松本和也さんの演劇金魚『No.012 声の饗宴=競演──三条会『近代能楽集』』をアップしましたぁ。関美能留さん主宰・演出の、三条会による三島由紀夫『近代能楽集』全八作品上演舞台のレビューです。三島は小説家として有名ですが、戯曲作家としても優れた仕事を残しています。

 

 三島由紀夫「熊野」に、(ユヤ)「今日はお花見ができなくて残念。」、(宗盛)「いや、俺はすばらしい花見をしたよ。……俺は実にいい花見をした」。という幕切れの台詞がある。三条会『近代能楽集』という舞台芸術は、ここでの「花見」に見立てることができる。というのも、台詞・演技はもとより、舞台装置・衣装・ト書き等々をリアリズムによる再現を目指すと『近代能楽集』上演の方向性があり得るとして、三条会のそれは見立てを梃子としながら、およそ異なる方向を目指したものであったのだから。

(松本和也)

 

三島という作家の捉え方は様々ですが、世代によってかなりはっきりとした差があると思います。同時代人は三島を時代の寵児として捉えていた。三島の皇国思想に共感するかどうかは別として、彼の行動に一定の理解を示しました。学生運動と無縁の戦後世代は三島を冷ややかな目で見ていた。テキストだけを読めば、その知的で人工的な構成には物足りない面があり、割腹自殺という行動への〝飛躍〟自体が文学者・三島の限界に見えたわけです。

 

で、今一部ですが、若い作家とその予備軍の中で三島が神格化に近い形で称揚されています。これも時代の変化の産物でしょうね。三島は本歌取りの名手でした。小説文体もテーマもそれほど目新しくないですが、極度に洗練されています。つまり過去テキストを援用して新たな作品を作り出すポスト・モダン作家の走りであり、かつ老いへの恐怖とかファザコン的コンプレックスなど様々な弱さを抱え、それを覆い隠すように強い人であろうとしました。

 

小説家という社会的コンセンサスを取り除けば、三島文学で非常に重要なポジションにあるのは『近代能楽集』かもしれません。三島にとってプレテクストは〝大いなる父〟であった気配があります。三条会さんの取り組みはその意味でも注目です。

 

 

松本和也 演劇金魚 『No.012 声の饗宴=競演──三条会『近代能楽集』』 ■

 

 

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