水野翼さんの文芸誌時評 『 No.004 J-novel 2013 年 09 月号 』 をアップしましたぁ。今号の 『J-novel』 さんには、宮崎駿監督の大ヒット映画 『風立ちぬ』 でリバイバルした堀辰雄の同名小説から、『春』 の一章が再録されているやうです。掘さんの 『風立ちぬ』 は 『J-novel』 さんの版元・実業之日本社から刊行されていた 『新女苑』 が初出だそうです。知りませんでしたぁ。勉強になりましたぁ。
水野さんが書いておられるように、明治から昭和初期にかけて、病気が文学の大きなテーマになった時代があります。たいていは美女が結核で死に、男の恋人の方が生き残るといふストーリーですね。構造的にはセカチューなども同じで、その世界観をうまく描ければ、この主題は男性だけでなく女性をも惹き付ける魅力を持っているやうです。
小説 (物語) においては主要登場人物の死は大きなカタルシスになり得ます。一つの生か完結してしまうからです。ただそこには強いエゴイズムが存在します。文学金魚掲載の三浦健太朗さんの 『 No.006 その涙を疑う理由はない ― 『風立ちぬ』 』 はその機微を鮮やかに解き明かしていました。仕事をしながら恋人に尽くしたい男には強いエゴがあり、愛されて綺麗なまま死にたいという女の方にも同質のエゴがある。実も蓋もない言い方をすれば、男女のエゴが合致すれば、短期間であろうとも強い純愛が成立する。
もちろんこの構造を、絶対死にそうにない男女 (男男、女女でもいいわけですが) に援用した作品も成立可能だと思います。ただそこではファンタジー系の要素は希薄になるでしょうね。読んでいて辛い作品になるかもしれない (爆)。しかし水野さんが書いておられるように、『力強い生活力を得たいのでもいいし、あくまで透明な愛の観念を得たいというのでもいい。ようはその欲望、エゴの 「強度」 であり、それを存分に試そうとする』 作品が、もっと現れてもいいと思います。現代はエゴの時代であり、あられもないエゴの衝突の中で調和を探ろうとする時代でもあるのですから。
■ 水野翼 文芸誌時評 『 No.004 J-novel 2013 年 09 月号 』 ■