大篠夏彦さんの文芸誌時評『No.029 文學界 2015年09月号』をアップしましたぁ。木村紅美さんの『八月の息子』と佐藤モニカさんの『コラソン』を取り上げておられます。大篠さんは『若い女性作家の場合、まあはっきり言えば性的な事柄を題材にした方が文壇受けがいい。男性読者が喜ぶからだが、文壇賞の選考委員はなんやかんや言って男の作家が多いからでもある。ちょっと言い過ぎかもしれないが、多くの男性作家は男との性的接点を介さなければ女性作家の作品を読み解けないところがある』と書いておられます。まあそういう傾向はありますね。

 

じゃあ女性的なエクリチュールとはどういふものなのか。木村さんの『八月の息子』について大篠さんは、『泉はリーダーが現実には不在だからこそ彼を愛し、彼の言う通りに恋の逃避行に旅立つことができる。愛することができる男は彼女にとって大きな存在だが、それは本質的に不在で良い。どっかりと実在して目の前から動かないのは母親だ。泉は闘病中の彼女を置いて、決して家を出たりはしないだろう』と批評しておられます。

 

佐藤さんの『コラソン』については、『女たちの共同体の中で男は常に不在の中心でしかない。小説の最後で少女を「おちびさん」と呼んで可愛がってくれた、レインボーおばさんというあだ名の老女性が死ぬ。レインボー伯母さんは亡くなる直前に少女に詩を書いて渡してくれた。「大切なものを探して/どんなものにも代わりにならない/大切なものを探して」と書かれていた。それを訳しながらアナが「まるでここにいる全員のことみたいじゃない」と言う。「どんなものにも代わりにならない/大切なもの」は確かにある。しかしそれは常に不在だ。その空虚な実質が漏れ出さないように、女たちの濃密で細やかな共同体が周囲に広がっている』と批評しておられます。

 

なお第一回文学金魚セミナーが無事終了しました。セミナーおよび懇親会に参加していただいた皆様に深く感謝申し上げます。

 

 

大篠夏彦 文芸誌時評 『No.029 文學界 2015年09月号』 ■

 

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