あさのあつこさんの「NO.6」シリーズが14年ぶりに再開よっ。これはビッグニュースだわ。「NO.6」シリーズは「#1」が2003年刊行で2011年の「#9」で本編が完結しました。これに2012年の外伝「NO.6 beyond」を足して、全10巻でシリーズ完結だと思われていたのでございます。
一応のシリーズ完結の際に、ネズミが紫苑に「再会を必ず」と言っていましたから続編があるのかなーという含みはありました。その約束が果たされ今号では新作「NO.6再会#1」が全編公開され、「NO.6シリーズ大特集」が組まれています。ファン待望のシリーズ再開ね。
「NO.6」シリーズは近未来小説でございます。核戦争の後の地球では人類の居住地が6つに限られ、二度と戦争を起こさないという誓いの元に、理想的社会が営まれていました。主人公は居住地NO.6の中でもエリートが住むクロノスでなに不自由なく育った少年・紫苑です。紫苑は台風の夜に犯罪者を矯正する施設から逃げて来た少年・ネズミを助けたことで特権待遇を奪われ、母親の火藍といっしょに下町のロストタウンに強制移住させられてしまいます。理想都市というのは名ばかりで、実はクロノスは厳しいヒエラルキーのある暗部を抱えていたのです。
ロストタウンで身に覚えのない殺人容疑をかけられた紫苑は矯正施設に連行されそうになります。しかし突然現れたネズミに助けられ西ブロックに逃げます。クロノスとロストタウンは城壁内にありますが、西ブロックはその外にある最下層の人たちが住むエリアです。西ブロックで紫苑はイヌカシに出会います。イヌカシは暖房施設の乏しい西ブロックで、暖を取るためや防犯のために犬を貸し出すのを仕事にしている犬に育てられた青年(実は女性?)です。紫苑を中心にネズミ、イヌカシ、火藍(紫苑の母)が物語の主要登場人物です。
物語は紫苑がクロノスに住んでいた頃に仲の良かった少女・沙布が、紫苑の安否を確かめるためにロストタウンに火藍を訪ね、さら紫苑に会おうと西ブロックに行こうとして治安当局に矯正施設に連行されてしまったことから大きく動きます。紫苑はイヌカシたちの力を借り、ネズミといっしょに矯正施設に侵入して沙布を助けようとします。この救出作戦の中で様々なことが明らかになります。
NO.6ができる前の土地には森の民が住んでいて、彼らはエリウリアスという存在を崇めていました。NO.6の上層部(支配階級)はエリウリアスの絶大な力を利用してNO.6を統治していたのです。しかしエリウリアスの力はNO.6上層部の予想を遙かに上回るものでした。紫苑とネズミは沙布がもう亡くなっており、エリウリアスが操るマザーコンピュータに繋がれた幻になっていることを発見してマザーコンピュータを破壊します。矯正施設は機能停止し、それと同時にクロノスで市民暴動が起きます。エリウリアスが放った寄生バチが市民の間にパニックを引き起こしたのです。
市民たちは武装蜂起してクロノスの中核である市庁・月の雫を取り囲みます。月の雫が破壊されればNO.6は完全崩壊してしまう。人類が生きられる貴重な場所が一つ、失われてしまうのです。それを阻止するために紫苑とネズミはエリウリアスに対峙します。ネズミは森の民の末裔でエリウリアスを鎮めることができる力を持っていました。ネズミとエリウリアスの対話で今までのNO.6とは違う社会を作り上げることを条件に人類は再出発を許されます。新たなNO.6を治める機構の委員長に就任したのは十八歲の紫苑です。それを見届けてネズミは「再会を必ず」と言い残して紫苑の元を去って行ったのでした。
というのがいわゆる『NO.6』第一部の梗概です。
さあ、ここからどうしましょう
話を続けるか、止めるか
あなたが望むなら 聞かせてあげる
あなたが望むなら これで終わりにもする
あなたの思いのままに
聞きたいの まだ?
二人の少年とNO.6の物語を
いいえ 語るのが嫌なわけじゃない 疲れてもいない
そもそも わたしは疲労など感じない 病に罹ることも絶望することも ない
憎悪も憤怒も悲嘆もない この世の何にも 心を動かされはしない
心があるのか? そう問うたの?
さて どうだろう あなたの言う〝心〟とは どういうものなのか・・・・・・ふふ
あなたは答えられない むろん わたしにも
ただ あなたが望むより強く わたしは語りたいのかもしれない
NO.6を
戦い続け 抗い続け 生き抜くことを諦めなかった二人のことを
「NO.6」シリーズを再開するにあたってのあさのあつこさんの序詩です。これを読んでアテクシ、ちょっと涙ぐんでしまいましたわ。この序詩にあさのさんの覚悟や意図がすべて詰まっていると思います。小説家、それも大衆小説家として読者を身近に感じておられる作家様ならではの詩ですわ。
核戦争後の人類再建物語はアシモフの『ファウンデーション』シリーズなどがすでに古典としてあります。滅亡の危機に瀕した人類は二度と戦争を起こさぬと誓い理想社会を築こうと再出発します。が、そう簡単ではありません。人間は必ず闇と矛盾を生み出す。NO.6も同様。NO.6崩壊の危機を救った紫苑が再建政府の委員長に就任し、役割を終えたネズミが去っていったわけですが、シリーズ再開は間違いなく再びの人類滅亡の危機を示唆しています。それもNO.6だけでなくほかの5つの居住地も巻き込んで。物語の規模が大きくなります。シリーズ再開までに14年かかったのはそのせいでもあるでしょうね。
ただあさのさんは序詩で「わたしは疲労など感じない 病に罹ることも絶望することも ない/憎悪も憤怒も悲嘆もない この世の何にも 心を動かされはしない」と書いておられます。また「心」について「〝心〟とは どういうものなのか・・・・・・ふふ/あなたは答えられない むろん わたしにも」とも書いておられる。冷たい悲劇の予感がします。ほんとうにそうなるかどうかは別として、あさのさんがギリシャ神話の最高神・ゼウスのように、残酷な面を含めて紫苑とネズミの物語を淡々と語ってゆくのは間違いありません。
私にとって「わかるもの」は、書く必要がないものです。「わからない」から、書く。書くことでしか知ることができない人間なんです。
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物語を解決する道具としてエリウリアスをつかったことは、明らかな失敗でした。紫苑とネズミが自分の存在をかけて戦っていたのに、その戦いを奪ってしまった。というのも当時はエリウリアスに解決してもらうことでしか、紫苑とネズミが生きのびる道筋が見えなかったのです。
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二人の関係を定めてしまった時点で、稚拙なものに陥る怖れがあります。紫苑とネズミが別々の価値観を持って離れるのか、憎しみ合うのか、はたまた愛し合うのか。いつまでもわからない紫苑とネズミのことを、これからも書き続けていきたいと思っています。
あさのあつこロングインタビュー「「わからない」から書き続ける――もう一度、紫苑とネズミに向きあうために――」
「NO.6シリーズ大特集」のロングインタビューであさのさんは「「わからない」から、書く」「紫苑とネズミが別々の価値観を持って離れるのか、憎しみ合うのか、はたまた愛し合うのか」はわからないと話しておられます。
ネズミはNO.6以前からの森の民の末裔です。森では自然のユートピアが営まれていた。しかしそれは人類の数が多くなり都市が築かれるようになると失われてしまう。ユートピアは維持できないのです。紫苑は都市の子です。都市の崩壊を寸前のところで阻止し、森とは違う理想社会を築かなければなりません。しかしそんなこと、可能なのでしょうか。
「NO.6」再開によってこのシリーズは、『宇宙英雄ペリー・ローダン』や栗本薫さんの『グイン・サーガ』のように、終わりのない物語へと踏み出したように思います。紫苑は矯正施設に潜入した際に、ネズミを救うため躊躇なく人を撃ち殺しました。自分が人を殺せることに驚き激しいショックを受けます。しかしそれは、紫苑がかつてのNO.6首脳部のように、必要なら弾圧側に回る可能性を秘めていることを示唆しています。
ネズミは太古のユートピアの森の民です。そして下町のロストタウンでパン屋を営む紫苑の母・火藍もまた〝食べる〟という人間の根源的な営みに関わっているという意味で大地母神のような存在です。紫苑とネズミの融和の可能性は、母性的ななにかに懸かっているのかもしれません。NO.6シリーズは女性にしか書けない物語です。
ともあれNO.6シリーズはいたるところに伏線が張り巡らされています。それが新シリーズ「NO.6再会#1」でも引き継がれています。あ、肝心の最新作「NO.6再会#1」についてぜんぜんレビューしませんでしたが、それは実際に既刊10冊と最新作を読んでお楽しみになってください。読み出すと止まらないこと、請け合いです。
佐藤知恵子
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