小原眞紀子さんの連作詩篇『『ここから月まで』第06回 塔/径/恋』をアップしましたぁ。今回はうっすらとした恋愛詩です。普通の恋愛詩ではなひところが小原さんらしひです。

 

なるほど僕は押し出されてゆく

いつもどこかへ

脚は(中心)に引っ張られ

頭が(空)になる

あれが天の川

外箱のリボン

やっぱり薄っすら光っている

僕らの観念がぶんまわされ

概念がのたくった跡だ

地球をめぐって

でも僕の肉体は還ってはこない

ここへは二度と

だから今は

君と手を繋いでいよう

だんだらの小径で

いずれは解き放たれ

声のする方へ

惹きつけられていくのだから

(小原眞紀子『径』)

 

どこへ『惹きつけられていく』のかが小原文学の主調低音になっているテーマでせうね。それは観念であると同時に現実に深く結びついています。その両者を無理なく追えるのが小原さんといふ作家の特徴だと思います。

 

文学金魚が掲げる〝総合文学〟は、現実には詩人にしか不可能です。あからさまに言えば、いわゆるデビューを遂げた小説家は、小説が現実世界と密接に結びついていること――つまり小説がお金や名誉といった現実のしがらみそのものでもあることを骨の髄まで叩き込まれています。良い悪いの問題ではなく、小説家が無償の文学――つまり詩に本気になるのはほぼ不可能です。

 

もちろん浮き世離れした詩人が唱える無償の文学など、現実世界では脆いものです。戯言だと切り捨てることもできる。ただ文学の世界は、ほぼ現世的利益とは無縁に無償の文学を追い求める詩人と、売れる売れないを厳しく突き付けられる小説家の世界が乖離する形で今まで進んできました。しかし小説、特に純文学は絶望的に売れなくなっています。この状況によって、小説家の中にもなぜ書くのか、どうして自分はかくまで文学に惹きつけられるのかといった自問が拡がっています。

 

詩人と小説家はベクトルが違いますが、文学業界全般の低迷によって、それぞれの基盤を再確認しなければならない状況が出現し始めています。小原さんが小説家として純文学だけではなく、サスペンス小説の原案も手がけておられるのは面白いことです。そのようなアプローチ方法自体が、小説文学に対する小原さんの認識を表しているのだと思います。

 

 

小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』第06塔/径/恋』 pdf版 ■

 

小原眞紀子 連作詩篇 『『ここから月まで』第06塔/径/恋』 テキスト版 ■

 

 

第04金魚屋新人賞(辻原登小説奨励賞・文学金魚奨励賞共通)応募要項

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