【公演情報】
国立能楽堂定例公演
鑑賞日 9月16日
演目 狂言〈蚊相撲〉(大蔵流)、能〈鵺〉(宝生流)
出演
狂言〈蚊相撲〉
シテ(大名) 茂山 千五郎
アド(太郎冠者) 茂山 良暢
アド(蚊の精) 茂山 正邦
能〈鵺〉
前シテ(舟人)/後シテ(鵺) 佐野 登
ワキ(旅僧) 高井 松男
アイ(所の者 茂山 茂
笛 槻宅 聡 小鼓 観世 新九郎 大鼓 大倉 正之助 太鼓 小寺 真佐人
後見 宝生 和英 渡邊 茂人
地謡 藪克徳 小倉健太郎 佐野玄宜 渡邊荀之助 和久荘太郎 辰巳満次郎 小倉伸二郎 水上優
9月16日に行われた国立能楽堂の定例公演では宝生流による〈鵺〉を鑑賞することができた。〈鵺〉は『平家物語』を題材にした能で、趣向でいえば「切能」である。「切能」とは五番立ての番組で最後に演じられる演目で、鬼神または鬼畜を主人公とし、ダイナミックに終わる能のことである。他の能と違って〈鵺〉の出来事はどの季節を背景にしているのか曖昧だが、「月」が大きな存在感を発揮しているので、月が寂しげに輝く初秋の夜のような雰囲気がある。
世阿弥は『平家物語』に拠った作品を数多く作っているが、〈鵺〉は他の作品とは少し違う趣を見せている。源平合戦で命を失った文武両道の武将たちの亡霊を能の主人公とし、旅僧による彼らの弔いを演出するのは、修羅物というカテゴリーの能の一般的な形式である。〈鵺〉の主人公は、偉業を成し遂げて名誉を得た英雄ではない。『平家物語』巻第四に登場する、源頼政に退治された怪物そのものである。頭は猿、尾は蛇、足手は虎と描写される化け物で、鳴き声は夜中に鳴くトラツグミの声に似ており、「鵺」と呼ばれるようになった怪物である。悪者で、しかも敗者である鵺を能の主人公にした世阿弥の意図は何だったのだろうか?
〈鵺〉は普通の夢幻能のように始まる。摂津の国芦屋の里にたどり着いた旅僧は一夜の宿を探すが、所の者にその場所には化け物が出ると忠告される。僧は近くにある御堂に泊まることにする。夜中に、「悲しきかなや身は籠鳥、心を知れば盲亀の浮木」というような言葉を口ずさみながら、舟を漕ぐ人が現れる。僧に何者かと聞かれ、最初はその里に住む海士人だと答える。しかし人間には見えないと僧に言われて、舟人は源頼政に退治された鵺だと明かして弔いを乞う。僧は鵺の亡魂を弔うと約束したので、鵺は昔のことを語りはじめる。近衛天皇の時、夜な夜な天皇を悩ませた鵺は、源頼政の矢に打ち倒されたという物語である。このように命を亡くしたから、亡魂は浮かばれないと鵺が嘆く。この場面ではそれ以上は語られないが、『平家物語』の内容を思い出す人は、退治された鵺の屍は空舟(うつおぶね)に閉じ込められ、淀川に流されたことを知っているはずである。僧に弔いを乞う鵺の亡霊は「沈むは浮かむ縁ならめ」と言い残し、闇に消える。
僧の祈りの場面を挟んで、鵺の亡魂は改めて本当の姿で登場する。『平家物語』で語られた出来事が、もう一度、よりドラマティックな形で回想される。鵺は時折頼政の仕草を演じ、また自分自身が撃たれる様子を演じながら、英雄と敗者である自分の立場を行き来する。最後に鵺を退治して栄誉を得た頼政と、対照的な運命を迎えた鵺の成り果てが描かれる。「頼政は名を上げて、我は名を流す空舟に、押し入れられて淀川の、淀みつ流れつ行く末の」という言葉は鵺の悔しさを描いている。暗中に閉じ込められた怪物の絶望は「暗きより、暗き道にぞ入りにける、遥かに照らせ山端の月」という古歌によってさらにくっきりと描写される。海に沈む月影とともに消える鵺の魂は、この能を見る観客の目に浮かぶ最後のイメージである。
前半で舟人に化身した鵺を演じるシテは黒頭に怪士(あやかし)という面をかぶり、水衣という地味な色合いの着物を着ているので悲しげで暗い姿である。後場のシテの出で立ちは黒と金色を織り交ぜた派手な衣装で、赤い髪の鮮やかさが印象的なコントラストを作っていた。演技の動きが速いテンポで展開する中で、金と黒と赤が目まぐるしく飛び交う光景は、怪物である鵺の激しさを表していた。後シテの面は、猿飛出という獣の表情をする能面である。野性的で一見優雅さとは縁がなさそうな猿飛出の目だが、鵺が最後に「海月と共に入りにけり」と謡う場面では、一瞬とても悲しそうに光って見えた。演出工夫によって生まれたこの瞬間の風情は、〈鵺〉という作品に込められた世阿弥の思いを何よりもよく表していたと思う。
〈鵺〉は世阿弥の晩年作で、当時の世阿弥の心境を表す能であると思われる。青春時代に足利義満の支援を受けた世阿弥は晩年にパトロンの庇護を失い、しかも彼が期待していた後継者をも亡くし、『平家物語』に登場する鵺のような敗者の立場を理解することができるようになったのではないかと考えられる。いずれにせよ〈鵺〉は、一般的に知られている物語の内容に普段とは違う視点から光を当てる作品として、非常に面白い能である。
〈鵺〉と狂言〈蚊相撲〉との組み合わせも、よく考えられたものだったと思う。〈蚊相撲〉では、相撲とりを雇いたいと言い出した大名のところに、太郎冠者が人の血を吸うために都で相撲とりになりたがっている蚊の精を連れてくる。相手をさせる相撲とりがいないため、思い切って大名自身が新たに雇い入れた相撲とりと試合をするが、試合中に蚊に刺され、そこで相手が蚊であると気付く。相撲とりになった蚊の精は太郎冠者に煽られ、結局は人の血を吸う鼻を抜かれてしまう。珍しく大名の勝ちで終わるこの狂言では、ひどい目に合う蚊の精の姿が観客の笑いを誘う。
今回の公演では、観客は狂言〈蚊相撲〉を見て敗者を笑い、それから能〈鵺〉を見て敗者に同情することになる。相手の立場から勝利と敗北を考え直そうという挑戦状を投げかけられたようだった。悪者の存在がなければ束の間の英雄も現れない。また敗者の物語では、英雄譚と同じように、主人公は一度限りの注目を浴びるのだ。演出の面でも構成の面でも味わい深い公演だった。
ラモーナ ツァラヌ
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■