大学一年生のとき、文学サークルに提出するために二篇の短い詩を書いた。子供の頃はともかく成年近くなってからは初めての作品だったと思う。一つは春の宵の悩ましい空気感が青い立方体として浮かんでいる、といったものだった。もう一つは「世田谷」というタイトルで、住宅街の緑の迷路をさまよいながら〝 “神の目〟のような信号機に出会う、みたいな感じだったと思う。東京は大田区に育ち、学校は文京区で、大学は日吉だったから世田谷なんていつ彷徨ったのだろう。何を考えていたのかわからないけれど、今になって思い返すと、世田谷という場所の感じは出ていたように思う。
7月15日に下北沢で行われた「幻影の『猫町』下北沢/朔太郎X線の彷徨」は、音楽と朗読でテキストとしての「下北沢」を浮かび上がらせた。実際の下北沢は若い人で溢れた賑やかさで、会場は駅からすぐの路地の一角にあった。迷う間もなくと言いたいところだが、古着屋の看板が多すぎて入るまでに手間取った。2階に上がると薄暗い会場は既にほぼ満席で、入口近くに席を取った。
音楽と言葉が響き始めると、そこはあの「世田谷」だった。あの「世田谷」の「下北沢」らしい。我々の頭の中にずっとあった「下北沢」である。外のちょっと騒がしい、それなりに見慣れた下北沢とは違う。夢の中に現実にはない馴染みの街が出てきて、店も道筋もいつも同じという話はよく聞く。最近は見ないが、かつて私にもそんな街があった。出現したのはそれに近い、懐かしい街なのだ。
しかしながら〈空間〉を出現させるものとはなんだろう。最初に思い浮かべるのはビジュアル、それから音声、背景の共有と、そんな順番ではないか。ただはっきりしているのは、視覚的なものは実は省略可能だ。日本固有の能の舞台では、ビジュアルは最小限にまで削ぎ落とされている。必須の舞台上の動き、面や衣装等には贅を凝らすのだけれど、それ以外の空間を飾る要素はごく少ない。その代わり天にも届くような笙の笛、地鳴りのような声が〈宇宙〉を創る。
そこに出現した「下北沢」は、確かにそういうものだった。かつて見た、というより、生まれる前から、なぜかよく知っている「下北沢」。それを構成する最大の要素は、声であり音である。ビジュアルが欠落しているからこそ、すべての人が自分の懐かしい「下北沢」を見ることができる。もっとも原田節と作曲家・ピアニスト谷川賢作によるユニット〈孤独の発明〉を聞いた者には、この既視感はもしかしたら当然と思われるかもしれない。けれども記憶はさらに遡る気がするのだ。
迷うはずもない単純な道で、わたしはもたもたと若い人に紛れ、古着がはためくの店先をうろつき、開演ぎりぎりに会場の階段を上ったが、それも偶然のようでそうでもなかった、そんな気がする〝起源〟にまで遡る、と言えばいいのか。そこしか空きのなかった入口近くの席からは見たことのない楽器の鍵盤、それを操る演奏者の手がよく見えた。あの紐はなんだろう。あれは何の装置だっけ、どんな仕組みで音が出ているんだろう。
私たちのエモーションの基本を形作る谷川賢作のピアノ、懐かしさそのものであるかのような波多野睦美の歌と我々の共通の記憶である萩原朔太郎にまつわるテクスト、朗読する萩原朔美の声。そこにかすかな異和がなければ、我々はどこにも行くことはできない。異空間に誘われるからこそ、そこを不思議と懐かしい空間として認識できる。そして我々をそこに誘うのは、異和そのもののオンドマルトノの音、というよりもその“声“であった。
Wikipediaによれば、オンドマルトノは
「発明された時期は電子楽器としては古く、フランスを中心に多くの作曲家がこの楽器を自分の作品に採用した。それらの中には近代音楽以降のクラシック音楽や現代音楽の重要レパートリーとなった曲も多く、現在も頻繁に演奏される。
本来は三極真空管を用いた発振回路で音を得るが、第7世代以降は集積回路を用いたモデルも製造された。」
そして
「鍵盤とリボンによる2つの奏法、特にリボンを用いた鍵盤に制限されない自由な音高の演奏、トゥッシュと呼ばれる特殊なスイッチによる音の強弱における様々なアーティキュレーション表現、多彩な音色合成の変化、複数の特殊なスピーカーによる音響効果によって、様々な音を表現することが可能である。」
より楽器に寄り添った奏者の言葉では、
「電気技師でチェロも弾いたモーリス・マルトノが発明した旋律楽器だ。マルトノ自身がこの楽器を弾いたので、電子楽器といえども単にエンジニア的な側面からこの楽器を捉えるべきではない。鍵盤ではなく、その下段にある(リング付きワイヤとボタンから成る)リボンを使って弾くのが基本だ。(リボンのボタンへの)指の触れ具合を微妙に変えて音色や音程を瞬時に変化させるなど、自分が人前で生演奏する際に何をしたいかが見事に機能に反映されている。右手は指をリングにはめて、ワイヤを移動させたり、ボタンを押したりして弾く。左手は操作盤で音色や音量を調整する。今はパソコンによる打ち込みの音楽が当たり前の時代だ。しかしパソコンでは事前に様々なセッティングをして音を鳴らすが、この楽器ならば演奏時に指で微妙なニュアンスを瞬時に変えて表現できる」
「この楽器から出てくる音色そのものが人々をリラックスさせる。柔らかい滑らかな響きに癒やされる。六角形のスピーカーは銅鑼を内蔵し、その金属的な響きが倍音をたくさん含んでいて心地よい。モーリス・マルトノはリラクゼーションに関する本も書いた。自分の楽器から出る音が人々の心身を癒やすことを願っていた。心身ともに健康になれる楽器だと思う」
原田節インタビュー NIKKEI STYLE アーカイブ2016年10日8日
私が聞いた音、そして私が見ていた手は、オンドマルトノの世界的奏者である原田節のものであった。それは電子的な音であると同時に、(あまり好かない表現だが)癒される、としかいいようのないものだった。その理由は、まさに原田が強調するところの〈旋律楽器〉である、ということだろう。
〈音楽〉と、ひと口に言うが、我々がそれを完成された〈和音〉、そのスライドの集積として聴くのと、〈歌〉として聴くのとでは、まったく別物であるのかもしれない、と初めて思った。後者は音楽と呼ばれる芸術である以前に、まさに“声“なのである。だから下北沢を語る声、我々がかつていた世界を思い出させる声、そういったものであるのは言うまでもない。〈音楽〉はそれ自体で世界を形作るが、〝声〟は世界の一部であり、だからこそ大きな世界へ導いていく〝人〟の姿も見える。
これもまた長年のファンには言うまでもないが、谷川賢作は〈詩〉を単に歌につける言葉というものではなく、〈詩〉そのものとその〈音楽〉との根源的な接点を探っていく当代の第一人者である。その根源的な接点とはまさに〈歌〉であるから、〈歌〉を壊すもの、壊さないものに対して敏感であるのは当然で、いわゆる〈音楽〉を提示しようとする意図からもっと〝起源〟へと遡ることをいつも考えているに違いない。今回、わたしが聞いた、というか、奏者の手とともにその存在に出会った楽器の〝声〟は、まさにそういうものだったと思う。
谷川賢作のリスナーとしての自分を振り返ると、ずっと引っかかっているのが、DiVaのアルバム『よしなしうた』の中でも「おおい」という曲の中の一説だ。「おおい」というのは、まさに呼びかける“声”だ。
くろいもりのなかの いっぽんのきが
おおいと さけんだが
ほかのきは へんじをしない
(中略)
ほうちょうは ゆうべむすめのゆびを
きずつけたことばかり おもっていた
あざやかなあかいちが ふきだして
ほうちょうが うっとりとなったことを
きは しらない
(「おおい」部分 詩・谷川俊太郎)
娘の指から噴き出した鮮やかな赤い血をうっとりと眺めている、という意味的な思考停止にふさわしく、別の〈宙〉へと我々を誘うその音がずっとペンディング状態で、わたしに引っかかっている。どこに連れて行ってくれるのか、という問いそのもののように思うが、この遠いところからきたみたいな、新しくて古い〝声〟に結ばれているのを見つけた気がした。外に出ると少し明度が落ちて、そこもやっぱり下北沢の街で、駅はすぐ目の前だった。相変わらず若い人たちが大勢歩いていて、店先には色とりどりの古着が下がっていた。
小原眞紀子
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