俳壇を代表する商業句誌、角川俳句と月間俳句界について毎号律儀に取り上げて来たが、今後はせいぜい2、3ヶ月遅れで、気になる号だけ取り上げることにする。両誌ともに自誌の合評や総評を次号で掲載しているのでリアルタイムで時評する必要はあるまい。また数ヶ月遅れの方が何が行われていたのかよくわかる面があると思う。
僕は俳句時評を2012年の6月29日から始めた。今まで書いた時評はだいたい180本である。10年以上、180本も時評を書けば自ずと俳壇の特徴がわかってくる。逆に言うと最初は俳壇という場所がどんな所だかぜんぜんわからなかった。
学生時代から俳句に興味を持っていて比較的長い永田耕衣論を書いたこともある。高柳重信にも強い関心があった。ただ俳壇をちゃんと理解しようと思ったのは安井浩司氏と密に交流し始めてからである。
僕は前衛系俳句の信奉者ではないが、俳壇と俳壇外では俳人の評価が大きく異なることは薄々感じていた。俳壇外の文学好きが高く評価するのは新興俳句の高屋窓秋や西東三鬼、富沢赤黄男、根源俳句の山口誓子や永田耕衣、前衛俳句の高柳重信や金子兜太、加藤郁乎、安井浩司などである。しかし大結社の主宰だった三鬼や誓子、兜太を除いて俳壇内での彼らの評価は低い。
安井氏は酔っ払った時に「結社の長になって一生クズみたいな俳句の添削をするのはイヤだ」と叫んだりしたが、俳壇について批判めいたことはほとんど口にしなかった。耕衣氏も同様で「あれはまあ、あれでいいんじゃないか」という対応だった。要するに気にするだけムダという姿勢だった。
その理由は単純で誰が見ても商業句誌は初心者指導雑誌である。手っ取り早く俳句を書くためのノウハウと、俳句に関するさもないTipsで埋め尽くされている。これはこれでいいと思う。商業誌は利益が出なければ継続できないわけで、読者がとにかく俳句を書きたい初心者が大半である以上、当然の編集方針だ。
ただ問題は俳句初心者、つまり低きに付いたいわゆるプロ俳人たちだ。月刊誌の目玉は作品ではなく評論やエッセイである。俳句に限らず文学商業誌で目が覚めるような作品が掲載されることは滅多にない。後で高く評価される作品でも発表当時はさして話題にならないことが多い。商業詩誌で重宝されるのは評論やエッセイなどの散文を量産できる作家である。なぜかと言うと詩誌では〝本当はぜんぜん存在していない状況〟を作り出す必要があるからである。
小説文芸誌は半年一年かけた小説の発表場所という位置付けだが、短歌・俳句雑誌では作家が入れ替わり立ち替わり、せいぜい数十篇の作品を掲載するだけである。しかもそれが作品集に収録されるとは限らない。乱暴なことを言えば作品は添え物だ。この添え物を時評などであたかも大きく状況を動かしているかのように書ける作家が重宝される。特集も同じで、うんざりするような昔のホットドックプレス的ルーティーン特集でも、適当なノウハウを従順に次々書き飛ばせる作家が商業誌のスターになれる。もちろん批評のレベルは低い。
要するに自分よりレベルの低い初心者を相手にしているので論理破綻していようといい加減な書き飛ばしだろうとバレない。また句誌には水戸黄門の印籠というか、ローマ法王庁の免罪符のようなものがある。
・俳句は世界で最短の詩の形式である
・俳句では季語と定型を守らなければならない
・俳句の基本は写生である
この3箇条を評論の頭か終わりで繰り返せばどんな低レベルの評論でもOKだ。加えて言えば高濱虚子の名前を出せば生意気な俳人でも黙る。僕は商業句誌で虚子を真正面から批判した記事を読んだことがない。むしろ虚子は俳壇で神聖不可侵の神になっている。芭蕉没後に彼が神格化され俳句が堕落したのと同じことが起こっているわけだが誰も気に留めない。なぜなら今の大御所と呼ばれる俳人たちは日に影に虚子先生のお世話になったからである。要するに俳壇という所は現実利害関係と人脈で動く。利益追求の株式会社とあまり変わらない。これは本当のことである。
加えて俳壇は一つの村であり、村人ではない作家には非礼の限りを尽くしてもいいというルールがあるようだ。僕みたいにバッキャローと言い返すとトラブルになるわけだが、そうなると情けないことに逃げ出す。社会性が欠如しているからそんなみっともないことになるのだが小狡さは持ち合わせている。裏から手を回してなんとかトラブルを揉み消してなかったことにしようとする。トラブルシューティングのために間に立った気のいい俳人に、「マジで聞いてんだけど、あんたら正気なの?」と言っても真顔で「あの人はああいう人だから、そこをなんとか穏便に」と返されるだけだ。互助会ですな。どうしようもない。
虚子について書いておくと、彼は「花鳥諷詠」論で〝俳句は何をどうやっても日本文学の刺身のツマにしかならない〟と断言している。それと同時に〝欧米から大きく立ち後れている日本文学がそれと肩を並べた時に、日本が固有の文学として誇れるのは俳句である〟という意味のことを言った。両方とも正しい。しかし俳人は後者だけを取り上げて不遜な詩人幻想に浸りきっている。
乱暴なことを言えば虚子が説いたように俳句はお遊び習い事芸を含む。ただ虚子の認識には悲しみを通り超した痛切な断念がある。それを無視してお遊び習い事芸を含め俳句は文学だと脳天気に胸を張る俳人たちは滑稽だ。ハッキリ言えばほとんどの作家は575の短い俳句程度しか書けないから俳句にしがみついている。筆力も思考能力も足りない。多少俳句を量産でき散文も書ける作家がさらに弱小の俳人たちの上に立つわけだが彼らはいわば〝弱者の王〟に過ぎない。得意がっても仕方がない。
あえて挑発的なことを書いたが俳壇を形成している商業句誌の世界は実際異様だ。その異様さに俳人は気がついた方がいい。俳句の世界が商業句誌だと思い込むと間違いなく俳壇内業界ゴロになる。ひたすら俳壇内での出世を目指し人脈作りに励むことになる。俳句を文学だと思い詰めれば一生冷や飯食いになるだろう。大別すれば俳句界での生き方はこの2通りしかない。しかしそれは商業句誌を中心とする俳壇を相対化できていないからである。相対化できれば腰を据えた仕事をしながら適当に商業句誌と付き合える。是非そうしてもらいたい。
昭和六十年代から平成六年ぐらいにかけて、結社の時代となってきた。編集長も変わり、いわゆるシルバー世代がたくさん俳句の世界に入ってきたとき、その人たちを購買のターゲットにするということがあって、俳句の基本的な作り方マニュアルなどを必ず特集の一つに据えるという企画が定番化した。その流れは、季語の特集や切れ字・取り合わせの特集などという形で現在でも続いていると思います。昭和五十年代までは、読者の方も新鋭俳人の犀利な評論文を読む読解力をかなり持っていました。でも結社の時代になると、読者も短い文章を好むということで、長めの難しい文章は読まれにくい。平成になってからはとくにそういう流れもあったと思います。
「川名大に聞く『昭和俳句史』」インタビュアー・黒岩徳将
川名大さんが『昭和俳句史――前衛俳句~昭和の終焉』を刊行なさったのを記念してインタビューが掲載されている。川名さんはまた、「(高柳)重信に有名な言葉があります。彼は昭和五十八年に亡くなりましたが、晩年に「自分が死んだ後の時代は俳句の実力で評価されるより社会的な知名度や結社の大小、主宰者であるとかないとか、そういう俳句の実力以外の要素で俳人が評価されていくようになる」ということを予言したのです。その予言はかなり当たっていると思います」とも発言しておられる。結社主宰や結社誌編集長らをメインライターに据えている角川俳句誌上でこういう本当のことを言えるのは川名さんくらいでしょうな。
川名さんは『昭和俳句史』に続けて平成・令和俳句史を書くことにも意欲を見せておられれる。しかし余計なお節介だがおやめになった方がいいと思う。川名さん自身「平成の俳句は、どちらかと言うと新風を目指すエネルギーが全体的に低いような時代だったと思うのです」と発言しておられる。
文学の世界は残酷だ。最短でも1980年代から2020年代に活躍した俳人たちは、後世から見れば全員キレイさっぱり消えると思う。もし平成・令和俳句史をお書きになっても「そんな時代があったんだねー」の作品サンプルにしかならないだろう。この時代、目が覚めるような作品集も作品も出なかった。こりゃ切れ者だねという俳人も現れなかった。Win -Winで不気味な誉め合いをしながら互いのケツをなで回していただけだ。
もちろん作家は死ぬまでよい作品を、傑作を書き残せる可能性を持っている。そういう作家が現れれば現状は変わる。今の俳壇が凪いだ海のようにクソつまらないのはそういった俳人が出現しないからだと言ってもいい。俳人の皆さん奮起を。
岡野隆
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