能村登四郎は明治四十四年(一九一一年)東京台東区谷中生まれ。國學院大學で折口信夫に師事し短歌同人誌「装填」に参加したが、水原秋櫻子「馬酔木」で俳人としての頭角を現した。平成十三年(二〇〇一年)没。享年九十歲。結社誌「沖」を主宰し、現在ではご子息の能村研三さんが継承しておられる。
白川村夕霧すでに湖底めく
暁紅に露の藁屋根合掌す
曼珠沙華天のかぎりを青充たす
身を裂いて咲く朝顔のありにけり
ゆっくりと光が通る牡丹の芽
こういった句を読むと、「ああ登四郎は秋櫻子の弟子なんだなぁ」とつくづく思う。秋櫻子の俳風は言うまでもなく主観俳句。主観といっても短歌のように私はこう思う、こう感じるを表現するのではなく、あくまで客観写生で主観が表現される句を善しとした。
それだけなら山口誓子も似たようなものだが、秋櫻子好みは擬古典主義である。誓子のように新語を積極的に取り入れるより、古語を想起させるような日本語(単語)を句の中核に据えた。
特に解説が必要な句ではないが、白川村を覆う夕霧を「湖底」のようだと感じているのは作家である。朝顔が「身を裂いて咲」いているようだと感じているのも作家。現実の風景を目の前にしてそれを作家の主観フィルターを通して言語的に再構成している。
もちろん客観写生俳句の権化とでも言うべき高濱虚子だって、「去年今年貫く棒の如きもの」などの自我意識を表現した主観俳句を書き残している。しかし主観の突き放し方が厳しいというか冷たい。ほとんど「人に非ず」の俳の境地ですな。それに対して秋櫻子「馬酔木」以降の主観俳句(正確には客観主観句)はどこかポカポカしている。温かみがある。登四郎句が多くの人に愛され、結社誌「沖」が継承されている所以だろう。
子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま
明け易く明けて水原先生なし
一度だけの妻の世終る露の中
朴ちりし後妻が咲く天上華
瓜人先生羽化このかたの大霞
厠にて国敗れたる日とおもふ
長子次子稚く逝けり浮いて来い
露微塵冥から父の平手打ち
冬いちばん寒き日ならむ職を辞す
耕二ぼろぼろもつとも嫌ひし冬を逝けり
楪やゆづるべき子のありてよき
九十歲の春や如何にと胸はづむ
行く春を死でしめくくる人ひとり
登四郎にはいわゆる人事の句がかなりある。代表句にもなっている。俳句の基本である客観に忠実であれば、人事はなかなか表現しにくい。しかし俳人も人間である。長い人生の間には様々なことが起こる。それをなんとか表現したいと思うのが作家である。
登四郎の人事句は虚子―秋櫻子よりも主観的である。虚子―秋櫻子の俳風なら「明け易く明けて水原先生なし」くらいの客観句だろうが、登四郎は「長子次子稚く逝けり浮いて来い」とハッキリ主観を表現している。ただ「厠にて国敗れたる日とおもふ」など、決定的な人生の出来事において強い主観を表現する言葉を使っている。当たり前だがなんでもかんでも主観で表現していたのでは俳句は崩れる。
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
黄泉の子もうつせみの子も白絣
菊慈童さめし瞳も菊の中
いのちなりけり元旦の粥の膜ながれ
初あかりそのまま命あかりかな
今思へば皆遠火事のごとくなり
霜掃きし帚しばらくして倒る
こういった句が、最も登四郎らしい句だろう。言うまでもなく「誰か過ぐ」ではなく〝誰〟と特定した方が句のイメージも意味も明瞭になる。しかし登四郎句は「誰か」でいいのである。「黄泉の子もうつせみの子も白絣」はそんな句風の典型だろう。白絣の子どもは現世にも冥界にも属している。評釈し始めればキリがないほど意味を引き出せるが、何事かを、何者かを特定しない膨らみが登四郎句にはある。
俳句は面白い表現で、虚子だって秋櫻子、登四郎だって人間なのだからいつか死ぬ。客観写生句の牙城は虚子「ホトトギス」なのだから、客観から少しはみ出た主観俳句を「ホトトギス」後継者が広めても全く問題ない。ただ現実には秋櫻子「馬酔木」に枝分かれし、秋櫻子の句風をさらに自在にした登四郎「沖」に枝分かれした。こういったことは俳句の世界の至る所で起こっている。
いつか結社主宰となってみたいといった俗な欲望を除いけば、一枚岩でいいはずの俳句が様々な俳風――大局的に見ればそれほど違いのない俳風――に分かれていくのは、俳人たちが俳句にいわゆる滅私奉公しているからである。俳句の世界では常に HAIKU goes on なのであり、俳句の継承とさらなる普及のために様々な結社誌が作られ解体されまた新たに現れている。
では俳句で作家独自の表現を追い求めようとすればどうなるのか。必ず失敗する。後に残るのは凪のような客観写生俳句と、それを少しだけはみ出した客観主観俳句である。この残酷な俳句現実は、ちゃんと目を開いて俳句という表現世界を見ないとハッキリ見えて来ない。
虚子は『五百句』『六百五十句』など句集にタイトルすら付けようとしなかった。まあ正しい。客観俳句ならそうなる。虚子以降に句集にテマティックなタイトルを付けることが多くなるが、現実には虚子的な時間継起で句をまとめた句集がほとんどである。
句集にテマティックなタイトルを付けることすら難しいのは、俳人は死ぬが俳句は死なないからである。俳句の中に俳人の小さな小さな生が含まれ、いつの間にか俳句の一要素として溶解してゆく。そういうことをちゃんと考えれば、いわゆる登四郎以降、つまり俳句でどうやって作家固有の自我意識を表現すればいいのかが朧に見えて来るだろう。
岡野隆
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■