
砂川文次さんの「ブレイクダウン」900枚、一挙公開よっ。すんごいわねぇ。砂川さんは「市街戦」で文學界新人賞を受賞され、「ブラックボックス」で芥川賞を受賞なさった作家様でございます。恐らくですが現役自衛官の作家様だと思われます。
砂川さんについては大篠夏彦さんが小説「熊狩り」と「戦場のレビヤタン」の批評を書いておられます。いずれも純文学誌中の純文学誌、文學界掲載の作品でございます。アテクシもこの二作を読んでおりましたが、んーという感じでございました。純文学としてはちょいと深みが足りない、もちろん大衆文学のような面白さはない。砂川さんの奇貨居くべしの特異な経歴を買った新人賞受賞で作品掲載なのかなー、と僭越ながら思っていたのでございます。
ですから今回の「ブレイクダウン」一挙900枚掲載の目次を見た時、イヤーな予感がしました。ハッキリ言って、芥川賞受賞作家の大衆小説って、90パーセントまで面白くないのよ。皆さんの記憶の中には、ポッと出の20歲くらいで芥川賞を受賞した若い作家などが強く記憶に刻まれているでしょうけど実際はそんなことないの。
砂川さんも芥川賞候補になってから三度目の受賞でございます。受賞までもっと長くかかった作家様もごっちゃりいらっしゃいます。そうなるとどうなるのか。いわゆる純文学のクリシェ的な小説の書き方に固定されちゃうのよ。
ほら、よくあるでしょ。本のページをめくるとギッシリ文字が詰まっていて、風景がどうの服装がどうの、天気は雨だの晴れだのっていうモヤモヤした記述が延々と続いてようやく物語が始まって、だけど物語は主人公の内面描写(独白)中心だから、主人公と登場人物とのガチンコのぶつかり合いがない小説よ。こういったお作品は長編でも事件が起こりません。小説の面白さを演出するのは事件と場所の移動ですけど、それがないわけ。ほとんどの純文学小説は、禅の修行のように読むのが苦痛な小説だと言っていいわね。それでも傑作が生まれる可能性があるから性懲りもなく純文学小説を読んだりするわけですが。
というわけで、芥川賞作家様が大衆小説を手がけると、中途半端な純文学崩れになりがちです。300枚くらいを越えると小説はプロットナシでは成り立ちません。しかし芥川賞作家様は私小説的内面描写小説ばかり書いて来て、プロットの立て方を習得しておられませんから、相変わらず主人公の内面描写中心のしょーもない物語(プロット)になりがちないの。しょーもない物語(プロット)というのは事件とは呼べない小事件のことね。300枚超の小説が、決定的事件なしで持つもんですか。事件は取り返しようもなく起こるものなのっ! ってアテクシ、何に怒ってるのかしら。
砂川さんは芥川賞作家様でいらっしゃいますから、誠に失礼ながら、まーた中途半端な大衆小説なんだろうなー、それにしても900枚は異様に長いわね、と思って読み始めたのでございます。ところがところがですよ、砂川さんの「ブレイクダウン」、面白いですっ。こんなハチャメチャな小説、久しぶりに読ませていただきましたわ。うーんわかんないものねぇ。知恵子さん、土下座しそうな勢いで反省だわっ。
「ブレイクダウン」の主人公は陸上自衛隊釧路駐屯地で勤務する自衛官・市瀬翔二です。市瀬は大震災で両親を亡くし、兄・義明とは別々の施設で育てられました。しかし縁が切れたわけではなく、定期的に会ううちに兄弟独自の関係が出来上がりました。それは相手に迷惑をかけず、両親が残したそれほど多くない遺産を、きっちり二人で分けることでした。
兄・義明は公立高校から猛勉強の末に気象大学に進学します。気象大学に進学すれば就職先が決まってしまいますが給料が出るので、弟・翔二が両親の遺産を使って好きな大学に進学できるからです。翔二は兄の意図が手に取るように分かりました。なので自身も学費がいらず給料がもらえる防衛大学に進学します。将来自衛官確定の進路です。でもそうすれば両親の遺産を兄弟できっちり二等分できるのです。
義明は地方気象台から本庁へ移動し、さらに環境省に出向して資源管理調査のために市瀬が勤務する釧路に赴任して来ます。ある日義明の勤務先から無断欠勤しているという電話がかかってきます。次いで警察から義明が交通事故死したという連絡が入る。事故が起こったのは人気のない山の中でした。義明がどうしてそんな所に行ったのかわからない。また義明の死体は生前の姿をとどめないほど押しつぶされていた。それに義明の死後、住んでいたアパートが不審火で焼失してしまいます。強烈に不可解だと思うものの市瀬にはなんの手掛かりもありません。
が、喪中休暇を与えられた市瀬の元に業務部所属の自衛官・佐川が訪ねて来ます。業務部は自衛隊の福利厚生を担う部署で戦闘訓練などもありません。そのため自衛隊内では軽んじられている部署です。しかし佐川は五十代くらいでガッシリとした戦闘員体型の男でした。佐川は市瀬が思ってもみなかった兄・義明の死の経緯を話します。
佐川は顔色一つ変えず、
「警察は、当時一緒にいた男を犯人とみてる」と言った。
「え?」
「イチセヨシアキ。あんたの兄弟だ」
市瀬は、再び絶句する。無意識のうちに、口が小さく開く。
我に返った市瀬は「ありえないっ」と声を張り上げた。
「痴情のもつれだろう、とも」
「絶対にありえない!」
佐川は、これらの情報は全て由美子の伯父から聞かされたと言った。
警察は、まだ断定こそしていないがその線で捜査を進めているらしい。その一方で、直接に殺害の現場を目撃した者も痕跡もほとんどなく、また二人とも――由美子と義明――が死亡してしまっている事件でもあることから、捜査の進展は遅い、とも佐川は付け加えた。
砂川文次「ブレイクダウン」
佐川は旧知の倉田由美子という女性が射殺死体で発見されたことから調査を開始して義明と由美子の関係に気づき、義明の弟の市瀬に辿りついたのでした。佐川は義明と由美子は釧路地方にはびこる汚職と非合法活動を暴こうとして殺されたのだろうと語ります。しかも警察は義明と由美子が恋人同士で、痴情のもつれから義明が由美子を殺したというストーリーをでっち上げようとしていると言うのです。義明が人を殺すことなど絶対にない。それが市瀬の確信です。佐川は「相手が誰だろうと」「おれは全員に報いを受けさせるちもりだ」「あんたにその気があるなら、協力してくれ」と市瀬に言います。
物語は市瀬が佐川といっしょに義明と由美子の死の謎を解き明かす方向に進みます。当然アテクシは、これは一種の推理小説になるんだろうなーと予想しました。ただ殺人事件が起こる長編推理小説は殺人一件では持ちません。有名な長編推理小説を読んでいただければおわかりになりますが、殺人事件は冒頭で一件、中盤で一件、最後の方でもう一件起きるのが定石です。でないと300枚、500枚の推理小説は持たないんですね。しかしここでもアテクシの予想は裏切られました。アテクシが読んだことのない方向に物語は進んだのでございます。
霧が薄らぐと、銃を構えている三人の敵が目視できた。一人は制服姿で、残る二人はスーツだった。
ここからの距離は五十メートルほどか。人の輪郭がはっきりと見て取れる距離だ。
樹木に半身を預けつつ、ゆっくりと拳銃を持ち上げていったとき、三つの人影に、新たな一つが加わる。
佐川だった。
ブッシュに身を隠していた佐川は、三人のうち最後尾にいた一人を羽交い締めにするなり、ナイフでその首を掻き切る。
凄まじい速さだった。
異変に気づいた一人がすかさず振り返るも間に合わず、即座に撃ち殺される。
残り一人は制服警官で、こちらの方は背後で異変が起きるのと同時に、あろうことかその場から逃げ出した。
が、向かってきた先はこっちだった。
市瀬も反射的に木から飛び出し、両脚を広げて銃を構える。
同
義明と由美子の死の真相を確かめるために動き出した市瀬と佐川は警察につけ狙われます。義明と由美子が明らかにしようとしていた汚職と非合法活動は、当地の警察組織を丸ごと飲み込んだ巨大なものだったのです。で、市瀬と佐川はバンバン敵を、警察官を撃ち殺します。ありえねーと思うのですが、物語はこの方向に進むのです。もちろん義明と由美子の死の真相はじょじょに明らかになってゆきます。しかしこのお作品の醍醐味は戦闘シーンにあります。最後はジョン・カーペンター監督の映画「要塞警察」のように、本丸の警察署に二人で襲撃をかけ死闘を演じるのです。
お作品の中で、市瀬と佐川によって警察関係者が三十人くらいは殺されます。ですから現実味がないと言えばない小説です。しかし作者・砂川さんの吹っ切れ方は凄まじい。「ブレイクダウン」は優れた戦闘小説です。犯人が殺人を重ねる推理小説ではなく戦闘するごとに謎が解き明かされてゆく。また義明と由美子が殺されることになった巨大な陰謀の描き方はあくまでも具体的で緻密。戦闘シーンも武器の説明や殺害方法も含めて非常にリアリティがあります。自衛官作家ならではの小説です。
ちょっと前に堺雅人さん主演のテレビドラマ『VIVANT』が大ヒットしましたね。堺雅人さん演じる主人公・乃木憂助は、非合法活動を行う陸上自衛隊・別班に属していることが最後の方で明らかになりました。「ブレイクダウン」はいわば、〝てやんでぇ、自衛隊の内部はそんなもんじゃないぜ、自衛隊のことを底の底まで知ってる俺が教えてやるよ〟といった、まーホントに天に突き抜けるような戦闘小説でございます。
誠に誠に申しわけないんですが、芥川賞作家様がこんな痛快な突き抜け小説をお書きになれるとは思ってもみませんでした。自衛隊員が主人公ですから、ドラマや映画化するのに躊躇う関係者が多いと思います。が、十分映像化できるお作品でございます。また続編への布石もキッチリ打ってあります。
もしかすると砂川さん、純文学作家よりも大衆小説作家の方が向いておられるのかも。900枚の小説ですが、アテクシ、二日かからずに読み終えましたもの。そんで読み終わって続編が読みたいと思いましたわ。大衆小説でもそんなお作品、そうそうないものなのよ。
佐藤知恵子
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