たまにおらが国自慢のような特集が組まれるが、今号は沖縄である。温暖で風光明媚というだけでなく、民俗学的にも沖縄は非常に魅力的だ。柳田国男の『海上の道』が有名だが折口信夫も沖縄に強い関心を持っていた。民俗学者が沖縄に魅了されるのは当然と言えば当然で、日本列島には様々なルートで大陸文化がもたらされている。今と違ってテレビなどの情報伝達手段がない時代には、人がやって来なければ文化は伝播しない。沖縄には中国だけでなく東南アジア文化も島伝いに流入している。
それは北方アイヌも同様だ。『アイヌ芸術』という図録集がある。元は服飾、木工、漆器の三巻だったが現在ではぶ厚い一冊本で刊行されている。金田一京助・杉山寿栄男共著となっているが『アイヌ芸術』に収録されたアイヌ遺物は杉山さんのコレクションだ。残念ながらその多くが戦災で焼失してしまったが、アイヌ文化の奥深さがよくわかる図録である。
『アイヌ芸術』を見ていると、明治時代頃までアイヌが鎌倉時代頃にまで溯る古い日本の美術品(漆器や金工)を数多く所有していたことがわかる。またアイヌは装飾品として刀を好んだが、その形状は平安から鎌倉刀の形をしている。無文字文化なので文字資料からその理由を辿ることはできないが、アイヌが独自文化を育んでいただけでなく、日本文化のどん詰まりとでも言えるような文化基盤を持っていたことがわかる。北と南の先端は文化面でとても面白い。
ただそんな正面切った文化論はさておいても沖縄やアイヌの文化は面白い。アイヌ語は大別すれば千島、樺太、本土アイヌの三つがあったが、残念ながら千島、樺太アイヌ語は話せる人がいなくなってしまった。沖縄の言葉はウチナーグチと呼ばれるがこれも高齢の方以外、ネイティブとして話せる人が減っているようだ。ただ言語はいつだって文化を表すわけで、ウチナーグチはとても魅力的だ。
唐船(とーしん)ドーイさんてーまん
いっさん走(ばー)えーならんしや ユーイヤナ
若狭町村(わかさまちむら)ぬ さー 瀬名波(しなふぁ)ぬタンメー
ハイヤセンスルユイヤナ イヤッサッサッサ
音(うとぅ)に豊(とぅゆ)まりる大村御殿(うふむらうどぅん)ぬ栴檀(しんだん)木 ユーイヤナ
那覇(なふぁ)に豊(とぅゆ)まりる さー 久茂地(くむじ)ぬほーいガジュマル木
ハイヤセンスルユイヤナ イヤッサッサッサ
嘉利吉(かりゆし)ぬ遊(あし)びうち晴りてぃからや ユーイヤナ
夜(ゆ)ぬ明きてぃ太陽(てぃだ)ぬ さー 上がる迄(までぃ)ん
ハイヤセンスルユイヤナ イヤッサッサッサ
『唐船ドーイ』
有名過ぎて引用するのが気が引けるくらいだが、『唐船ドーイ』は沖縄のエイサー、いわゆる盆踊りの時に歌われる民謡である。沖縄生まれのウチュナンチューのほとんどが最初の連を歌えるだろう。エイサークライマックスの歌と踊りでありカチャシーとも呼ばれる。エイサーの練り歩きである道ジュネ-でも最後は唐船ドーイだ。全部歌うと長いので省略されることもあるが、この三つの歌詞部分は欠かせないようだ。
一連目は「中国船が来たよ! と言ったら(みんな)一目散に走って来るはずなのに、そうしないのは若狭町村の瀬名波のおじいさん」、二連目は「音に名高いのは大村御殿の栴檀木、那覇で豊かなのは久茂地のガジュマル木」、三連目は「縁起の良い遊び(嘉利吉ぬ遊び)に身も心も晴れ晴れしたからには、夜が明けて太陽が上がるまで(遊びましょう)」という意味になる。「ハイヤセンスルユイヤナ イヤッサッサッサ」は囃子ことばである。
文法は日本語と同じなのだが発音が大きく異なる。ウチナーグチでは「あいうえお」が「あいういう」になり、「の」が「ぬ」になるようだ。ただ大阪弁などはなんとなく真似できるが、ウチナーグチはそうはいかない。十年二十年住んでもなかなかウチナンチューのようには話せるようにならないだろう。
ただ中国船(唐船)が一種の宝船として現れるのはいかにも沖縄だ。また沖縄の祭祀は本土とは大きく異なる。シーミー(清明祭)ではご先祖のお墓の前に親族が集まって、お祈り(ウートート)の後で宴会をする。お墓も家型の大きなものが多い。『唐船ドーイ』にはそういった沖縄文化が集約して表現されている。心身を清めたら朝まで遊びましょうと歌っている。晴れやかだ。では沖縄俳句はどうなんでしょうね。
片降りのここから先は魔界です 平敷とし
平御香を線路にして母出立す 神矢みさ
苦瓜弾け太陽の子が孵でたか 野ざらし延男
胎内で太陽飼い馴らす島の神女 おおしろ房
薩摩来るぞオオシマゼミの鳴きやまず 平敷武蕉
薔薇の芽の先で傾く爆撃機 翁長園子
復帰の日基地に古びし亀甲墓 前原啓子
大国と属国と島夏の大三角形 山城発子
*
アカショウビンの声の水玉ころがりぬ 正木ゆう子
夏草やかつて人間たりし土 長谷川櫂
砂糖水ガマに供ふる丸き背 大河原真青
沖縄を人質にして五月晴れ 福田淑子
「沖縄を詠んだ名句30句選」抄出・所感 鈴木光影
おおしろ房さんの「胎内で太陽飼い馴らす島の神女」のように沖縄の習俗を詠った句と、太平洋戦争で日本で唯一の戦場となり、戦後もアメリカ軍が駐留する沖縄の現状を詠った句が半々といったところ。アステ(*)以降はウチナンチューの句ではなくヤマトンチュー(本土の俳人)の句だが傾向は同じである。
で、沖縄にはいつから俳句があるのかな。明治維新以降にあるのは間違いないが、江戸時代以前はどうだろう。曲亭馬琴は『椿説弓張月』で鎮西八郎為朝が琉球王朝の祖となったという荒唐無稽な小説を書いたが、江戸時代における沖縄は、その存在は知られていたが遠い遠い国(土地)だった。フィクションを作るにはうってつけの土地だったのであり、ドラキュラ伝説が中央ヨーロッパから遠いルーマニアのトランシルヴァニアに設定されたようなものである。
近・現代において沖縄はヤマトの圧力をもろに受けた悲劇の土地である。一方で豊かな祭祀の島で、陽気で笑いが絶えない。なにかというとすぐ歌い踊る。そういった沖縄のハレの面が俳句では表現しにくいのだろうか。俳句は御維新以降に沖縄に流入したのだろうが、元はナイチャ―(本土)の書き言葉だからそうなるのかな。ただ俳句では諧謔と挨拶も重要な要素である。そういった沖縄の句も読んでみたいと思う。
岡野隆
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