アテクシホラー系の小説や映画がけっこう好きなのね。人によっては殺人事件が起こらないと面白くないといふ方もいらっしゃいますわ。事件と言えば殺人。それはそうよねー。人間は関係性の動物ですから赤ん坊からお年寄りまで、誰かがあるとき突然いなくなって、それが殺人事件だったりすると大事件だわ。もち殺人事件は殺人者や家族などとの関係性も含むわけで、その絡まった糸を解きほぐすと様々な事実が露わになってくるのよ。殺人事件は人間世界では決定的大事件でございます。
これに対してホラーは幻想よね。もち幽霊や怨霊が実在していてそれらが生きた人間にいろんな害を為すというお作品もございます。だけどアテクシ、そういったコンテンツはイマイチなのよ。人間心理がどんだけ複雑なのかは心理学をちょっと囓った方はご存知よね。幽霊は実在しないけど存在するというのが本当のところでございます。人間が幽霊は存在すると思っていればそれは存在します。人魚や龍が存在していて絵や彫刻になっているのと同じでございますわ。だから存在を実在化させた幽霊はステレオタイプ化されています。あーやっぱりそうねぇという言動しか取れないわけ。
ただ幽霊や人魚や龍がどうやって誕生したのか(存在するようになったのか)は面白い問題ですわね。人間の無意識層からイメージが意識にまで上がってきてそれがモノとしての形を取るようになったわけです。イメージが犬や机と一対一関係になると実在物になるわけですが、実在しないまま存在が固定的像になってしまった例が幽霊や人魚や龍よね。
つまり人間の無意識層はまだ意識に上ってこない無数のイメージを抱えているわけ。それが意識層に上ってきたときに、特に実在物との対応が取れないと怪異となることがございます。そのあたりがホラーの醍醐味だと思うのよね。
だからホラーコンテンツは難しゅうございます。ステレオタイプにならず、かといって突飛すぎると読者や視聴者の共感を得られない。現実と幻想のあわいが地続きになっていて、チラリと異界が見えるのが理想かしら。あ、そうなると柳田国男の『遠野物語』みたいよね。ただあのお作品、文語体なのよ。現代小説と比べると文語体はすでに一種の異界みたいなものね。いまさら文語体に戻ることもできませんし、悩ましいところね。
「どこ打ったんだ? 貼ってやるよ」
「いいよ」
「遠慮すんなって」
「ほんとにいいから」
「なんでだよ」
渓はじっと真一郎の目を見た。何も言えなくなる。しつこくしすぎたのかもしれない。そもそも、ふざけ合うような間柄ではないのだ。
ごめんと謝って湿布を渡そうとしたとき、突然、渓が裾に指をかけ、体操着を脱いだ。
「急に」
真一郎の言葉はそこで止まった。
顔、足、腕と同じ白い脇腹の横に、色々な絵具を誤って混合させてしまったような色の痣があった。よく見るとそれは下腹部から、乳首の下あたりまで、ぽつぽつと点在している。
芦花公園「ベスト・メモリー」
芦花公園さんはホラー・幻想小説がお得意の作家様でございます。「ベスト・メモリー」は幻想シリアス小説、と言ったらいいのかしらね。主人公は伊川真一郎。お作品の中では真一郎の中学時代から三十代までの約二十年間が描かれますがこれも幻想の一部でございます。
高校生になった真一郎は新庄渓という同級生と仲良くなります。仲良くなると言っても壁がある。渓は優等生でしかも真一郎たちが通っている学校の理事長の息子。対する真一郎は中流家庭の息子で成績も中くらい。渓は爽やかな高校生で人気もある。ただ真一郎はひょんんなことから渓が教育者の父親から暴力を振るわれていることを知ってしまいます。そこから二人の間にあった壁がなくなってゆく。
「昨日の夜、君のバイト先のコンビニに塾帰りに父親と寄ろうとしたけれど、背後から何者かに襲われて、何度か殴られたが逃げることができた。逃げる途中父親とはぐれ、心配になってしばらくしてから探しに戻ったが、誰もいなかった。それで警察に駆け込んできたんだ。すぐに駆け込んできてくれたから捜査も迅速に進んで、朝までにこういうことができたというわけだ」
真一郎は自分の耳を押さえた。自分が今聞いたことが事実とは思いたくなかった。
それを、なにか感じ入ったような動作だと解釈したのか、刑事はペラペラと話しはじめる。
「これは逮捕ではないんだ。君に話を聞いているだけ。君が理事長先生と会い、何を話して、どうして言い争いになったのか。それを知りたいんだ。そうすれば、理事長先生がどこにいるのかの手掛かりになって、見付けることができれば君と仲のいい渓くんだって喜ぶだろう」
同
渓は付き合う友だちも父親に管理されています。そして父親が望むような優秀で男らしい男に育つよう暴力を振るわれている。真一郎は渓の父親が許可しない、というか論外の学生なのですが、真一郎と渓は男女の密会のように放課後会って話すようになります。しかし渓の父親に見つかってしまう。渓は人気のない場所で父親から暴力を振るわれます。それを止めようとした、刃向かおうとした真一郎と揉み合いになり、父親は足を滑らせ頭を打って死んでしまう。真一郎と渓は警察には届けず父親の死体を川に流します。事故死を隠蔽しようとしたのです。
渓の父親を事故死させ屍体遺棄した翌朝、刑事が真一郎の家に訪ねて来ます。渓が警察に父親が行方不明だと訴えたと言うのです。真一郎は渓が父親を事故死させてしまったこと、屍体を遺棄したことを全部自分のせいにしていると思います。親友だと思っていた渓に裏切られたのです。真一郎はそこから意識が混濁してPTSDと診断され入院することになります。ただ渓の父親の遺体が見つからなかったので真一郎と渓の父親が揉み合っていたこともうやむやになります。しかしそこから真一郎の人生が変わってしまう。退院した真一郎は学校を転校します。そこから生き霊のように渓の声が聞こえるようになったのです。
エンタメ小説ですからネタバレは避けなければならないわけですが、このお作品の醍醐味をちょっと説明させていただきますわね。
主人公の真一郎は事件以降、渓の声が聞こえるようになりそれは就職した三十代まで続きます。しかしこれは真一郎が病院のベッドで見る幻想です。渓の父親も死んでいません。ただ真一郎の幻想の中で、てんこ盛りのように様々な思念が表現されます。小説タイトル「ベスト・メモリー」からわかるように最後はハピーエンドです。だけどこのお作品はハッピーエンドとはほど遠い小説でございます。文字通り未消化のままの真一郎と渓の関係が、心理と事件両面で描かれます。
暗い顔のまま菜穂子は、
「だから嫉妬だって言ったの」
そう言って乱暴にトレーを置く。(中略)
「私のこと、見たかったんでしょう。好きな男が、どんな女と結婚して子供を作ったのか見たかった。でも、私だった。貧相で、何も取柄がなさそうな、わ、た、し。人間、格上の人間に嫉妬なんて感情が生まれるわけはない。自分より下のやつが、おいしい思いをしていると嫉妬が生まれるんですよね。だから、あなたはわたしに嫉妬している。地味なブスが、あなたのほしかったものを手に入れているから」
*
私が救世光真実と出会ったのは偶然だったように思います。しかし、皆さまはもうご存知でしょうが、この世に偶然はありません。何かしらご縁があったのです。皆さまも、様々なご事情があるかもしれませんが、間違いなくご縁があったのです。(中略)
さて、救世の道を歩む皆さまには言うまでもないことと思いますが、誰も彼もに光る赤子が近付くわけではございません。
お迎えする適切な葬儀の準備を書き示します。
*
「不滅ってなんなんだろうね?」
真一郎はどう答えていいものか分からなかった。
もし渓以外の友人がそんなことを言ってきたら、フィクションの娯楽作品の影響を受けて、まるでキャラクターのように振る舞うイタい奴だと思い、揶揄っていたと思う。しかし、渓の顔はあくまで、家の話やら、勉強の話やら、そういう日常を地続きの話をしているときと全く同じで、茶化す余地がなかった。
真一郎は一分ほど考えて、
「記憶じゃないかな」
と答えた。
「不滅は記憶?」
渓が聞き返してくる。
「必ずしもイコールではないだろうけど、人が死んでても、その人のことは覚えてるし消えないじゃん」
「そうなんだね」
渓はそう答えて、次の瞬間全く別の話をし始めた。
同
菜穂子は真一郎が幻想の中で見た渓と結婚している地味な女性です。が、渓の子供を妊娠している。渓は「そう、子供を作ることができる。女体にしかできないことだよ」と言った。また菜穂子は新興宗教の救世光真実に入信していて、教団が発行するパンフレットに世界を救済する「光る赤子」を迎えるための「適切な葬儀の準備」を書いています。で、真一郎と渓は「不滅」について話し、それは「記憶」だと結論付ける。しかし渓は「次の瞬間全く別の話をし始めた」。
「ベスト・メモリー」というお作品は父親のDV(ドメスティックバイオレンス)に悩む高校生の話から、暴力的な父親を事故で殺してしまうという、幻想であれ大事件に進んで行ったわけですが、それはお作品の枕にしか過ぎないように思います。
メインは言うまでもなく真一郎と渓の結ばれない恋愛感情。だから渓は真一郎を裏切る。裏切りが幻想の渓の声と未来の自分と渓の生活を見させる。しかし渓の「記憶」は「不滅」。このアンビバレンスな記憶を不滅にするために様々な事件や幻想や宗教が総動員されている気配です。
ただ読後感から言えば真っ白いカンバスにいろんな絵具をぶちまけたような印象ですわね。事故死、新興宗教など引っかかる要素はたくさんあるのですが、それが〝焦点〟をクッキリさせる小道具になっているとはちょっと思えなかったですわ。大変恐縮でございますけど。
佐藤知恵子
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