坂井修一さんの「連載 かなしみの歌びとたち」第三十八回は「戦争と短歌」。ウクライナとガザで戦争が続いていますので時宜を得た評論です。国連の常任理事国が戦争当事者ですから誰が見たって国連の力は以前よりさらに低下しています。まあロシアから見ればアメリカだって似たようなものなんですが。しかしタガが外れ始めている気配はあって第二次世界大戦後の世界協調システムは風前の灯火です。といっても変化はじょじょにしか起こらないでしょうけどね。でも気がついたら何かが決定的に変わっているというのが世の常です。
ただ坂井さんの評論は文学評論です。久しぶりの登場という感じですが桑原武夫さんの「第二芸術論」を取り上げておられます。
短歌界にも西洋文藝思潮は急速にしみこみつゝあつて、識者の老婆心にもかゝわらず、現代短歌は「近代化」をめざすに相違ない。しかし、それをつゞけて行くうちに、がんらい複雑な近大精神は三十一文字には入りきらぬものであるから、その矛盾がだんだんあらわになり、和歌としての美しさを失い、これなら一そ散文詩か散文にした方がよいのでないか、ということがわかり――このことは、日本の社會の近代化の成功如何にもふかく關係するが――短歌は民衆から捨てられるということになるであろう。
桑原武夫「短歌の運命」短歌雑誌「八雲」一九四七年五月號
お馴染みの桑原節ですね。これに対して坂井さんは的確な反論を書いておられます。それはまったくその通り。桑原さんの「第二芸術論」は短歌・俳句に向けられたものですがそれほど厳密な論ではありません。敗戦による戦前・戦中の国粋主義風潮への手の平返しの批判が「第二芸術論」を後押しした。
ただ桑原「第二芸術論」が定期的に歌壇・俳壇で取り上げられるのはそこにいまだ抜けないトゲのようなものがあるからです。「第二芸術論」はそれが発表された当時のコンテキストに沿うか今現在の目で検証するのかで批判の道筋が変わってきます。「第二芸術論」が繰り返し問われるのは比喩的に言えば手の平にはやっぱり表と裏があるからです。
正岡子規の短歌・俳句革新はありましたが短歌・俳句はまったくなんの障害もなく明治維新を生きのびました。これは漢詩と比較すればハッキリします。現代では江戸時代を代表する詩は俳句ですが同時代で詩と言えば漢詩を指しました。詩人とは菅茶山や頼山陽のことだった。漢詩を詠めるのがインテリでそれが詩と見做されていました。もし現代人でインテリと呼ばれる人たちが江戸時代に生きていたらその中のかなりの人たちが漢詩を作っていた可能性が高い。
その理由は簡単で古墳時代の古代から日本は中国に顔を向けてそこから言葉はもちろん新たな思想や技術などを移入していた。それは江戸時代まで変わらなかった。江戸後期から蘭学が盛んになりますが欧米言語を理解できなくても日本のインテリたちは漢訳本から諸外国事情や知識などを受容することができました。漢詩は創作であると同時に情報獲得のためのエクササイズでもあったわけです。
周知のように明治維新で日本は開明開化に舵を切りました。一五〇〇年近く中国に向けていた顔を欧米に切り替えた。欧米思想の移入が一段落すると漢字の新語は増えなくなり以後はカタカナ語ばかりが辞書を厚くしていますね。太平洋戦争の敗戦の記憶がまだ新しいのでそれが注目されることが多いですが文化的に見れば明治維新は日本の有史以来の大変革だったと言うことができます。
明治維新を契機として漢詩は実質的に滅びました。その役割を終えた。代わりに登場したのが欧米詩の翻訳から始まった自由詩です。この自由詩がサンボリズムやダダイズムやシュルレアリスムなど欧米文学(思想)のいち早い受容窓口であり日本におけるパイロット文学だったのは言うまでもありません。多くの外国語に堪能なインテリが自由詩の創作と理論の土台を作り上げました。
短歌・俳句が軽々と明治維新を生きのびたのは言うまでもなくそれらが日本古来の伝統文学だからです。杓子定規ですが桑原さんの批判はそこに向けられた。戦前戦中に国粋主義の嵐が吹き荒れたとはいえ明治維新以降の日本文学・文化は欧米を規範としている。戦後復興もそれに沿って為されるだろう。じゃあ短歌・俳句は欧米文学と同質のものなのか。欧米文学(文化)を規範とすれば文学とは言えないんじゃないですか。必死になって欧米文学に追随しようとしても無理なんじゃないですかということです。
短歌・俳句・自由詩・小説といった日本文学は現代に至るまで外来文学(文化)を積極的に受容しようとしています。島国日本が外からの刺激がないと文化的に停滞してしまうのも確かなことでしょう。ただ自由詩・小説は欧米文学と地続きの面がありますが短歌・俳句にはあきらかに欧米文学と相違する面がある。結社制度ひとつ取り上げてもそうです。その理由を明確にできない限り桑原「第二芸術論」は亡霊のように何度も何度も甦ってくるでしょうね。
日本文化は傲慢なところがあります。地続きの大陸では外国文化の流入に神経を尖らせることがありますが日本ではそれがない。クリスマスを祝い成人式には着物を着て花見をしてハロウィンのパレードを楽しむ。その理由は手の平を返すのが簡単だからです。日本人はいつでも国粋主義に立ち戻ることができる。その文学的焦点に短歌・俳句がある。特に短歌はそうです。いまだ皇室とつながっている。
別に皇室批判をしているわけではありませんよ。でも現実制度は非常に強いものです。現代の状況が変われば必ず身内から裏切り者が現れます。止めようとしてもできない。同じ伝統文学でも俳人には何も期待できませんが歌人の皆さんには新し味を追い求めるだけでなく足元を見つめ短歌の原理を探求していただきたいですね。
高嶋秋穂
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