今月は「HAIKUの世界 海外の実情と発信の意義」の特集が組まれている。
海外の詩人がハッキリ俳句表現から影響を受けたのは、二〇世紀初頭のアメリカのイマジストたちが最初だろう。エズラ・パウンド、W・C・ウィリアムズ、e・e・カミングズらがその代表である。中でも積極的だったのはパウンドである。
地下鉄の駅で
人混みのなかのさまざまな顔のまぼろし
濡れた黒い枝の花びら
エズラ・パウンド『大祓』所収 一九一六年 新倉俊一訳
パウンドの俳句への興味は「イマジズム」と呼ばれる。イマジズムはパウンド周辺でブームとなり一九一五年にはエイミー・ローエルによって『イマジスト詩人選』が出版された。『地下鉄の駅で』はその実作の一つである。とりたてて優れた詩ではないがパウンドはこの作品に愛着があったようで詩集『大祓』に収録した。
「イメージ」とは瞬間のうちに知的・情緒的複合を表現するものである。
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瞬間的にこのような「複合」を表現することが、不意の解放感をあたえてくれるのだ。それは時間的制約とか空間的制約からの自由の意識である。そしてまた、それは最高の芸術作品に接したとき経験するあの不意の成長の意識でもある。
だらだらとながい作品を書くよりも、生涯にいちどひとつのイメージを表現する方がいい。
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なんの意味ももたない余分なことばや形容詞を使わないこと。
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抽象をおそれること。よい散文ですでにやられていることを下手な韻文でくりかえしてはいけない。
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あまり「観念的」にならないこと――そんなことはけちくさい哲学的評論を書くひとたちに任せておけばいい。あまり描写的にならないこと。風景ならあなたがたより画家の方がずっとよく書けるし、またもっと知っていることを心に留めておくといい。
エズラ・パウンド『イマジズム』一九一三年 新倉俊一訳
パウンドが俳句から受けた――俳句から感受した――影響は実作よりも詩論『イマジズム』によく表現されている。「なんの意味ももたない余分なことばや形容詞を使わないこと」「抽象をおそれること」「あまり「観念的」にならないこと」といった言葉がそれをよく表現している。
パウンドは現実界に存在する具体物を最少の接続詞などで結び付けることで「時間的制約とか空間的制約からの自由の意識」が得られると考えた。具体物の有機的取合せによる明瞭なイメージによって作品の意味内容を生み出す方法だと言ってもいい。「だらだらとながい作品を書くよりも、生涯にいちどひとつのイメージを表現する方がいい」と書くほどパウンドは一時期俳句的な短く端的な表現にのめり込んでいた。
ただよく知られているようにパウンドはその後すぐにイマジズム運動に距離を置き、ウインダム・ルイスと「ヴォーテシズム」運動を始めた。一九一四年、第一次世界大戦勃発の年である。渦巻き運動と和訳されるがダダイズムと同様に既存の芸術(当時パウンドが住んでいたイギリスのジョージアン・ポエムなど)を否定し破壊するための前衛運動だった。
一九一七年、イマジズムとヴォーテシズムを経てパウンドは最初の『詩篇』四篇を発表した。『詩篇』は百十七篇まで書き継がれ二万七千行を越える長篇詩になった。長い作品を書くより短く決定的なイメージを表現する方がいいと書いていた詩人がその正反対の試みに生涯を費やしたのである。ただパウンドの基本詩法はイマジズムだった。
すでに日の沈んだ者
羊はとても澄んだ目付きをしているとかれは言った。
それから 「羽衣」の天女が私に近づいてきた
光る天使たちの環のように
ある日は「泰山」に雲がかかり
ときには夕日のかがやきに包まれて
同志がまんぜんと私を祝福してくれ
夕暮に雨溝のなかで泣いた。
「スント・ルミナ」
ドラマはすべ心のなかだ
石は彫刻師のあたえる形を知っている
石はその形を深く知っている
キュテーラや、イソータや、トゥリオ・ロンバルドが
基礎を作ったサンタ・マリア・ディ・ミラッコリも。
ノー・マン
すでに日の沈んだ者
ダイヤモンドはなだれにも滅びることはない
たとえ土台から裂かれても
ほかの力が滅ぼすまえに みずから破壊するからだ。
エズラ・パウンド『詩篇』「第七十四篇」
「ピサン・キャントーズ」として知られる「第七十四篇」の部分である。「私」が現れるがその内面は具体物で表現されている。もしくは「石は彫刻師のあたえる形を知っている/石はその形を深く知っている」と具体的に表現される。ボードレール、ランボー、ヴェルレーヌから始まりマラルメ、ヴァレリーと続き、今もその影響を与え続けているフランス象徴主義詩と比べればパウンドの詩は明瞭だ。喩表現を重視するヨーロッパ詩とは異なるアメリカ独自の詩である。
翻って日本の俳句を見てみよう。大正末から昭和初期にかけて俳句は同時代のモダニズムやプロレタリア詩の影響を強く受けた。新興俳句の時代である。戦後の高柳重信の前衛俳句も同時代の戦後詩・現代詩の影響を色濃く受けた。しかしその影響は一過性のものだった。まったく俳句の基盤に影響を与えていない。河東碧梧桐の新傾向俳句や中塚一碧楼、萩原井泉水の自由律俳句も同様である。
つまり俳句は、俳句以外の表現ジャンルに影響を与えることはあっても俳句外の文学ジャンルから影響を受けることがない。せいぜい俳句にアクセントを加える程度だ。俳句は日本文学におけるスタンドアロンである。なにをどうやっても俳句の基盤は動かない。それは今後も変わらないだろう。
海外の、特にヨーロッパ、アメリカの詩人たちが俳句を好む理由はいくつかあげられる。まず日本と同様に定型があり短いので簡単に詠めるということがある。また欧米は基本自我意識文化である。僕が、わたしがの自己主張とオリジナリティ強迫にうんざりした詩人たちが俳句をカウンターカルチャーとして受け取るのである。パウンドの時代からしてそうだった。俳句は非―自我意識文学であり循環的調和的世界観を表現している。それはポストモダン社会における新たな基軸となり得るものかもしれない。
俳句人口が世界中で増え続けているのは良きことかな、である。そして俳壇を代表する句誌の実作と評論は虚子、虚子、虚子一色である。つまり虚子が言ったように俳句はなにをやっても変わらない。どんな新しい試みをしても必ず五七五に季語の写生中心の表現に戻ってくる。虚子は俳句は日本文学の刺身のツマだが、日本が世界に誇れるオリジナリティの高い文学だと言ったがこれもその通りだろう。今後も変わらない。
ただ虚子の諦念とも絶望とも呼べる文学を頭から尻尾までスッポリ受け入れながら決して絶望しない俳人たちは摩訶不思議だ。俳人たちは虚子の諦念と絶望を決して直視しようとしない。俳句が世界中で創作人口が増えているとして、それはしょせんよそ事だろう。日本の俳人を家元として丁重に遇してくれるかもしれないが、どの国でも俳句あるいは俳句らしきものを書いて仲間內で楽しむだけだ。どんなに世界で俳句が受け入れられようと結局のところ俳句はなんの影響も受けない。俳句布教の経済効果以外に俳句そのものが得るものはない。
お茶やお花のお稽古のようにひたすら虚子をなぞりながら俳句で作家独自のオリジナリティを表現できると喧伝するのは矛盾している。それでは虚子が書き残していてもいいような俳句のバリアントしか生まれない。ほんのわずかな違いを針小棒大に過大評価することになる。俳句を多少でもオリジナリティのある文学としたいなら、海外俳句普及を喜ぶより、まずなにをどうやっても変わらない俳句に絶望することから始めてみてはいかが。
岡野隆
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