演劇評_No.026_01

 

 

【公演情報】

会場 こまばアゴラ劇場

鑑賞日 10月5日

 近松門左衛門

監修・補綴 木ノ下裕一

演出・作詞・音楽 糸井幸之介

音楽監修 manzo

出演

紙屋治兵衛 日高啓介

紀の国屋小春 島田桃子

おさん 伊東沙保

粉屋孫右衛門 武谷公雄

太兵衛 小林タクシー

治兵衛叔母(おさん母) 西田夏奈子

丁稚三五郎・太兵衛相棒 若松朋茂

 

 

 古典作品を現代風に上演することで知られる木ノ下歌舞伎の最新作『心中天の網島』は9月に京都のアトリエ劇研で発表された後、東京のこまばアゴラ劇場で9月23日から10月7日まで上演された。今回は劇団FUKAI PRODUCE羽衣の全作品の演出を手掛ける糸井幸之介が演出をつとめ、木ノ下歌舞伎の主宰者である木ノ下裕一の監修の下で近松門左衛門の晩年作『心中天網島』が音楽劇として再構成された。

 

 糸井幸之介は「妙―ジカル」というジャンルを成立させた演出家である。妙―ジカルとは「奇妙なミュージカル」の略だそうで、歌と踊りを中心とした演劇である。近松の『心中天網島』は竹本義太夫のために作られた浄瑠璃の台本であり、歌、語りとセリフで構成されている。音曲部分を含む台本を現代演劇として上演するに当たり、糸井幸之介は演出をはじめ、作詞と作曲をも担当した。

 

 『心中天網島』は1720年の10月に起きた心中事件を題材にして作られた作品で、同年12月に大阪の竹本座で初演された。近松が最初の世話物だと言われる『曾根崎心中』(1703年)を発表してから17年後の作品である。『曾根崎心中』は大好評で、その後も数多くの心中物が人形浄瑠璃や歌舞伎の舞台で発表された。それは実際に心中事件が増える社会現象を引き起こし、ついには1723年に幕府によって心中物の上演が禁止されるに至った。

 

 そもそも心中とはこの世で結ばれることのできない恋人たちが、あの世に生まれ変わったら結ばれるだろうという希望を抱いて一緒に死ぬ行為である。死によって恋愛を貫くことは来世への信仰を前提としており、同時に現世の社会的秩序に対する絶望を反映している。

 

 『心中天網島』は恋仲にある遊女・小春と紙屋治兵衛が心中に至るまでの物語である。舞台は二人が心中する約束を交わした後から始まる。治兵衛は夜毎死ぬ覚悟で小春の元に通うのだが、店の者らの知るところとなり、小春は彼に会うことを禁じられてしまう。治兵衛の身を心配した妻・おさんは小春に手紙を書く。小春は手紙を読み、治兵衛の兄で、治兵衛と別れるよう説得しに来た粉屋孫右衛門に、本当は死にたくないという言葉を洩らす。それを聞いた治兵衛は激怒し、小春に別れを告げる。

 

 しかし家に帰っても治兵衛の心は小春から離れないままである。そうこうするうちに、恋敵の伊丹の太兵衛が小春を身請けしようとしているという噂が耳に入る。夫から、治兵衛以外の男に身請けされるなら己の命を絶つと小春が言っていたと聞いたおさんは、小春の身請けを治兵衛にすすめる。店の金や着物を質に入れて金を工面するのだが、娘夫婦を心配して紙屋を訪れた父・五左衛門にそれを知られてしまう。激怒した五左衛門は娘を家に連れ帰り、治兵衛と離縁させてしまう。何もかも失った治兵衛は小春を連れ出し、死に場所を求めていくつかの橋を渡ってから網島で心中を遂げたのだった。

 

 近松の原作は当時の流行歌謡で開幕するのだが、それを反映する形で、糸井幸之介演出の『心中天の網島』も歌で始まる。劇場の空間全体を包み、観客を物語の世界へ導くための大らかなミュージカル風の歌である。もちろん登場人物の身だしなみは現代的で、歌、語りやセリフも現代語なのだが、「心の中へ入る」と繰り返される歌詞をはじめ、劇中歌の言葉は近松が愛用した掛詞と縁語をなぞっている。

 

 これも原作に忠実に、木ノ下歌舞伎版『心中天の網島』も三つの場面から構成されている。最初の場面は小春が中心で、彼女の住む世界やそこで生まれる恋愛物語の儚さが、網のような床で象徴されている。床から50センチくらいの高さに細い道の形で設置された網は、「天網恢恢疎にして漏らさず」(天の網目は粗いが悪人は一人も取り逃さない)の「天網」を連想させる。一歩踏み誤ったら落ちてけがをし、場合によっては死んでしまうことが示唆されている。このセットで小春はおさんからの手紙を受け取り、治兵衛の悪口を言う太兵衛と争い、家庭を持つ治兵衛と心中したら天が許さないと力説する孫右衛門と話し合う。そして治兵衛が小春を殴って捨てる場面が展開するのである。

 

 登場人物たちの間で「死」や「心中」といった深刻な言葉が頻繁に飛び交うのに、芝居には笑いを誘う要素がある。特に恋敵で悪役の太兵衛や、どうしようもないダメ人間の治兵衛の滑稽さが目立つ。劇中歌にもユーモアが込められているのでなお観客は困惑する。愛を貫くために死を覚悟した主人公たちに同情したいが、同情しきれないのである。観客は何を信じていいか分からない困った立場に立たされる。

 

 次の場面は治兵衛とおさんの家が舞台である。網の上に丈夫な板が敷かれ、その安定した土台の上に家具が置かれている。「家族」の象徴であり「家庭」の中心でもある炬燵が部屋の真ん中にあり、その存在感は大きい。炬燵にもぐり込んで治兵衛は涙を流す。おさんは小春をその涙で悲しませてはいけないと言って彼を慰める。夫婦のこのやり取りは耳を疑うほど不条理なのだが、理屈を超えたおさんの優しさは、深い悲しみから出ていることが次第に明らかになる。

 

 おさんは治兵衛の従妹だった。幼なじみで子供の頃から互いを大切に想っていたので結婚したのだった。観客の目の前で子供の頃、結婚の時、息子が生まれた際の思い出が浮かび上がり展開してゆく。明らかに二人はまだ愛し合っているように見える。しかし太兵衛に身請けされたら小春は独りで死ぬだろう。夫の浮気相手だがおさんは小春を死なせたくない。治兵衛が小春を身請けするための金を工面し始めるわけだが、この場面のおさんの姿を見て、観客はもう一つの愛の形を目にしていることに気づく。

 

 だがおさんは実家に連れ戻され、治兵衛はすべての世間的な信用を無くしてしまう。治兵衛は暖かかった家を壊し、再び網の上に戻る。夜中に小春の元に忍んでゆき、小春を殴ってしまったことを詫びる。二人は愛の言葉を交わしながら仲直りするが、彼らの愛の言葉は観客にはこっけいにしか聞こえない。二人は改めて心中する覚悟で一緒に逃げだす。「名残の橋づくし」という場面は死への道行で、二人は大阪のいくつかの橋を渡る。彼らの唯一の望みは彼岸にたどり着くことである。網島の水門の辺りで疲れはてた二人は足を止めて、社会と縁を切るためにお互いの髪を切り出家する。小春に促されて治兵衛は彼女の首を刀で突き刺す。しかし力が足りず小春は死ねないまま苦しむだけである。狂気に至った治兵衛は改めて恋人の首を刺す。やっと息絶えた小春を見てから、自分も首を吊って死んでしまう。

 

 二人の心中場面さえも本当の意味で悲劇的に見えない。愛する人ならせめて苦しませないように一気に殺すべきだろう。しかし治兵衛は最後までどうしようもないていたらくで、小春を格好悪い形でしか死なせてやれない。二人の死にざまの滑稽さを目にして、観客は笑うべきか、泣くべきか戸惑うのである。

 

 この場面の最後に再びおさんが登場する。家の中で独りになった彼女の表情には諦念のようなものがある。しかし家事をすませてから子供と遊ぶ彼女の姿は、生きる強さを放っている。舞台の最後に俳優たち全員が登場し、盛大に歌を合唱する。時間とともに何もかも流れ去り消えていくという歌詞に、観客は絶望を感じ取るべきか、希望を持つべきなのかとまた戸惑うのだが、笑いかけのような表情で、歌いながら退場する俳優たちを見送ったのだった。

 

 共に心中物なのだから、観客の中には近松最初の世話物である『曾根崎心中』を思い出した人もいるだろう。ただ『曾根崎心中』のお初と徳兵衛の物語と違って、『心中天の網島』の主人公たちの恋物語は理想的ではない。『心中天の網島』には観客の感情移入を妨げる仕掛けがあり、最後まで恋人たちに同情しきれないのである。その仕掛けは、子供っぽく未成熟な治兵衛の滑稽さである。悲劇的な登場人物になり切れない治兵衛の人物像を造形することで、近松はこの作品に禁断の恋愛の理想化を否定する要素を込めたのである。

 

 観客が登場人物に感情移入をするのを妨げる仕掛けは、ブレヒトの作品に見える異化効果を思い出させる。ブレヒト作品は観客が登場人物と距離を置いて、物語の内容に関する冷静な判断を下すことを促すのである。観客は物語と距離を置くことで客観的な思考を身につけ、人間として成長できるとブレヒトは考えていた。その教訓的な発想のため、ブレヒトの作品はお説教じみた演劇として批判されてきた。しかし社会における演劇の可能性を考える上では、ブレヒトが探求していた演劇的方法は無視できない。

 

 『心中天の網島』に見える異化効果は近松の原作に元来からあって、糸井幸之介の演出によってより鮮明に浮き彫りになった。木ノ下歌舞伎の公演を見た観客は、自分は何に笑ったのか、何に泣きそうになったのか分からない状態を体験した。そもそも「義理」とは何か、「人情」とは何か、この作品においては誰が悪いのか、そして「恋愛」を貫くとはどういうことなのかについて、そう簡単に判断を下せない困惑を感じることができた。『心中天の網島』の現代への移植によって、異化効果を宿す芝居が近松の時代から古典文化にあったということが可視化されたのである。そのおかげで古典はこんなに面白い、現代の私たちにこんなに響くのだと発見して喜ぶ観客もいるだろう。現代と古典の間を架け橋でつなぐ仕事に力を注ぐ木ノ下歌舞伎の今後の舞台も楽しみである。

ラモーナ ツァラヌ

 

 

 

 

フェスティバル/トーキョー13ドキュメント 曾根崎心中・冥途の飛脚 他五篇 (岩波文庫)

 

 

 

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