小原眞紀子さんの『文学とセクシュアリティ 現代に読む源氏物語』(第038回)をアップしましたぁ。今回は『源氏物語』第五十帖『東屋(あずまや)』の読解です。『宇治十帖』第六帖に当たります。大姫の面影のある浮舟を中心にした帖です。浮舟は宇治八の宮と中将の君の間に生まれた娘ですが、宮が認知しなかったので中将の君は 常陸守と再婚して、長く東国に下っていました。 常陸守は裕福で、浮舟の元には財産目当ての求婚者がたくさん訪れるのですが、 常陸守の実子でないことから結婚は不調に終わります。困り果てた 浮舟の母君=中将は、異母姉の中姫を頼ります。中姫の元にいる浮舟を匂宮が見つけて言い寄るのですが、大事には至りません。ただそれを知った 浮舟の母君=中将は、浮舟を三条の住まいに移します。三条の住まいに移った浮舟を、薫が訪ねてきます。薫は浮舟を宇治に連れて行ってしまったのでした。

 

『宇治十帖』のテーマは『仏教思想』だと言われます。それを小原さんは、『作品のテーマとして掘り下げるべきなのは、それがどのような仏教思想なのか、作者は仏道というものをどう捉えているのか、ということです。・・・浮舟の母君の言葉にもあるように、女人の方が現世での悩みが深い、ということは表現されている。それを「救われがたい業の深さ」ととるか、「悩みが深いからこその厭世観によって、いっそう仏の道に向かう」と説くか。言うまでもなく源氏物語の女性たちも、そして薫も八の宮も、後者として描かれています。・・・日本の国風に晒され、やがて大衆に広まっていった“仏”は、現世の深い悩み、すなわち“業”をこそ救いへと転換する存在であったと思います』と批評しておられます。

 

また小原さんは『宇治十帖』について、『作品構造を振り返ると、宇治物語に仕組まれているのは、仏教的な符牒とともに“交換”の概念です。すなわち匂宮は薫を真似て、大姫は中姫を自分だと思ってくれと言い、その大姫の人型として浮舟が登場する。これは作者が、“交換”を自身の仏教思想の根幹に関わる重要なファクターであるとみなしていることに他なりません』と読み解いておられます。ここから小原さんの批評は、現代作家のパトリシア・ハイスミスの方に進んでゆきます。刺激的な読解です。じっくりお楽しみください。

 

 

小原眞紀子 『文学とセクシュアリティー 現代に読む源氏物語』(第038回) ■