今月号は「大特集 これだけは押さえておきたい古典和歌」が組まれています。句誌ではしょっちゅうあの手この手の名句特集が組まれていますが短歌の場合はどうなんでしょうね。まあはっきり言ってとにかく短歌を書きたい人にはあまり役に立たないと思います。古典短歌と現代短歌では修辞が違い過ぎる。名歌を参考に手っ取り早く歌を書きたいなら昭和以降のアンソロジーの方が役に立つでしょうね。
このあたりも兄弟姉妹の関係にありながら短歌と俳句が決定的に違う点です。短歌は『万葉』から数えて一四〇〇年近い歴史があります。俳句は芭蕉古池を基点にして約四〇〇年の歴史がある。短歌ほどではないですが四〇〇年はとっても長い。当然修辞も大きく変わっている。しかし俳句の表現内容は四〇〇年前と現代であまり変化していません。
短歌では必須ではないですが俳句では「けり・かな・や」の切れ字を使わないとにっちもさっちもいきません。「けり・かな・や」は文語ですね。これを口語短歌のように現代的修辞に置き換えられるのかというとできない。大胆に口語を使って俳句を書いたのは一碧楼が嚆矢ですが現代でもヘプバーン俳句などの口語俳句の試みがあります。しかしなにをどうやっても「けり・かな・や」に戻ってきてしまう。つまり「けり・かな・や」が文語というのは一義的というか表層的な捉え方ということです。
俳句の切れ字は短い表現をさらに切り詰めるためにあります。要するに省略記号。この機能は江戸時代から同じだったと考えられます。江戸の話し言葉で「けり・かな・や」はまず使わないわけで文章語でありました。ただし俳句での使い方は古語辞書的用法とは違う。意味やイメージを切断して余韻を持たせるためにある。単なる止めではないんですね。
また俳句では嬉しい・悲しい・寂しいという感情を抱いたとしても作家はそれをストレートに表現できません。必ず春夏秋冬の季節の巡りに沿って――つまり季語を使って表現しなければならない。短歌では必須でなくなった季語が俳句の要なのです。季語を表現の中心とする限り作家感情はそれが激しいものであっても穏やかな季節の巡りの中に溶解してしまう。俳句が類型的表現になりやすい理由です。極論を言えばすべての俳人たちは五七五に季語の俳句形式に滅私奉公している赤子だと言えます。
これに対して短歌は作家個々の感情表現です。わたしがこう思ったこう感じたをストレートに表現するのが短歌の基本です。従って時代が変わり修辞が変化すればその表現方法が変わってくる。修辞というのは相対的古さであり新しさのことです。現代短歌で古語をうまく使えば新鮮に感じられたりします。しかし擬古典的修辞で作品をまとめるとたいていなんだかなーになる。よくお勉強してますけど擬古典短歌にする決定的理由が希薄なことが多いんですね。
で本題に戻って古典和歌を学ぶ理由がないのかと言えばそんなことはありません。ただ古典名歌を真似て短歌を書こうなどとは考えない方がいいようです。それでは短歌という表現を矮小化してしまうことになる。短歌は俳句はもちろん物語や謡曲の母胎です。すべての日本文学は短歌から生まれたと言っていい。古典短歌を学び古典文学にまで足を伸ばせば歌の本質だけでなく日本文学の本質をもなんとなく感受できるようになります。
醤酢に蒜搗き合てて鯛願ふ我れにな見えそ水葱の羹 長意吉麻呂
特集では『万葉』『古今』『新古今』から一〇首が選ばれています。『万葉』では人麻呂・赤人・家持らの歌がよく知られていますが最も『万葉』らしい歌は意吉麻呂らの歌でしょうね。即興歌であり戯歌です。『万葉』以外ではこういった歌は見あたりません。この歌は五七五七七を守っていますが意吉麻呂には破調も多い。定型になっていない古歌の世界にまで溯らないと『万葉』の楽しみは半減してしまいます。
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平
『古今』は最初の勅撰和歌集ですからそれまでの名歌・秀歌を収録した絶対的傑作です。貫之らの歌が古今調であるのは言うまでもないですが業平朝臣が短歌の絶対的王様というか基盤でしょうね。言うまでもなく『伊勢物語』の主人公に擬せられている貴公子です。『伊勢物語』はほんの短い物語と歌から構成されますがこの物語が約二〇〇年後に『源氏物語』を生んだのは間違いありません。短歌は物語文学(小説)の母胎です。もちろん物語は短歌から派生したわけです。
また『古今』は春夏秋冬に恋の部立てを設けた画期的和歌集です。ここから季語が生まれたのは言うまでもありません。短歌は季語の機能を俳句に譲り渡すことになりますがその初源は『古今』にあります。
村雨の露もまだひぬ真木の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ 寂蓮
志賀の浦や遠ざかりゆく波間よりこほりて出づる有明の月 藤原家隆
『新古今』で短歌は修辞的ピークに達し本歌取りなど複雑な技法を駆使するようになります。その一方で寂蓮や家隆のような写生歌が増えます。ここから俳句表現まではあと一歩です。『新古今』を意識的に読めばこの勅撰集が俳句を包含していることがよくわかります。
降りくとも春のあめりか閑かにて世のうるほひにならんとすらん 蓮月
たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましと言ひて食ふ時 橘曙覧
江戸後期の近世は現代に連なるとても面白い時代です。幕末の宣長・真淵の国文学者和歌はしゃちこばった擬古典歌で面白味はないですが庶民や下級武士が斬新な短歌を詠みました。
蓮月尼は書家で陶工としても知られます。最後の南画家・富岡鉄斎が待童として仕えたことでも知られます。蓮月は社会情勢に敏感でした。黒船来航だけでなく大塩の乱の和歌も詠んでいます。
曙覧の実家は商人ですが国文学者で歌人として知られます。ただし国文学者としては群小。『万葉』回帰の歌人ですが日常生活を好んで詠みました。幕末には庶民や武士階級の歌人たちが多く秀歌を詠んでいます。京のお公家ではなく特に江戸の庶民や武士が新たな短歌の萌芽となっていたのです。
こういったことはよく起こります。現代で言えばネットから新しい歌が生まれてくる現象に似ています。どの時代でもリアルタイムの時(現代)は不透明で捉えにくいですが古典を通時的に読んでゆけば変化というものがどんな原理で起こりどこに落とし所を見出すのか朧に予想できるようになるものです。
高嶋秋穂
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