句誌は頭からザーッと目を通してゆくが、似たような作品が並ぶ。ほとんどが虚子的有季定型写生俳句か秋櫻子的有季定型主観俳句である。これだけ同じ傾向の句ばかりが並ぶということは、虚子・秋櫻子的な書き方でなければ続かないことを意味している。そうしなければ俳句を書き続けるのが難しいということだ。
実際奇を衒った俳句を書く作家もいるが絶対に安定的に書き続けられないだろう。安井浩司は「俳句には故郷がある」と言ったがどう〝俳句の故郷〟を把握するのかという問題でもある。戦後に富澤赤黄男や高柳重信に主導された前衛俳句の時代があった。金子兜太の前衛俳句とは比べものにならないほど実験的試みだった。しかし彼らは俳句の故郷を抑えていた。定型を崩しても季語がなくても読者が〝これは優れた俳句である〟と認知しなければ空回りの俳句実験で終わってしまう。山頭火の無季無韻俳句が多くの読者を持っていることからもわかるように、俳句は五七五に季語の定型で成立しているわけではない。
ただ重信は山頭火論で、山頭火は人生から逃げ、俳句形式からも逃げた俳人だと厳しく批判している。なるほど山頭火の俳句は無季無韻でも俳句として成立している。が、真正面から定型と季語の縛りを脱した俳人ではない。徒手空拳のたまさかだ。赤黄男や重信はそれを一定の方法で正面中央突破しようとした。彼らの後継である加藤郁乎や安井浩司も同様である。方法とは偶然の排除である。偶然を必然に変える力が方法である。
しかしそれは普通の俳人には難易度が高いだろう。必ず五七五に季語の定型として立ち現れる俳句像のさらに奥を見つめなければならないからである。無季無韻でも俳句が成立するということは、五七五に季語の定型像のさらに奥に俳句の原像があることを示唆している。それが俳句の故郷である。この故郷を把握すれば定型はさほど問題にならない。優れた前衛俳句の作家たちはもちろん、与謝蕪村や永田耕衣のように有季定型でも凪いだ俳句を泡立たせる前衛俳句になる。
水といふ水ささめくや広島忌
噴水の裸身ほどけて水に入る
さはやかや水分り石は球となり
墓どれも苔をまだらに秋の水
水の面に空に涼しよ鳥の声
青芝や子供放てば水香る
聖水にひたす指先雁の頃
独活噛むや水の香ふかき喉の奥
正面に水の心音滝凍つる
檜山哲彦
今月号にはドイツ文学者で俳人だった檜山哲彦さんの追悼が組まれている。引用は木暮陶句郎さんの追悼文「水の俳人」からである。檜山さんの水を詠んだ句をチョイスなさっている。檜山さんは昭和二十七年(一九五二年)生まれ、令和五年(二〇二三年)没、享年七十一歲。社会性俳句で知られる沢木欣一に師事した。ただ作風は師とは異なる。
檜山さんの句は有季定型写生俳句の範疇だと言えるだろう。しかし厚い雑誌を読んでいってパッと目に留まる。虚子的有季定型写生俳句でも秋櫻子的有季定型主観俳句でもない。「噴水の裸身ほどけて水に入る」「正面に水の心音滝凍つる」にあるように句の主体は「水」である。「独活噛むや水の香ふかき喉の奥」にしても単にわたしが「水の香」を感じたわけではない。わたしの身体は深い「水の香」を感じるために独活を噛んでいる。高屋窓秋の「山鳩よみればまはりに雪がふる」に近い句法である。
蛇衣を脱いで口の端虹色に
全長をたぐり入れたり穴惑
裏がへる瞼まつさらに蛇の衣
なぎわたる三稜形の水脈を蛇
追悼文「蛇の道」でしなだしんさんは檜山さんの蛇の句を挙げておられる。「蛇」の句でも檜山さんの句法は基本的に同じだ。作家の視線は蛇に憑いている。しかし単純な写生ではない。読後感は確かに淡い。しかし「全長をたぐり入れたり穴惑」のように表層的な写生の奥に俳句を引き込もうとしている。檜山さんが独自の俳句を書けた理由は彼がドイツ文学者だからだろう。俳句に距離がある。俳句はその後ろ頭をスリッパで叩くような方法を持たなければ新し味を出せない。真正面から俳句に突っ込んでいけば必ずいつの間にか虚子・秋櫻子的な書き方になっている。
ただ赤黄男―重信が始めた前衛俳句は郁乎、浩司で臨界点にまで達したと言っていい。その先は恐らくない。俳句前衛を求めるなら思想的にも技術的にも安井浩司が達した地点から反転しなければならない。この反転は基本、伝統俳句への展開になる。しかし今の俳句のように虚子的有季定型写生俳句と秋櫻子的有季定型主観俳句の二者択一ではまったく意味がない。それではいつの時代でも凪いでいる俳句は泡立たない。伝統俳句の換骨奪胎が俳句前衛の課題である。
馬の眼の底になほ底草の花
緑蔭を瞳大きく話すなり
白鳥をのせ湖は一枚に
伝統俳句の換骨奪胎という課題から言えば、檜山さんのこれらの句がそれに近いかもしれない。
岡野隆
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