今号は「第12回 北斗賞発表」である。北斗賞は「俳句界」の版元文學の森が主宰する新人賞。応募要項は40歲までの俳人が対象で、150句募集である。受賞作は文學の森から刊行される。句集を出すのはなかなか大変なので、とても有難い賞だろう。角川俳句も新人賞を設けているが、応募者の平均年齢は4、50代か、もうちょっと上だったように思う。北斗賞は年齢的にも若手の新人を発掘するための賞だ。今回は39篇の応募があり、伊藤幹哲さんが受賞なさった。
青麦の風になびけるひかりあり
白波に息合せ海女潜りけり
白木蓮の花芽や深き子の寝息
ネクタイの空より碧し新社員
伊藤幹哲 受賞作「白南風」より自選30句
えらく素直な句だなと思って読み始めたが、受賞作だけあってレベルが高い。自選30句の冒頭の方の句だが色と光の連作句だということがよくわかる。作者の主観表現はほとんどない。事物(人や動植物、無機物)の取合せによって何事かを表現している。ただ取合せによって表現されている〝何事か〟がけっこう曲者だ。
引鶴のこゑ夕空を透きて降る
ひとひらの光曳きくる竹落葉
海鳴や雲に燃え立つ烏賊釣火
月のいろ宿す金魚を掬ひけり
同
写生を基本とするいわゆる伝統俳句の場合、無常観を底に据えた季節の循環性(調和的世界観)を表現することが多いわけだが、伊藤さんはちょっと違う。事物を取り合わせてもそれが透明で抽象的な何事かに昇華されてゆく。「月のいろ宿す金魚を掬ひけり」といった句にそれがよく表現されているだろう。文字通りの表現で、そのまま受けとるしかない句ではなかろうか。
神籬の杉の息づく啄木鳥こだま
白鳥に純白といふ重さあり
鶴悷にしづまりかへる大地あり
雪の上に雪降るのみの夕磧
同
この四句が連作中の秀句だろう。色と光が表現の中心になっている以上、それは明るい無に消えてゆかねばならない。「白鳥に純白といふ重さあり」「雪の上に雪降るのみの夕磧」の撞着表現にそれがよく表現されている。
「白南風」という連作自体は作家にお子さんが生まれた喜びを表現している気配があって、表題作の句は「白南風や子の名書き足す母子手帳」である。しかし連作は光と色、そこから派生して捉えられる自然の動きが中心になっている。だが作者がどこにいて、何を見て、こう思ったからこんな句になったという評釈が不可能な句が多い。句自体がモノ化している。いっけん素直な伝統俳句でなんの変哲もないようだが、かなり斬新な句である。
今夜は十三夜と思っておりましたところ、思いがけずお電話を頂き、北斗賞受賞の第一報を賜りました。正直身に余る光栄でございます。今までご指導を頂いてきました「馬酔木」の水原春郎前主宰・徳田千鶴子主宰・根岸善雄先生・諸先輩方・句会の皆様に深い感謝の気持ちで一杯です。(中略)
ここ数年は万葉集から日本の詩歌の歴史を自分なりに読み込み、咀嚼しようと試みて参りました。受賞を激励と受けとめ、伝統俳句の最前線に立つことを自覚し、一層の精進を重ねてゆく所存でございます。皆様には変わらぬご指導・ご鞭撻をお願い申し上げます。
伊藤幹哲「受賞の言葉」
伊藤さんの「受賞の言葉」もえっらい素直である。1988年生まれなので36歲の青年だが、好青年だということが伝わって来る。最近ではスケートの羽生結弦、野球の大谷翔平、将棋の藤井聡太さんが好青年三羽烏だったが、羽生さんがちょいと味噌を付けたので、伊藤さんを代わりに三羽鴉にしたいくらいだ。
それは冗談だが、作家は秋櫻子「馬酔木」同人で、祖の秋櫻子と同様に万葉にまで溯って自分の表現を鍛えていることがわかる。作品を読んでも、いわゆる俳壇ジャーナリズムとはほぼ無縁に作品を書いていることが伝わって来る。ただ「伝統俳句の最前線に立つことを自覚し」とあるわけだから、伝統俳句を背負って立つ覚悟はある。
俳句はほっておけば五七五に季語、そしてこの定型の上に立った客観写生俳句と客観主観俳句の永遠の繰り返しの中に留まってしまう。それを泡立たせるためにはなんらかの形での〝俳句前衛〟が必要だ。ただ定型を壊す前衛が必敗に終わるということは、そろそろ自覚した方がいいだろう。
受賞作の、それも自選30句を読んだだけではハッキリとしたことは言えないが、伊藤さんの句はオーソドックスだが新しい。子規がもし生きていたら激賞しただろう。秋櫻子の万葉ぶりは古語によりかかった雰囲気的なものが多かったが、伊藤さんの句にはスコンと抜けた肯定感がある。古代的と言えば古代的だ。窓秋の「山鳩よみればまはりに雪がふる」に近いかもしれない。伝統俳句から久々に新たな才能が現れたのかもしれない。
岡野隆
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