「俳句の調べ」というのは、簡単なようでなかなか微妙な設問ですねぇ。俳句に心地良い調べというものは確かにあります。それを言うなら自由詩にだってある。
はなののののはな
はなのななあに
なずななのはな
なもないのばな
谷川俊太郎さんのよく知られた詩で、詩人自身もお気に入りの作品のようで色紙などでしばしば書いておられる。谷川さんには『わらべうた』『ことばあそびうた』など独自の調べというか、リズムを重視した詩集もある。古くは加藤周一、中村真一郎、福永武彦らの押韻詩であるマチネ・ポエティック運動などもあった。あまり注目する人はいないようだがこれはこれで面白い試みだった。
マチネ・ポエティックは、こりゃぁ〝待ちねぇ、ポエティック〟だったんじゃないかと言いたくなるところがある。太平洋戦争中の押韻詩運動だが、当時すでに自由詩から文語的な調べは失われていた。白秋時代までは七五調が多かった。それが萩原朔太郎以降、調べ破壊に向かった。ダダやシュルレアリスムなどの欧米最新芸術運動の影響もあって、自由詩は観念とレトリックの実験場になっていったのだった。それに対して〝ちょっと待ちねぇ、ポエティック〟という運動が起こった気配である。なぜか三好達治が背を向けて批判しましたけどね。
マチネ・ポエティック運動が谷川さんの『わらべうた』や飯島耕一さんの定型詩になったとはぜんぜん言えないが、那珂太郎さんなど調べや韻律を重視する詩人は定期的に現れている。詩と心地良い調べは切り離せないわけですな。
ただし自由詩が調べ(韻律)中心の表現かというと、そうは言えない。調べはあくまで自由詩の一要素である。自由詩は形式的にも内容的にも一切の制約がなく、詩人ごとに詩の成立要件が異なる。この個々に違う詩の成立要件の中で調べが活かされるのはぜんぜん珍しくない。難解と言われる詩の中でも要所要所で調べが活用されていたりする。
じゃ、短歌を母胎とする俳句で調べが重視されているのかと言うと、どーもそうとは言えない。ま、日本の伝統詩の場合、頭韻押韻などではなくこれはまったく日本独自の〝調べ〟ですがね。五七五、五七五七七が調べになるわけだが、俳句はうんざりするほど〝切れ〟を重視するわけだから、はなっから調べとは相性が悪い。だって切れるんですもの。俳句は絶対に切れを手放さず、最もそれを重視するわけだから調べと矛盾する。かなり譲歩しても自由詩と同様に、表現の一要素として調べを活かそうとした俳句もある、くらいになるのではあるまいか。俳句の世界の課題設定はホントにいい加減。
不性さやかき起こされし春の雨 松尾芭蕉
初潮や鳴門の浪の飛脚舟 野沢凡兆
郭公鳴や湖水のさゝにごり 内藤丈草
春の海終日のたり〳〵哉 与謝蕪村
夏山や山も空なる夕明り 芥川龍之介
女郎花少しはなれて男郎花 星野立子
さみだれのあまだればかり浮御堂 阿波野青畝
歩くのみの冬蠅ナイフあれば舐め 西東三鬼
いなびかり北よりすれば北を見る 橋本多佳子
きよお!と喚いてこの汽車はゆく深緑の夜中 金子兜太
なにはともあれ山に雨山は春 飯田龍太
芥川龍之介は「芭蕉の俳諧の特色の一つは目に訴へる美しさと耳に訴へる美しさとの微妙に融け合った美しさである」(芭蕉雑記)という。たしかに、「耳に訴へる美しさ」さけがひとり歩きするものではない。句の調べは、句の思い、情景、宇宙などと渾然一体の状態となってはじめて意味を持つのである。たとえば〈歩くのみの冬蠅ナイフあれば舐め〉は単純に調べが美しい句だとは言い違いが、衰えた蠅のよろぼい歩く姿を思い描くならば、アルクノミノ、フユバエ、ナイフ、アレバ、ナメ、というとぎれとぎれの調子は実に魅力的である。〈きよお!と喚いてこの汽車はゆく深緑の夜中〉は変則的な調べの句だが、「きよお!と喚いて汽車はゆく深緑の夜中」と比べると、「この」の二文字が句の調べを整えていることがわかる。「この」において、作者の思い入れと調べとが一体になっているのである。
岸本尚毅「調べが美しいと感じる名句 20句と所感」より
うんうんまあまあこれはこれで論として成り立っているが、申し訳ないが典型的俳壇文章である。「俳句の調べとはなにか?」が頭っから「句の調べは、句の思い、情景、宇宙などと渾然一体の状態となってはじめて意味を持つのである」にズラされているわけだから、どんな句にも調べはあることになる。名句となればなおさらだ。なにせ目に馴染み耳に馴染んでいますからね。しかし俳壇以外でこういったレトリックは通用しない。
商業句誌は俳句初心者中級者が誌面に並んだ名句秀句を読んで、手っ取り早くそれを模倣するためにあると言っても過言ではない。要は名句秀句が並んでいれば良いのである。それはそれで俳句商業誌の重要な役割で、それが分かっている俳壇インサイダーの作家さんたちは忠実に使命をこなしているに過ぎない。これはこれでテクニックと知性がいる作業だ。
ただ本気で考えるなら、もっと俳句を相対化して捉えないと調べについてのとっかかりすら得られないだろう。もうだいぶ昔のことになるが、大岡信さんと塚本邦雄の間で前衛短歌論争があった。その中で短歌の調べが問題になった。問題にしたのは詩人の大岡さんの方で、塚本の方は言うまでもなく調べを破ることの必然に立脚していた。
これはとても乱暴な言い方だが、自由詩の詩人にとって、塚本さんらの前衛短歌はそれほど驚くべき表現ではなかった。かなりの程度まで現代詩の亜流表現として捉えられる面があった。そんなことは大岡さんは書いていないが、底流に流れている。短歌が調べを放棄するのはかなりマズい。自由詩や俳句とは比べものにならぬほどマズい。短歌は堰き止められることはあっても決して切れないからだ。
かにかくに 祇園はこひし寐るときも枕のしたを水のながるる 吉井勇
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき 与謝野晶子
ひとのおわりはさまざまにしておほかたはついにはなにもあらざるごとし 田島隆夫
こういった歌に調べはある。それを俳句に見つけ出そうとしてもムリでしょうな。短歌は俳句の母胎だが地続きではない。短歌は調べ、俳句は切れと考えた方がそれぞれの表現の本質に近づけると思う。
岡野隆
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■