二つ目の秋櫻子論は坂口昌弘さんの「高濱虚子の人間関係史-第十九回 水原秋櫻子とのえにし」。坂口さんは冒頭で「秋櫻子は新興俳句の俳人たちと、反・虚子というだけで同じレッテルを貼られてしまった。虚子と秋櫻子の違いは、客観と主観という表現方法の違いだけであって、有季定型という伝統俳句の路線には違いがなかった。虚子と秋櫻子の人間的な関係が起こした事件であった」と書いておられる。
坂口さんの評論は小気味いいが、秋櫻子が「反・虚子という(理由)だけで(新興俳句と)同じレッテルを貼られてしまった」というのは言い過ぎだろう。誰がどう見ても秋櫻子の作風と新興俳句のそれは違う。一般的理解は秋櫻子と山口誓子が新興俳句の端緒になったというものである。秋櫻子の主観俳句と誓子のモダニズム、というより「機缶車」「ピストル」など大胆で斬新な現代的な言葉を取り入れたことが新興俳句の素地となった。
ただ「虚子と秋櫻子の違いは、客観と主観という表現方法の違いだけ」というのは概ねその通り。秋櫻子離反が虚子との「人間的な関係が起こした事件」であるのもその通りだろう。
秋櫻子の批判は虚子が主観表現を軽視しているというのが主眼であり写生の重要性については一致していた。折り合おうと思えばできたはずだ。それは虚子と河東碧梧桐も同じである。正岡子規死後すぐに虚子と碧梧桐の反目が始まったが碧梧は子規写生俳句の忠実な信奉者だった。新傾向俳句は萩原井泉水や中塚一碧楼の無季無韻俳句を生んだが碧梧はその端緒であり無季無韻俳句の支持者ではない。虚子と碧梧も折り合える点はあったがそうしなかった。ストレートに言えば虚子-秋櫻子、虚子-碧梧の対立には人間的好悪や俳壇での主導権争いが見え隠れする。いわゆる俳壇政治(俳壇史)である。
秋櫻子が新興俳句運動を始めた事やその運動から離脱したという歴史的事実は全くない。秋櫻子の俳句活動と新興俳句運動とはその始まりから本質的に全く別の活動である。同じ活動と混同することは秋櫻子の俳句観を正しく理解しないことであり、無季戦争句をも正当に理解しないことになる。なぜ検挙されたかの歴史的真実を正しく理解しないと検挙された俳人の霊が浮かばれない。
自身も新興俳句弾圧事件で検挙された三谷昭は「馬酔木」は「運動全体の連帯感」は「はじめからほとんど見られなかった」ので「馬酔木」を加えることは「ためらい」があるが、反「ホトトギス」の態度が清新な気風をもたらした功績は大きいという。秋櫻子は運動への連帯感は初めからないのだから新興俳句を始めたことも戦列を去ることもないのである。
坂口昌弘「高濱虚子の人間関係史-第十九回 水原秋櫻子とのえにし」
坂口さんの論は明快だがその分取りこぼしている部分が多い。連載のタイトルは「高濱虚子の人間関係史」であり基本的に虚子中心の俳壇史だった。それが秋櫻子編では作品史になっていて、かつ作品史の総括が甘い。
秋櫻子主観俳句は俳句が初めて正面から自我意識表現を取り入れた画期的試みだった。それが戦争へと突入していく不安な世相の中で、あっという間に当局批判を含むいわゆる新興俳句運動になっていった。俳句史上初めて政治批判などの自我意識表現が先鋭化したのだった。そこには当時のプロレタリア文学も大きく影響している。
また新興俳句は特高による検挙(新興俳句弾圧事件、京大俳句事件)によって文字通り壊滅した。が、戦後のざわつく世相の中で再び当局批判を行った俳人はいない。彼らは政治的主義主張に殉死した作家たちではない。むしろ戦後は秋櫻子的主観俳句に回帰していった。その中で最も自我意識を先鋭化させたのは富澤赤黄男だが政治とは無縁だった。赤黄男は戦後詩と同じように極度に抽象化された表現によって独自の自我意識を表現し、それが高柳重信の前衛俳句に繋がっていった。そこまで追わなければ新興俳句の総括としては不十分である。秋櫻子の新興俳句のレッテルの是非は大きな問題ではない。
俳壇政治的に俳句史を見るのではなく、純粋に秀句・桂句を評価するという立場から俳句史を見ることが必要である。平和な時代には何を言っても許される。戦争反対の句を詠む人は批判精神があるとされて尊敬される。しかし、戦争が一端、始まれば、誰も戦争に反対せず沈黙する可能性がある。秋櫻子に新興俳句のレッテルを貼ることを止めて、世界中の戦争を止めるために、また将来、戦争を始めないように、今、俳人が何をすべきか考える方が大切である。過去の歴史を学ぶことは未来の平和のためである。
同
坂口さんの評論の止めだが申し訳ないがどう読んでも嘘くさい。秋櫻子に新興俳句のレッテルを貼ることを止めても世界中で起こっている戦争を止めることなどできない。俳人がいくら考えどんな作品を発表しても将来起こるかもしれない戦争を止めることもできない。もし戦争が起これば親兄弟が兵隊に取られるわけで太平洋戦争の時ほどではないだろうが大勢は挙国一致になっているはずだから戦争反対の句を読んでも尊敬されないだろう。むしろ疎まれる。またそれが俳句の、文学本来の表現であるわけでもない。反戦であろうと人は思想のためには死ねない。そんなのは嘘っぱちだ。また本当に「純粋に秀句・桂句を評価」したいなら当然の手順としてまずアプリオリに虚子ありきの「高濱虚子の人間関係史」の大枠を外す必要がある。
岡野隆
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