フェスティバル / トーキョー12主催作品
『言葉』 (鑑賞日:11月8日)
於 東京芸術劇場 シアターイースト
演出 村川拓也
出演 工藤修三
前田愛美
手話者
要約筆記者
照明 葭田野浩介(株式会社リュウ)
音響 小早川保隆
舞台監督 浜村修司
制作 外山りさ
山村麻由美
製作 フェスティバル/トーキョー
村川拓也
主催 フェスティバル/トーキョー
本作の演出にあたり、演出の村川は公演中にも大きな変更を加えていたらしい。そのため、この劇評は多分に「11月8日の『言葉』評」であることをまず断っておかなければならない。11月8日公演の舞台上には、視覚的な装置はほとんどない。なにもない空間の真ん中に、飲み物が入ったペットボトルが立っている。なにかを象徴する作用よりも、むしろこれは一度俳優の喉を潤すためにある。象徴的装置というなら、観客席に集音マイクが4台向けられていることが重要だろう。入場時からマイクはオンになっていて、客席の物音、咳、衣擦れも敏感に拾って、ディレイをかけて舞台空間に響く仕組みになっている。
本作の上演には俳優2名と手話者、要約筆記者が出演するが、舞台上に確認できるのは俳優と手話者だけだ。要約筆記者はどこに? 思い当たるのは、我々観劇者自身である。4台の集音マイクは、二人の俳優が発話している最中にはオフになっているが、二人が舞台袖の椅子に着席すると、オンに切り替わり、観客席の集音を始める。もちろん発言する観客はいない。細かな雑音と沈黙だけが抽出されて舞台空間に拡がる。その沈黙に要約がある。本作は会話劇であると村川は言う。――舞台上で向かい合う俳優の発話と、その幕間に流される観客の受容証言(沈黙)の交互(ダイアローグ)。
また、村川はこうも言う。「かつて人間がはじめて言葉の使い方を覚えて、会話が発生したときの情景に似ていたらすごい。」(「創作ノート」に寄せたステイトメント)村川の狙いは明白だ。それは「はじめての言葉の使い方」を再現することにある。
本作で発話される言葉は、どこから来たものか。開演前、村川は自ら観客の前に立ち、その来し方を説明する。当日パンフレットにも詳しく書かれている。3月11日の震災から一年以上経過した今年の夏。村川、工藤、前田は一週間かけて東日本大震災の被災地各所を訪れた。三人はめいめい勝手に被災地を歩いて、そこで目にした光景、感じたことなどを個別にメモし、その集積を発話するテキストとして再構成している。そのため、向かい合う俳優二人の交互の発話は、返答にならない。発せられるすべての言葉は、程度の差はあっても、「書き言葉」である。被災地来訪の経験から自発し、ときに反復する。俳優は、発話テキストに声と抑揚を乗せて、「その日」に言葉の発生したときを再現するが、身振り手振りなどの身体表現が抑制されているため、書かれたテキストであることがより強調される。前田がノートを開いて読む演出もあるのだ。
「再現」という作業にあたって、村川はもう一人の発話者を用意する。それが手話者だ。手話者は俳優の発話中、常に発せられた言葉を手話に変換して伝達する。声の発話とは対照的に、手話者の発話は両手を用いた身体的言語を用いるため、俳優と手話者によって通常の意味での演技が分業されているようでもある。が、それだけではない。二人のそれぞれの声が、一人の手話者の両手の動きに翻訳されて、観客の視覚に届く、工藤前田の発話は、そのシステムを阻害することなく、規則的に交互に行われ、一連の言葉の集積が手話の連続のなかで再構成される。というのが、本作の発話の仕組みとなる。
身体的言語という点で、演劇と手話は似ている。手話には記号的な仕草も多々あるが、その多くは事象のなんらかのあらわれ、場合によっては文字表現を応用した文字通りのイメージ(表象)に根を張る。それが舞台にあげられれば、演劇的側面が強調されるのは自然である。俳優があまり動かないので、観客はその声を頼りにしつつ手話者の胸の前で描出されるイメージに目を奪われる。すると、二人の声を聞き分ける以外に、言葉の出所を区別する必要を感じなくなる。夏の旅のメモの集積はそのままの塊として観客の想像力に届くのだ。そのプロセスで濾過されるのは、テキストに残存していた個性/声である。それはまだ聴覚に直接届く振動に保存されてはいる。よって観客は両方受け取る。そして気づく。「声/個性」に聞くのはそれぞれの俳優が「書き言葉」から再現した「彼らの現在だった過去」である。しかしその間も目撃しているもう一つの言葉/手話に、「彼らの現在」は残っていない。では手話が描いているそれは?
本当はもう少し違うことがやりたいと思っていました。それは「過去」に書かれた言葉の、その時の情景をそのままダイレクトに舞台上で再生できないかということです。
それは単に役者が役にのめりこんで喋れば達成されるものでは絶対にないと思いますし、ひょっとするとその言葉を使わない方が、その時の情景に迫れるのかもしれませんが、とにかくその「過去」に書かれた言葉の、その時の「現在」をどうやったら今の「現在」で再生できるかといったことを探求したい。
(当日パンフレットに寄せた村川のステイトメント)
過去に書かれた言葉は、いかにして「いま」の相を得るか。村川のこの試みはまだ最終的な成否を得ていない、というより、成否は保留され続ける。途中成果ならある。それは手話への翻訳時に得られている。
「言葉」が俳優の声を離れるとき、一緒になくしてしまう要素がある。それは関西弁だ。工藤前田はどちらも関西弁でテキストを発話する。あるいは関西弁のテキストが前もって書かれている。しかし関西弁は、手話に翻訳されるときに抜け落ちる。手話にも標準語があり、各国語があり、地域性があるのは事実だが、舞台上の手話に関西性があったかといえば、それを知覚できる観客は皆無だったろう。関西弁で被災地を語る彼らの声に、我々は阪神淡路大震災の記憶をも聞き取る瞬間がある。彼ら関西人が東北の被災地を訪れるとき、その足取りは同時に関西の被災地にも向けられていたのではないか。そのよう歴史をも孕んだ声のもつ時間と、その発話者の身体性は、手話への翻訳とその受容において保存されない。
また手話が独自の時間と身体を得ることもある。その最良の瞬間は、地名を表す手話である。たとえば福島県、大槌町といった地名には手話独自の表現が与えられている。福島なら「福」と「島」と「県」のそれぞれの単語に当てられた動作を組み合わせて発話する。大槌町なら、「大きな槌」と「町」だろうか。とりわけ、町名を表現するときには「大槌」などの文字が町固有の由来を喚起し、そこに立つ家々の屋根並みを表した「町」の手話の動作が続く。オオツチチョウの音、あるいは文字は、この一年半の間、津波に押し流され瓦礫ばかりを残した光景を喚起してきた。しかし手話はその独自の視覚表現に、並び立つ家々の時間とローカルな身体を留めているのだ。
上演中に観客が見/聞きするのは、このように分離し、しかも重なり合って届く二つのテキストなのである。それぞれのテキストは同時に届くが、観客はそのすべての要素を想像力で受肉するわけではないので、観客が最終的に収集するテキストは選択され、要約される。そのための時間が上演中にも設けられ、そのときの観客の沈黙が舞台上の発話へのレスポンスとしてマイクで採集され、再生されるのだ。書かれた言葉は、声の発話、手話身体の発話を経て伝達され、観客の沈黙のうちに残存して、再び舞台に発話・伝達される。「言葉」の限りなく「いま」に近づいた一時保存と、その再生。会話劇はこのようにして発生し、成立する。
村川の試みは、かくして一定の効果を上げるわけだが、しかしそれがまだ途中成果にすぎないと断りを入れるものなのか、村川は最後に決定的な演出を加える。上演の終わりに、工藤前田は旅の終わりの花火大会の様子を伝える。長い沈黙があり、書かれた言葉がすべて発話されたと思わせるころ、前田が不意に「地震・・・地震だ」と低くつぶやく。これは花火大会の日にあった地震のメモなのか、あるいは上演されている「いま」まさに劇場を揺らした地震に、いち早く感づいた前田の言葉なのか。神妙な沈黙のためにそばだった観客の耳には、一瞬その判断がつかず、そしてその判断を待たずして身構える観客の身体。この最後の言葉は、「いま現在」のリアリティをもって、確実に観客の反射神経に伝達されたのだ。その瞬間は演劇が停止する。地震が起きれば、上演は停止する。想像力云々も停止する。その一言の持つ暴力的な身体性に、演劇の言葉は憧れつつも(おそらく永遠に)到達できないという、限界の演出だった。
星隆弘
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■