母親の様子がおかしい。これがいわゆる認知症というやつなのか。母親だけじゃない、父親も年老いた。若い頃のキツイ物言いがさらに先鋭化している。崩れそうな積木のような危うさ。それを支えるのは還暦近いオレしかいない・・・。「津久井やまゆり園」事件を論じた『アブラハムの末裔』で金魚屋新人賞を受賞した作家による苦しくも切ない介護小説。
by 金魚屋編集部
十七.
六月下旬、会社を辞めた。大宮にある支社の朝礼で挨拶し、それまで何も知らせていなかった社内の関係知己へ一斉メールを送り、未決箱にたまった文書に最後の決済印を押し、デスク周りを整頓すると夕刻、ふたたび主だった人たちに挨拶して退出した。送別会は断った。職場の連中もぼくが断るとわかっていたから、それをあえて出ると言って困らせるつもりもなかった。足かけ三十三年間におよんだサラリーマン生活も終わる時はこんなものだ。メールを出した相手から励ましの返事が返ってきた。情のこもった長文を認めてくれたひともいて、さすがに心が動き、それらをプリントアウトして社名のロゴが入った大きな手提げ袋いっぱいに、大量の名刺と一緒につめ込んで帰った。表沙汰になったら会社が三回ひっくり返るほどヤバい資料も入れた。こいつは人質代わりだ。そうつぶやいておきながら、「人質」の意味はじぶんでもよくわからなかった。爆弾を手にしてどきどきするような気分だった。
翌日は笹目の家へ父を連れて帰った。退院ではない。日帰りだ。来るべき退院後の生活を見すえた本人の帰宅練習、そして在宅介護に向けスタッフが現状を視察し、必要なアドバイスを家族に対して行う、この二つが目的である。
理学療法士の女性一名と看護師の佐伯さん、それに介護用品の取扱業者が一名同行した。日帰り往復ではあったが、父にとっては三か月ぶりのわが家である。さぞ喜んでいるかと思いきや、表情にも態度にも変化はない。少しはいい刺激になるかと期待したのだが、表情からは何も読み取れない。父親を家へ連れ帰るとは、とうぜん亡母の仏前を訪うということである。ほかでもないその部屋、生前の母がいつもそこで過ごしていた八畳の和室の上座中央に、白い防火シートを被せた三段の仮祭壇を設えた。そのすぐ前に介護用ベッドを置き、寝起きしてもらうつもりだった。だが父親は、その祭壇の上に置かれた大きな亡母の遺影をチラとも見ようとしない。意識野に入っていないようにも、慎重に視線を避けているようにも見えた。おそらく両方だったのだろう。
「久しぶりのお家ですね。どうですか。お帰りになられて」
佐伯さんがそう尋ねる。佐伯さんはベテランでなかなかやり手の女性だ。気難しい父も彼女の言うことはよく聞く。ぼくと同い年だ。
「家には女三人と息子が一人いるんだが、まア何とかそれだけでやっていこうと思っているヨ」
女三人だって? 一人は亡母であるとして、あとの二人は誰のことだ。一人は亡き娘、つまりぼくの妹のことだろうか。いや、きっとぼくの妻と娘の二人だろう。何しろ三十年近く前に作られたこの家だってそのためにわざわざ二世帯住宅にしたのだ。いずれにしても、父親が現実を直視できていないことは明らかだった。
この日はしかし一瞬ではあるが、いつも澱んでいるその眼差しがさっと変わった瞬間があった。目の前にある母の遺影には目もくれず、ぼくに向かって、
「女一人は今、何処にいるんだ」
誰のこと? お袋のことか。訊き返すと頷く。地雷を踏んだな。
「もういねえよ。いまは骨になって天国にいるよ。忘れたか」大きな遺影を指さして「あれをよく見ろよ」
「お前、おかしなことを言うな」
父の眼がギロリと鋭く光って、ぼくの方を睨みつけた。かつての父を彷彿とさせる眼差しではあった。かわいそうだが、真実を枉げるわけにはいかない。アンタ夫なんだろ。線香の一本くらい上げて手を合わせてやれよ。オレをそんな眼で睨んだって、遺影を直視する勇気ひとつありゃしねえ。そっちがその気ならいいぜ。そのまま睨み合いになった。
その時、気働きのいい佐伯さんが横から割って入って、
「早く良くなってここへ帰りましょうね」
一触即発の状態はそこで終わった。
翌日もまた、病室で同じことを訊いて来る。
「お前に女姉妹が二人いるよな。家にはだから三人いるんだろ」
「二人って、一人は祐子のこと?」
「ああ。祐子はどうしてる」
「とっくの昔に亡くなったよ。いまウチにはねえ、オレ一人だ・け・な・の」
「…………」
退院は七月一日に決まった。遅きに失した感がある。
浦和からの引っ越し作業のため丸二日病院へ行けずにいた。顔を出すなり、汚物の山がぼくを迎えた。衣服は予備も含めことごとく尿失禁で汚れていた。三〇リットルの透明なポリ袋ふた袋に結わかれているそれらを鼻をつまみながらリュックに入れ持ち帰り、つけ置き洗いをした。漂白剤はたちまち空になった。もう着替えがない。やむなくスーパーを往復した。すっかり懇ろになっていた看護師の佐伯さんがぼくにそっと耳打ちしてくれた。
「お父さんね、夜オシッコしたくなると、ベッドの上で性器を出してしちゃうのよ。コールしてトイレへ連れて行ってもらうのが面倒なのかしら。だからあんなに汚しちゃうの」
「出してしちゃうって、まさかじぶんのアレを」
「やーね。お父さん来年米寿でしょ。あなた何想像してるのよ」
ぼくがいつも会っている老寄りは誰なんだ。
十八.
夢を見た。
妹の祐子の夢だった。
何か粗相をしたのだろうか。父から折檻を受けていた。
――わるさしては いけない
そう叫ぶとうずくまって怯える妹。ぼくに向かって訴えるようなあの虚ろな絶望をたたえた眼差し。それだけが残像のようにいつまでも残っていた。
わるさしては……そのことばは時を越え、ぼくの中で梵鐘のようにひびき続けた。
あれは何だったのだろう。
買って貰ったばかりの幼児向け雑誌や絵本を手で細かく引きちぎっては、畳のあいだや便器と板の、廊下の板と板の継ぎ目や雨戸の隙間に詰め込んでいく。どうやってこんなに狭くて小さな空間へ詰めることができたのか。誰もがおどろくほどの量だった。本人はそれを、秘密結社の参入儀式の厳格なルールに則っているかのように、しかも感嘆するほかない精確な細やかさで、黙々と遂行するのだった。
おもちゃ、父母の衣服、父親の書斎の卓上にあった文物や置き物を、二階の窓から屋根へぽいぽいと投げ捨てる。書棚からフォトアルバムを引っぱり出してきて、じぶんや家族の写真を破り棄てては外へ撒いてしまう。一見でたらめに見えるこんな破壊行動にも、どこか一貫した意思を感じた。ブロック塀を攀じ登り金網を伝い、隣家の屋根に上がっては大声で騒いで、家の主人に怒鳴り込まれたこともしばしばだった。それらの行為はなにか特別な意味と使命感に裏づけられているかのようだった。けれど同時に、行き当たりばったりで何が生まれるか誰にも見当のつかない作業にみえた。そんなとき妹は緊張とワクワク感にぶるっと身をふるわせ何とも嬉しそうな顔をした。それはまるでクロード・レヴィ=ストロースのいう〝器用仕事〟を思わせた。
ある冬の朝、餅を焼いて食べようと思ったらしい。みよう見真似で火鉢を掻いていたら激しく燃え上がり、あやうく火事になりかけた。癇癪を起した父親「これッナニやっとる。このくそだわけ」折檻しようとすると怯えはするが、ひるむことはない。旗色が悪くなると、
――オシッコ するー
といってトイレにたて籠もったきり出て来ない。
そんな話を人前でされると恥ずかしそうに笑った。笑いながら、
――わるさしては いけない
と宣言するのだった。
その語り口は独特な調子をおびていた。自らにそう言って訊かせているようにも、行動ルールを他人に説明しているようにも、あるいは「思わずやっちゃったけれど、これアンタたちのゆうわるいってことで、しちゃいけないのよね」と事実確認をうながすようにも、「わるい、いけない、ってゆうルールはしってる。でもあたしはアンタたちとはちがうルールにしたがわずにいられないのよ」と主張しているようにも聞こえた。彼女は自らの意思を伝えるのに、わずかな片言半句に託すしか手段がなかった。彼女の眼差しが、その存在だけが何ごとかを強く訴え続けた。それは一目見たらけっして忘れることのできない種類のものだった。けれど、ぼくは何もできなかった。父親の暴力を黙って眺めていただけだった。
ぼくは公平な言い方をしていないかもしれない。父は必ずしも妹を虐待していたわけではない。父だってそう言われたら心外だろう。それなりの仕方で娘を愛していたのは疑わない。「バカな子ほど可愛いとは、よく言ったものだなァ」と言うときの父は心底嬉しそうだった。がその一方、母やぼくに対してもそうだったが、感情のリミッターが外れやすく、いったん外れると暴走トラックのように突っ走った。食卓を引っくり返し、灰皿を投げつけた。後になってやり過ぎたと悔やむのだが、相手へのリカバーの仕方がわからず、ただむっつりしているだけだった。ほとぼりが冷めるころになると、いっとき優しい顔つきになるのだった。あのひとはね、口は悪いけれどほんとうは人並み以上に情の篤いひとなんだよ。父に好意的な一握りの取り巻きはそう評価を下した。
だが亡母だけは遠慮しなかった。「あんたってホントに堪え性がなくて、口の卑しいイヤなひとだわねえ。いくら出世したって器が小さいのよ。だから人様から嫌われるの。徳がないのよあんたには」ずけずけと言い続ける。最初のうち苦い顔をして聴いていた父はそのうち「うるさいもう黙れっ、このたわけがあ」逆ギレして箸やお椀を投げた。分かってはいても素直になれるような性質ではなかった。言った方も言った方で、だけどアンタだってたまにはいいところもあるわね、といったフォローは絶対にしない。二人はいつもスレ違い続けた。
それはともかく、ぼくがこの日ブチ切れた理由はいたって単純だ。父が朝食後の薬を呑もうとしないばかりか、なぜ呑まないのかと訊くぼくに、
「うまいこと言って呑ませようとする」
とほざいたからだ。息子に毒を盛られるとでも思っているのか。
「脳梗塞や心筋梗塞の薬なんだぜ。 呑まないと命を縮めるんだよ。いいのか」
黙って肯く父親。こいつ何様なんだ。お前みたいなひねたクズは一生病院へ入ってろ。ぼくは心の中で罵った。ものごころがついて以来、ぼくの中でひそかに守り通してきた閂がガチャンと外れたのは、この時だった。
(第06回 了)
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*『春の墓標』は23日にアップされます。
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