月19日に制作されたことがわかる。安井45歳で、『霊果』の刊行1年前の作品である。
【春衣抄 安井浩司句集 お浩司唐門会】
春衣抄-69句- 安井浩司
1
春衣は屍を隠す小学校脇の道 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
汝を待つ田園の腰掛も山猫も
春能楽堂へゆく馬道と牛道と
野の藪に鮒釣る去年と同じ人 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
暮春一本足もて通るや本願寺
飛騨中空をとぶや猿女の姿して
夫子として春(はる)墓参りと野遊びと
母郷は遠し遠しと馬上の性交や
黒部西瓜を植えて盗らせる畠なれ (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
すももの枝の娘に与える秘密句を
紙魚(しみ)に引かれて東へ僧都帰りけり
グライダア墜ちてこの山の白膠木(ぬるで)絶え
2
牛女で来よ鶴岡天満宮祭り (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
たらの芽に悲しき虎は存在し (⑦『霊果』『姉歯抄』)
月の原に胡麻を胡麻を握るべし (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
槇の雨さらに死名より落ちる人
枡酒と蕎麦のみ食えば師痩せて
わが鷹放つ村の群童わめくのみ
山猫は冷眼として投げよ夏草に (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
蓮刈ると慈母は蓮茶を出し給う
野夫の夢買わん地酒と松露ごと
わが庭に急には来たらず木の葉猿
家柱を翔ちし椋鳥の行方も知れず
3
三四人野より芭蕉を移す家 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
田園の詩翁貧して紙啖うと
深山貘新妻ばかりが楽しんで (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
裸麦刈る翁とまた会う日まで
朝鮮海峡渡りきて角の饂飩屋へ
ふるさとのなげしに時和筆暢と (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
春の嵐巌谷一六の書が屋根裏に(⑧『乾坤』『深淵抄』)*1
春の虎の野壺を捉える前脚こそ
宗祇は春の貸馬屋から現われる
昭和十八年七歳
いつからか我家の周りは菜種のみ
たらの芽を摘みおる馴染み難き人
4
荒地鵙東洋田園詩人を願望す (⑧『乾坤』『深淵抄』)
乾草高し乙女をよぎる一輪車 (⑦『霊果』『姉歯抄』)
紅として臼に紅雀(ベニガラ)磨りつぶす
墓参にゆく夫子は蟇の後脚学べ
奥羽歩む書家は鵞鳥を友として (⑦『霊果』『姉歯抄』)
麦秋の横から出てくる歌の麻呂
春火事や童子とあそびし牛も灰
荒地に紺の股引はける学者こそ
雄物川を出でゆく白帆よ恙なく
雄物川の桃枝に詩家は絶えてなし
神より貸りたる大麻ぐさの搾り器を
5
睡蓮や加留多で遂げる最高我 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
日本海へ出でゆく筏に春小猿
古(ふる)春の母は溝五位の沈む方へ
旅歌の母よ砲台に来るかもめ
松籟に夫子は歌謡を作りませ
寺子屋の蝶にもつもれる塵埃
流星や葛根の糊を愛ずる人
その蟇も長者の松を歌い死ぬ (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
猪きて翻えるや雨の居酒屋に
真人来ると芍薬を抜き菊を植う
詩人は半紙に爆竹の灰あつめ居る
春ふもと巨人の精子を持ち帰える
6
奥羽から舞人(まいびと)の死にとどく国酒
翁は一畝(ぽ)の田を離すなかれ春霞
死ぬ直前に婦の機織を看(なが)めたし
新人は林間によき厠を作らんと
栗の花叫べば童女も娶られて
象潟や地震(ない)きてほろぶ春の竹
花茨故郷の野巫は待ちおらん
秋雨きて茄子と死霊は接近し (⑦『霊果』『姉歯抄』)
侘助椿愚者つれ廻廊を歩みけり
居酒屋に狼の所作をすべし新人
友よ地中に直立しておる桔梗根(こん)
春の精舎に長き喇叭を吹きおらん
7(拾遺)
日吉祭りや猿の血は氷(ひ)室まで (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)*2
海辺の墓欲望をもて開くべし
春来る雪に師の草鞋(そうあい)を償わん
野良酒もて娘は猪と競い走(は)す
娘連れの禅師に粕汁を差出して
松枝は充分に曲ったか利久の墓
田園行けば農童はわれに小猿放つ
しいたけのみを啖いおる彼は神農か
8(拾遺)
大むじなが近くに雪の学問寺
青瓜の蔦も毛もまだ種子の中 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
友の詩や蛇のごとくに長過ぎる
春校庭に羊の極地を知るものよ
夏羊群の中に暗示語ひとつ置き (⑧『乾坤』『深淵抄』)*3
桔梗のあたり枕にささる牛角ぞ
野翁二人が互に別庭(べつにわ)を作り居る
寺子屋で昆布のごとくに知は長し
野罌粟ゆく人納戸の猫を忘れずに
うどんを積み行けり朝鮮馬上の春
我等訪えば音声(こえ)を聞き分け給う母
合歓の枝を僧侶も旅団も通りゆく
9(拾遺)
隠岐みえず雨空をとぶ蟲熱し (⑦『霊果』『さるとりいばら抄』)
早春娘と水泳技をば競う勿れ
野通草の言語の中に優母あり
媼は倒れどなお色瓦を搬ぶ牛 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
空蝉ばかりふと深夜は晴れぬ
野に出て遊女は松の実を食し
家人は知る芙蓉が張れる根の数を
撫子群から家に帰って寂寞の人
まくらぎを抱きつつ泳ぐ羽後の海
新月なればどの家も妻に杯(はい)を捧げて
10(拾遺)
嗅ぎにゆかん農婦の巨きオリイヴを
からす麦の中はじめに歌謡(うた)ありき
走りけり春色は犬の脚の一本のみ
深雪となれり浜防風の酒少し
緑葡萄畑商人は言語より近し
白猿になれよと童子に胡麻をふる (⑦『霊果』『姉歯抄』)*4
沢芹や歌謡(うた)もておみなは開かれね
童女にまねかれ不老不死の温泉へ
我のみ生きる海辺の墓よオリイヴよ
お浩司唐門会(雅印)56.4.19
【註】
* 句の後に収録句集名と章を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『春の嵐』は『春嵐』。
*2 定稿では『日吉祭りや』は『日吉祭』、『氷(ひ)室』は『氷室(ひむろ)』。
*3 定稿では『羊』は『山羊』。
*4 定稿では『なれよ』は『成れよ』。
■ 『姉歯抄』表紙 ■
■ 『姉歯抄』本文 ■
【未刊句集『姉歯抄』書誌データ】
手製本。満寿屋製の原稿用紙を二つ折りにして表紙・見返しの紙を足し、ホチキス留めしてある。総タイトルはない。原稿用紙の枚数は8枚(16ページ)。『姉歯抄-旅人はいずこに-』(37句)、『牛頭抄-四十九句-』(49句)、『牛尾心抄-拾遺十五句-』(15句)から構成され、全101句が収録されている(『姉歯抄』の抹消句1句を含む)。第6句集『牛尾心抄』に収録される(された?)句が4句、第7句集『霊果』に収録される句が39句、残り58句は未発表句である。制作年度は記されていないが、『牛尾心抄』刊行の昭和56年(1981年)から『霊果』刊行の57年(82年)頃に制作されたのではないかと推定される。安井45、6歳頃の作品だろう。
【姉歯抄-旅人はいずこに- 安井浩司】
象潟やすずきの頭(かしら)に絶句して (⑦『霊果』『姉歯抄』))*1
蔦橋をいそぐ女と泳ぐ我 (⑦『霊果』『姉歯抄』)
母うつくしきかの猪も汁物に (⑦『霊果』『姉歯抄』)
万葉は成り牛頭は野辺に堕つ (⑦『霊果』『姉歯抄』)*2
白百合に蛇消え苦吟に入るとき
象潟や時化(しけ)の花をば終らせよ (⑦『霊果』『姉歯抄』)
山猫踊るされば茘枝(れいし)を贈るべし
猿の手にひかれて月山(がつさん)の登山曲
連歌始の母に隠れて初犯者よ (⑦『霊果』『姉歯抄』)
或る例会
夏の会女伊勢(いせ)は現われず
機関車が近づきつつあり姉齒(アネハ)の松にして (⑦『霊果』『姉歯抄』)*3
病む母を塀よりのぞく山伏か (⑦『霊果』『姉歯抄』)
わが庭の朝鮮ぎぼうしいつ日より (⑦『霊果』『姉歯抄』)
朝鮮の娘は喬木をかつぐのか (⑦『霊果』『姉歯抄』)
猪(しし)肉匂う山家新人を迎えたり
朝鮮の友にささげる鶴の吸物 (⑦『霊果』『姉歯抄』)
忘れ難きいたどりぐさと蘇莫者(そまくさ)と (⑦『霊果』『姉歯抄』)
行く水の触楽(さわり)を受けよ桃の枝 (⑦『霊果』『姉歯抄』)*4
牛頭の灰かぶり給う夏炉(なついろり)
牛の角柴つむ中へ挿入し
老耕衣とあゆみし蕎麦の茎赤し
焚火して耕衣の足袋を欲(ほ)る人ら
老いの母の寝床や勾(まが)りの池ひとつ (⑦『霊果』『姉歯抄』)
野紺菊(のこんぎく)耕衣ばかりが残らんと (⑦『霊果』『姉歯抄』)
忽(こつ)と来る商人の手に蓮のはな (⑦『霊果』『姉歯抄』)
高鷺に支那青墨の行き帰る (⑦『霊果』『姉歯抄』)
花むべの藪の深みに賈島いて (⑦『霊果』『姉歯抄』)*5
大岡頌司に
白藤の旅籠に先着していたり(抹消句)
永遠に沓(ケリ)に敷く草生えおらん (⑦『霊果』『姉歯抄』)
山桃の幹を降りれば沓(ケリ)消えて
裏海のなぎさに拾う会蘇(マソ)曲を (⑦『霊果』『姉歯抄』)
大いなる姉よ魚梁(やな)に猿落ちて (⑦『霊果』『姉歯抄』)
夕蔦に牛も押入る旅籠なれ
渤海や泳げば手にくるホンダワラ
娘連れてきみがゆうべの兜率歌(とそつうた)
旅人は山猫のごとくいざ竹林へ
金子様
牛頭抄-四十九句- 安井浩司
白雨(はくう)きて娘は椀を満たされし (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
明母(みようぼ)はや九月は冬衣を縫い給う
椿貞雄の信楽壺と夏蜜柑 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
酢蓮根萎えたる脚の師を想う
痛風の兄にたべさす鶴の卵を (⑥『牛尾心抄』)
茅舎忌のげに摑み取る瓜のわた (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
八重撫子と共に隠れる野の門(かど)に (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
みちのくの母が初めの除草歌
大張野(おおばりの)焼ききて水に淫するや (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
母訪えば昨日の夜の風に屋根失せて
うれしさよあの法螺貝を持つ女
地に降りて二階の耕衣を知る雀
性交や寓居に生えるなるこゆり (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
鮎を下げゆく女の家のななかまど
歌いつつ抱きつつ倒す春の驢馬 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
破夏(はげ)として母と歩む孔雀なれ (⑦『霊果』『八重撫子抄』)*6
雲雀あがり野より水は退(しりぞ)きぬ (⑦『霊果』『八重撫子抄』)*7
皿を廻わし爆竹ならし羽後(うご)の春
道行けと女に木瓜(ぼつか)を投げうてる (⑦『霊果』『八重撫子抄』)*8
師のごとくわりあい桔梗心(ききようしん)で立つ
すもも絞るソマリヤ地方から女来て
旅人よ歌謡(うた)から膓は始まりぬ
新人は考えつつありかの毛桃 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
礼曲震う凍れる滝を猿落ちて
母の家にときどき支那の青葡萄 (⑥『牛尾心抄』)
春管弦に出てくる猫を圧え難し (⑥『牛尾心抄』)
その芍薬ごと仙台に去る隣家
霊のごとく上野から帰える朝の接骨木(にわとこ)
宗祇忌の猿(ましら)かぶさる墓ひとつ (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
雲に立てる宗祇法師と青蜜柑 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
居酒屋のひるや雲雀を食う男
炎天におどれる猿の邪まな曲
白牛は放馬に紛れ逃げて行く
水梨をいくつ供えるきみが墓(やんとら)
黒谷のわらべ持ちくる菊に蟲 (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
栗の花をくぐる清浄犬であれ
猿若の隣家へ葛の根延びて
娘達野原の氣違い蔓が見ゆ
寒星へむかう大聖牛(おおひじりうし)を睹(み)よ
性交や牛は七度もて終るべし
湯殿山に水梨くえば友冷えて
矌野(あらの)寝てゆうべキワタあしたワタ (⑦『霊果』『八重撫子抄』)*9
元朝や先ず鴉来て持ちを食べ
母娘の天理教の桃の家
寒月を突きたる黒き牛も友
水草に盗癖の女(め)が棄てられる
地餅二句
かの父等地表に薄餅を分泌し
我等くう地表に生ずる薄き餅
牛小屋を開き万歳は来ると思え
牛尾心抄-拾遺十五句- 安井浩司
牛鬼と呼ばれる心の塊(かい)の春 (⑥『牛尾心抄』)
象潟蚶満寺
破芭蕉尋ねる人の翅折れて
冬の日に立てる姉歯(アネハ)の松の人
恋人よ神の寒貝(カンダ)を泣きこぼし
万葉へ向う牛頭に合歓を挿し
春の夫婦が結核牛を湾に入れ
老猿陰茎(ほと)のごとくにや夏の月
朝顔を突く牛角は偉大なれ
韓人きて音(おん)を入れれば竹震う (⑦『霊果』『姉歯抄』)
椿の高さに渤海湾流花泛かべ
野の石やみな牛頭のごとく向き
書屋から出でゆき寒の橋踏(はしぶ)みを (⑦『霊果』『八重撫子抄』)
笹附きの竹竿もていざ横利根へ
素十来るか牛小屋に満つ赤とんぼ
唐招提寺湧くおおひかげ蝶ひとつ (⑦『霊果』『無窮抄』)*10
【註】
* 句の後に収録句集名と章を表記してある。数字①、②…は第1句集、第2句集…の略。
*1 定稿では『頭(かしら)』のルビなし。
*2 定稿では『堕つ』は『落つ』。
*3 定稿では『姉齒(アネハ)の松にして』は『姉歯(あねは)松』。
*4 定稿では『受けよ桃の枝』は『受けん桃の花』。
*5 定稿では『賈島』に『かとう』のルビ。
*6 定稿では『孔雀なれ』は『孔雀かな』。
*7 定稿では『退(しりぞ)き』のルビなし。
*8 定稿では『道行けと』は『道行きの』。
*9 定稿では『矌野(あらの)寝て』は『遠野寝て』。
*10 定稿では『唐招提寺』は『法華寺に』。
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