吉本隆明さんがお亡くなりになりましたねぇ。87歳ということですから、大往生といえるんでしょうけど、さみしいことです。いつの時代でも同じでしょうが、立派な仕事をされた大先輩たちがお亡くなりになってゆくと、心もとないなぁと思ってしまいます。彼らが果たしていてくれた役割を、トコロテン式に後進の人たちがになっていくとになるわけですが、特に同世代を見回すと「だいじょぶかぁ」と思ってしまうところがあります(笑)。
思想家ですからいろいろ批判もされていますが、吉本さん、骨のある立派な方だったなぁ。思想って、信念というか、真理へのいっかんした探求の姿勢だと思うのです。論理学ではAが「正」か「偽」かは、論理的無謬性という意味ではどちらも立証できるわけです。でも真理はまた違います。特に文学とか思想の世界ではそうですね。ある種の直感に基づいていない思想はダメであります。読んでいてもワクワクしない。吉本さんの著作にはこのワクワク感がありました。物書きの先生ですから、これからまた吉本さんの仕事が再び注目されるようになるといいですね。
それで文学金魚ですが、金魚さん(齋藤代表)がしゃかりきに書いておられます。ついにフロントページの「LATEST ENTRIES」がほとんど齋藤さんの原稿でうまってしまった。ま、代表なんですから当たり前といえば当たり前のご活躍なんですが、これがまたお気に召さないらしひ。「ほかの執筆者の原稿はどうなってます?」とちょっと前にメールが届きました。以下はそのメールのやりとり。
石 「10本くらい来てます。レビューして順番にアップしていく予定です」
齋 「少ないですね。もっと集まってると思っていました」
石 「毎日届いてますからだいじょうぶだと思いますが。さいそくしましょうか?」
齋 「その必要はありません。書けないなら書ける人を探してください」
石 「はい(とは書いたものの、そんな簡単に新しい著者が見つかるかよ~とは書きませんでした(笑))」
このブログは金魚さんも見ておられるのですが、ま、いいっしょ。ほんとのことなんだから。僕も文学金魚専門の編集者ではありませんので、いつくらいまでに何をというメールは出しますが、いまのところ特にさいそくはしてないんです。まあそれは、当初からの文学金魚の方針ということでもあります。
金魚さんは金魚さんで、固い信念の持ち主で、彼女の言葉を借りれば「いわゆる純文学というものは、アメリカでは建国以来ずっと不況で、日本の方がずっと恵まれた環境にある」ということになります。彼女の考えでは今の日本の文学不況は、当然といえば当然の現象で、あるべくしてあるべき姿に戻ったということでしかありません。しかし日本の文学者は甘やかされすぎていると思っておられる。
「文学をやっていて貧乏なのはあたりまえ。その中で著者や編集者ごっこをやっててどうするんですか。日本では作家や詩人になりたい人が多すぎやしませんか。作品を書きなさい。文学ごっこなど馬鹿げたことです。文学金魚では作品を書きたい人しかいりません。口を開けて原稿依頼が来るのを待っている著者より、自分の才覚で読者を獲得して、発表の道を切り開きたい著者を探してきなさいいいいっ!!!」
という意味のことを、金魚さんは文学金魚スタート前の会議で絶叫され、僕たちは「ううっ」と凍りついたのであります(笑)。金魚さん、まあよく勉強しておられる。アメリカで起こったことは日本でも必ず起こり、日本では俳句や詩の世界で起こったことが、数年後には小説の世界でも起こるそうです。ということは、小説の世界もいずれ自費出版とかが多くなるんでしょうかね。作品社さんなどのラインナップを見ていると、それもありえないことではないかなぁと思います。でも自費とか半自費の作品が劣っているというわけでありません。読者がつけば、それは立派な作品として認知されます。これだけ出版点数が多くなれば、いずれ必ずそういうことが起きるでしょうね。
というわけで、僕は文学金魚の方針として原稿の催促はいたしません。僕は楽しく原稿を読ませていただいて、それを順番にアップしてきますからねっ。文学金魚の著者のみなさん、頑張って!。