演劇評_No.024_01

 

 

【公演情報】

立川志の春 英語落語独演会

会場 ブリティッシュパッブ FooTNIK

鑑賞日 8月3日

 

 

 英語で落語を演じる立川志の春氏に出会ったのは、国際交流基金が今年6月に開催した対談イベントの時だった。海外でないと英語の落語を聴く機会が訪れないだろうと思っていたのだが、8月に恵比寿にあるブリティッシュパッブFootNIKにて英語落語の独演会が行われるという報せがあり、見逃してはいけないと思った。

 

 大阪府生まれで、千葉県育ちの立川志の春は、学生時代をアメリカで過ごし、イェール大学を卒業後、日本へ帰国した。3年間の会社勤務を経たところで立川志の輔の落語に出会い、感銘を受けた。落語の道に専念することを決意し、退職して立川志の輔に弟子入りした。現在は落語家として活動されており、古典落語や新作落語のみならず英語でも落語を演じる。

 

 対談の時のお話しによると、初めて落語を英語で披露したきっかけは、シンガポールで定期的に開催される国際ストーリーテリングフェスティヴァルへの参加だったそうだ。以来、立川氏は年に2回程度、シンガポールにて落語の公演を行うようになった。

 

 英語で落語を演じるということが、噺の内容を英語に訳し、それで済むのだったらさほど難しいことではないだろう。しかし話芸である落語は日本文化に深く根付いており、落語の演目を別の言語にしようとする時は、言葉を訳すというよりも文化をトランスレートする行為になるのである。一つの文化の内に通じる日常的な所作が別の文化でも通じるとは限らないので、国際的な舞台に立つ落語家の作業は、観客との共通の土台を確かめるところから始まる。

 

 例えば、ご飯を食べる真似をする時、噺家は扇子を使ってお箸でお椀からご飯を食べる所作を演じる。ご飯を食べるにはスプーンとフォークを使う文化の人にとって、それがご飯を食べることだとすぐに分かるとは限らない。何が当たり前か、何が共通意識なのか、異文化の場合は全部を根本から考え直す必要がある。

 

 そこにさらに加わるのが落語の特徴的な言葉遣いである。人情噺の場合、噺家の技のみで公演の成功が決まるのだが、人を笑わせることを狙いとする噺で働いているユーモアは、言葉遊びを軸にしていることが多い。言葉遊びや駄洒落の面白さは、やはり一つの言語特有のもので、訳そうと思っても残念ながら多言語では味わえないものだ。それは世界中の言葉を一つ一つ大切にすべき理由でもある。だから異文化の間のギャップはもちろん、言葉の問題をも乗り越えなければならない英語の落語が、どのような芸なのか最初は想像しにくかった。

 

 8月3日の夜FootNIKに着いた時、日本語と英語が飛び交う陽気な雰囲気に迎えられた。様々なイベントや楽しいスポーツ観戦会で知られているこのパッブの常連客のほか、落語が聴けるという報せに惹かれ、好奇心を抱いてここへ来た人たちもいて、会場は人でいっぱいだった。開演前、日本文化に精通している司会のステュアートさんによる出演者の紹介と落語に関する説明があった。高座に座って、観客に向って噺を披露する落語家の芸は、アイルランドのお笑い芸人デーヴ・アレンが得意としていたsit up comedy(椅子に座って笑い話をする芸)と比較された時、何人もの観客がその連想に微笑みながら頷いていた。

 

 高座に上がった立川氏は、まず噺のマクラとして、流暢な英語で落語の演技についての簡単な説明をした。噺に登場する人物たちのやり取りの手本を挙げ、人物によって役の特徴はどう変わるのかを見せた。それから道具として使われる扇子と手ぬぐいが、演技の中でどのような役割を果たすのかを示した。10分くらいに及ぶマクラのおかげで、FootNIKパッブに集まっていた観客たちはすでに盛り上がっていた。落語は観客の想像を働かせながら笑いの花を咲かせる話しの芸であるということが、みんなに伝わっていた。

 

 本題で語られたのは、知らない言葉を使ってひどい目に合わされる人物たちが登場する古典演目の「転失気」(Tenshiki)と、責任から逃げてトラブルに合う現代人を主人公とする新作落語の「動物園」(The Zoo)だった。どれも観客に受けて、笑いを引き起こし、温かい拍手が送られた。違和感を覚えさせないきれいな英語が成功の理由の一つだが、もちろんそれだけではない。

 

 違う文化を背景にしている人々に落語の噺が受けるためには、演目選びが勝負である。時代や文化が違っても、人間には変わらないクセのようなものがある。自分の愚かさが原因で、人間はしばしばひどい目に合う。その経緯や教訓が面白い話の種になり人を笑わせるのだが、その笑いには自分だって同じような間違いをするかもしれないという意識が含まれている。世界中の人々に共通しているこの根本的な心理を土台にする物語なら、どの文化の人間も親近感を覚えることができるだろう。言葉のレベルにおける調整が次の段階としてあるが、これも上手くクリアすれば物語の内容は問題なく通じるし、最終的な狙いである笑いが生じる。

 

 立川志の春の英語落語は文化間のギャップを敏感に捉え、誰もがが共有する「人間らしさ」をテーマとしている。だから異文化の観客を楽しませることができるのだ。どのような文化にも通じる要素を持つ演目を選び、落語という芸の真髄に忠実でありながら、所作を工夫して日本語を違う言語に変換するのは実に困難な作業だが、とても意義のある挑戦でもある。日本語以外の言語における落語の発展はこれからも期待できると思う。

ラモーナ ツァラヌ

 

 

 

 

 

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