だいぶ「月刊俳句界」を取り上げてきたので、ここいらで「角川俳句」も句誌時評に入れることにします。「角川俳句」と書いたが正式名は「俳句」で、それではわかりにくいので「角川俳句」とか「KADOKAWA俳句」と呼んでいる。言うまでもなく角川書店創業者の角川源義氏が俳人であったので創刊された商業俳誌である。以前は角川書店か角川学芸出版が発行元になっていたと思うが、現在では角川文化振興財団が発行元だ。

 

 ちょいと余計な話しだが、財団で詩誌や詩書を出すのは一つの賢い道筋なのかもしれない(もちろんまとまった拠出財産が必要だが)。短歌・俳句・自由詩などの詩の世界は慢性的不況産業である。一九八〇年代頃まではそれでも売れる詩書がポツポツあったが、現在はそうとう厳しい。文学業界全般が不況なのだからこれは致し方ないところである。もしかすると数人は本が売れる詩人は出るかもしれないが、詩書全般が売れる時代は今後もう訪れないのではないかと思う。

 

 こういった時代に詩人が詩集等を自費出版するのは半ば当然である。今までも詩の世界では自費出版が主流だったが、それがさらに進むということだ。〝詩への強い愛〟を持つ創作者ならそれは致し方のないことではある。ただ文学は必ずしも本の売れ行きだけで評価されるジャンルではない。本が売れなくても時間がかかっても、優れた仕事はきちんと評価してゆかなければならない。

 

 角川文化振興財団がものすごく公平な文学的評価を下せるとか、財団だから財政基盤が盤石であるわけでもないが、少なくとも株式などの営利企業よりも大局的な出版計画が立てられるだろう。まあはっきり言えば、商業出版部門のKADOKAWAグループの厳しさはちょいちょい耳に入ってくる。財団という形で源義氏から春樹氏まで続く俳句愛を守るのは角川さんの一つの見識だと思う。

 

 で、角川俳句の誌面構成だが、基本的に他の商業句誌とあまり変わらない。というか商業句誌の誌面構成の基礎を作ったのは角川俳句だと思う。グラビアがあり、そこでは主要結社の動向などが紹介されている。大家や中堅俳人の作品が巻頭の方に置かれ、特集は基本的に初心者俳人向けの実践的指導である。対談などが一、二本あって連載ページがそれに続き、巻末の方になると新人俳人の作品や投句選評などが並ぶ。結社動向や投句選評などは句誌特有だが、俳壇の性格を考えればこういった誌面構成にならざるを得ないだろう。

 

 詩に限らないが商業文芸誌はしばしば〝ジャーナリズム〟と呼ばれる。言うまでもなく新聞など日々の政治・経済の動向を伝えるメディアになぞらえた呼び方で、そこには常に多少の批判と揶揄が入り交じる。またそれはある程度は正しい。数十年単位で振り返れば確かに文学の世界にもイズムなどの大きな動きはある。しかし月ごとに報道しなければならないような大事な動向はほとんどない。文学の世界は常に新人やベテランが時間をかけて作り上げた〝作品〟によって物事が動くのである。そういった作家が文芸ジャーナリズムにじょじょに取り込まれてゆくのだとは言えるが、ジャーナリズム主導の連載などでそういった作品が現れることは少ない。

 

 では毎月刊行される文芸ジャーナリズムがなにをしているのかというと、特に詩のジャーナリズムでは〝状況があるかのように装っている〟面が強い。簡単に言うと、毎月、あるいは毎年何かが決定的に変わっているかのように振る舞っているのである。もちろんそれは無駄ではない。ただ作家がジャーナリズムの論理に簡単に乗せられてしまうのはいつだって危険である。

 

 ジャーナリズムの花形作家は身近な作家や作品を取り上げて、それを非常に重要な文学的動向であるかのように毎月でっち上げている面があるはずである。いわゆる状況論だが、書き手が望む状況と現状の文学には距離がある。書き手が望む状況こそが文学の世界を動かす本当の力であり、他者に仮託して〝夢〟を語る以上に、自助努力によってそれを実現してゆくことが最も重要である。

 

 簡単に言えばジャーナリズムの依頼仕事で力尽きてしまう作家は、花形作家であってもいつか消えてゆくあだ花作家になってしまうということだ。掃除当番のようなもので、そういった作家はいつの時代でもいる。代わりがいらくでも見つかるということである。ただこのジャーナリズムの都合と自己本来の創作欲求に折り合いが付けられれば、作家主導でジャーナリズムを作品や批評の発表の場として有効に活用できるようになるだろう。

 

 俳句が今日のように世界に広まった発端はどこにあるのだろうか。通説では二十世紀初頭にエズラ・パウンド(一八八五~一九七二)というアメリカの詩人が世界で初めて「IN A STATION OF THE METRO(地下鉄の駅にて)」と題する英詩を作り、それが源流となって世界に広まったとされている。しかし、パウンドが無から俳句を生み出すことはできない。その前に日本人の誰かがパウンドにどこかで俳句を教えていたはずである。その日本人とは、存在をしばらく忘れ去れていたが、野口米次郎(一八七五~一九四七)に他ならない。野口こそ俳句を世界に広めた人である。

(木内徹「野口米次郎――俳句を世界に広めた人」)

 

 英文学者の木内徹氏が野口米次郎とエズラ・パウンドを中心とするアメリカのモダニスト詩人たちとの関係について書いておられる。今や世界中に俳句の愛好者がいるのは周知の通りである。俳壇にもいくつか海外俳句○○といった組織がある。ただ海外俳句に対する俳人たちの興味は概して薄い。日本の俳壇で冷や飯食いになった俳人が、海外俳句の普及活動でうさを晴らしているといった面もないことはない。俳人たちは会社に属するサラリーマンのように、上から下まで日本の俳壇〝内〟での〝出世〟をどこかで望んでいるということでもある。それを誰もが馬鹿馬鹿しいと言いながら血道をあげて競争している。海外俳句の普及は国内俳壇・俳人の権威の飾りという面が強いのである。

 

 俳句の世界の最も大きな弊害は、俳人たちの視線が狭い俳壇内に閉じがちだということにある。だから俳句関連書籍でちょっと売れる本は、小説家などが〝外部〟からの視線で書いた俳句や俳人論になりがちだ。ただ俳句が日本国内の俳人たちによって連綿と守られ受け継がれてきた〝伝統芸〟ではなく〝文学〟であるならば、俳句文学を外部の視線によって相対化して捉える努力が必要である。パウンドを始めとする海外の詩人たちは俳句を自分たちの文学を活性化させるためのファクターとして受容・消化したが、日本の俳人たちは海外俳句の普及を一種の国粋主義的勲章くらいにしか捉えていない。木内氏の批評は俳句文学を相対化するための手がかりの一つになるだろう。

 

私の窓に来た鳥よ/歌のように美しいのか、/そう、愛の翼が君を運んで来たのだ!

ジレット・バージェス

 

わが恋人の長い髪が/天国の門から私に降りかかる/見よ、夕刻の影を

野口米次郎

 

地下鉄の駅にて/人ごみのなか顔が次々に出てくる!/濡れた黒い枝に付いた花弁

エズラ・パウンド

 

 原文は省略するが、三篇とも英語による初期俳句(的作品)である。木内氏が論じておられるように、野口米次郎が英語圏の詩人に最初に俳句を紹介した日本人であることは間違いない。ただなぜ英語圏でパウンドが俳句文学最初の実践者として記憶されているのかも考察する必要がある。パウンドが米次郎の俳句論を読んで影響を受けたのは確かだが、彼ははフェノロサ遺稿の整理で日本文化を理解しようと勉めた。また実際に舞うことができた伊藤道郎から能を学んでいる。それらを複合させて直観的に俳句文学を理解している。

 

 バージェス、野口、パウンドの初期俳句作品で〝I〟や〝My〟、〝You〟といった人称を使っていないのはパウンドだけである。純客観描写が俳句文学の基層であり本質的手法であると理解していたのである。バージェスや野口の作品が英語的俳句であるのに対して、パウンド作品は俳句的英語作品だということだ。西脇順三郎の英詩をパウンドが面白がった理由もそこにある。俳句一筋にその本質を探究するのも大事だが、外からの視線で大きな枠組みで俳句文学を捉えれば、その理解はさらに進むだろう。

岡野隆

 

 

 

 

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