「金魚屋の顔」と称されたフロントインタビューは、「旅」をテーマとしています。
なんで「旅」?と思いましたよ、最初は僕も。でも、これってなかなかいいキーワードだったんですね。
フロントインタビューには、いろいろな分野の著名人に登場してもらうので、文学とか美術とかに限定してしまうわけにいかなかった、って理由もあったと思われます。だけどそれだけじゃなくって、旅ってのは本質的に人を日常から引き離し、別の世界に連れて行くものでしょう。
つまり小説とか、映画とか、絵画とか音楽とかと同じ働きをするんですね。それにそういった文化的な趣味を持たない人でも、まったく旅をしないってことはないし。日帰りの上京とか、遠出の散歩も含めてですが。
そういう意味ではたしかに、「旅とは広義の文学だ」ってのは、正しい。「文学」の領域をできるだけ広くとらえ、多くの読者を得たいと思っている文學金魚には、ぴったりのテーマですよ。
記念すべき第一回の野田知佑さんは、作家でカヌーイスト。『日本の川を旅する』という名著で、いわば旅の概念を変えたお方です。とかいって、僕も最近、いろいろ読ませてもらったんですけど。いや、ハマリました。インタビューの冒頭で述べられている通り、本当にいっしょに旅をしている気分になってしまう。
カヌーの業界ではもちろん、カリスマみたいな立場になっておられますが。アウトドアにあまり縁のない我々をも夢中にさせる・・・文章の力。後にギャラリーを開いた文化人(小川さん)にカヌーを買わせてしまったのも、つまりは文章力なわけで。
この体力と知力の合一って、うらやましい。知的な肉体かあ。うん。知的でないと、何かと危ないよな。僕も今日から腕立て伏せ。。。
インタビューは羽田空港のホテルレストランで行われたそうです。すてきな川の流れる徳島県に住んでおられる野田さんが、飛行機に乗り遅れないように・・・。
活字に起こすとニュアンスが伝わらないし、すごく誤解を招く部分もあるんでしょうが。インタビューを終えたスタッフたちが言うには「死とか、危険とかに対するプレーンな考え方を、一番学ぶべきかも」とのこと。
僕が読んだ野田さんの本の中でも、とても印象に残ったのは、身障者の方たちをカヌーに乗せたとき、「自分たちも危ないことをする権利があるんですね」と言われた、というくだりでした。
僕たちも役所や学校に、あれはダメ、これはダメって禁じられて、その理由は「危ないから」だけど、実際は彼らが「責任取りたくないから」なんじゃないか。カナダとかの(精神的な)「先進国」では、リスクを取るかどうかの自己判断を尊重している。
「誰もが危ないことをして、死ぬ権利がある」って、どきっとしますよね。それを行使するのは自由なわけです。自由にリスクが伴うのは当然で、それを理解することが「成熟」というもんじゃないか。そういう死は自由の証でもあるので、「勝手なことをした報いだ」なんて捉え方しかできない社会は、貧しすぎる・・・。こういう主張をするのは勇気がいるし、誤解もまねきそうだし、なかなか難しい表現になりましょうが。
大昔に読んだ『スガンさんのやぎ』という絵本を思い出しました。囲いから出たヤギが、いい匂いのする草を食べて、自由を満喫して、最後にはオオカミに食べられてしまうのだけれど・・・。囲いの中で一生終えるより、よかったじゃないか、と子供心にも。
犬を連れてカヌーで川を下る、自由な野田さんの姿はかっこよくって、そっくりな様子をした人たちがあちこちの川で見かけられたとか。
まあ、ようするに野田さんがどう「旅の概念を変えた」かといえば「旅は自由になるためのもの」と定義し直したってことかな、と僕なりにまとめました。
第2回のフロントインタビューは俳優の寺田農さんです。寺田さんは美術にも造詣が深く、お父様は画家の寺田政明氏です。