丸谷才一の追悼が組まれ、岡野弘彦、菅野昭正、池澤夏樹、佐藤賢一の追悼文が掲載されている。
で、読んだのだが、声が大きかったという以外に、どういう人なのか今一つわからなかった。追悼が組まれるときというのは、その人を総括すると同時に深く理解する最大の、そして最後のチャンスかもしれないのだから、丸谷才一のことをもっともっとよく知っている人はいないのだろうか、と思ってしまう。
丸谷才一の小説は、以前、刊行時に話題になったものを一、二冊読んだように記憶しているが、内容は忘れてしまった。どういうところをポイントとして読んだらいいかが、わからなかったのだと思う。追悼文を書くなら、そういうところを、なるほどそうだったかと思わせるようにしてもらえないものだろうか。それでこそ本屋も、棚など特設する甲斐があるだろう。
特に丸谷才一について、この機会にわからせて欲しいと思っている人は多いと思う。10月に亡くなって大新聞や一般週刊誌でも記事になり、非常に偉い文学者らしいと、興味を引いたのではないか。しかしたぶん、どういうところが偉いのか、あまり知られていない。専門的には偉いが、一般には理解されていない理論というものもあって、それがノーベル賞など獲ると、そのわかりやすい解説がこぞって掲載される。丸谷才一の文学についても、そういった記事を期待したい。
もちろん丸谷才一の小説は物理理論と違い、難解極まりないという印象のものではない。追悼文でもゴシップと作品との関わりに触れていて、読んだ話題作も確か、そんなものだった。けれども、いずれにせよ小説がゴシップと関わっているなどというのは当たり前のことで、別に特筆すべきこととも思えない。
ゴシップなり社会的事件なりは、小説のアイディアのきっかけになったとしても、その小説の本質みたいなものとは関係がない。我々は一般人として、その死が大新聞や一般週刊誌に大きく取り上げられた丸谷才一の、文学の本質は何なのか、ということが知りたいのだ。文壇の人たちは、それを説明する義務があると思う。
「今の若い人たちは、それと知らずに丸谷才一の影響を受けている」というようなのも、何を言ったことにもならないんじゃないか。「それと知らずに~」なんて作文が可能なら、そこへはあらゆる物・人が当てはまる。「丸谷才一」ではなく、「ホリエモン」でも「チキンラーメン革命」でも。持ち上げているようで、ずいぶん失礼な話だ。
そして誰もが影響を受けているというのが、本当に本当なら、ものすごい大作家であって、そうとは知らないなどということはあり得ない。その作家から若い作家たちへ、ある雰囲気が伝えられたとすれば、それはその時代のものに過ぎないのではないか。その時代の雰囲気を作っていたのは、むしろ若い世代の方だったりもするが。
その若い世代から、文壇諸氏には、よろしく責任を果たしてもらいたいと望む。
水野翼
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■